第6話 止まらなくなった口笛
『ホテルごとう』に2回目の納品を終えても、時刻は午前9時。
“早起きは3文の得”との格言があるが、早起きが日常である観光地の人間が大富豪になったと言う話をオレは聞いた事がないから、多分、この格言は間違っているか三文は三文に過ぎないという事なのだろう。
海を左手に国道をひたすら西へと進み、松並木を抜けた先にある信号を左へ曲がりると、磯の香りと波の音がより強くなった。そのまま前へと進み、舗装されたアスファルトに砂利の音が混じり始めると、船着場と漁協の建物が見え始める。
たとえ小さくても漁港は漁港。その独特の雰囲気は何故か旅愁を刺激するから不思議だ。
漁協の隅に車を停めたオレは船着場へと進んで行く。奥の方からは女性たちの笑い声。車座になってみんなで底引き網を直しているようだ。
「すいません」
オレはその集団で一番地味な服装の女性に声を掛けた。
「はいはい?」
ふり向いたのは一番派手な服装の女性。
「あら、アンタ壮ちゃんかい?」
「はい」
「おや、まぁ大きくなって」
そう答えたのは、オレの同級生、
「誰だいこの子?」
「ほら、あの子だよ。九十九堂さんトコの長男坊!」
「でも、みやげ物屋の子は口笛が止まらなくなったって聞いたけど違うのかい?」
「違うよ!アンタ、口笛が止まらなくなったのは温泉場のみやげ物屋『めぐり屋』の
「九十九堂って言えば、露子ちゃんがオメデタなんだろ? だとしたら、息子さんは立派になって帰ってくるし、初孫は出来るしで、良いこと尽くめじゃないか」
狭い世界の噂は凄まじい勢いで広がる。そして、それはちょっとしたバンデミックなみに
「雄馬に会いたいんですけど、どこにいますかね」
話の着地点が見えそうにもないのでオレは強引に言葉を挟んだ。
「あの馬鹿かい?」
「はい」
はいと答えるオレもかなりアレだが、そんな事を気にする人はココにはいないだろう。
「さっきまでソコで船の掃除していたんだけどねぇ。もしかしたら、漁協の中で伝票の整理でもしてるのかもしれないねぇ。覗いてみてくれるかい?」
「ありがとうございます」
オレは深めに頭を下げ、来た道を戻り漁協へと向かった。
後ろからは再び女性たちの笑い声。温泉街の女は強いと生まれてから5,000回以上は聞かされて来たが、多分それはあっている。
特にノックもせず、漁協のドアを開ける。
外観はあばら家だが、中は予想外にキレイな空間である事に驚く。もっとも魚市場でもある1階は吹き抜けのようなものだからキレイにしているのは当たり前なのだろう。
「なっ、言ったろ?『あの歩き方は壮ちゃんだ!』って! 」
漁協のせり出した
「待ってて! 今、下に降りっから」
人懐こく、男にしては少し高いこの声は市村雄馬のモノで間違いは無いだろう。次いでバタバタと階段を凄まじい速さで降りる音。
「久方ぶり~! 何だよ、壮ちゃん連絡も寄こさないでよぉ」
今どき、その髪型は無いだろうと言いたくなるような気合の入ったアイパー頭に細い眉。そして、それらにはあまりにも不釣り合いなキラキラと輝く大きな瞳。
服装も迷彩柄のTシャツに紫色の合羽ズボンとコンセプトの欠片も見られないが、何故かそれがシックリと来てしまう。
昔から纏まりの無さを不思議とその人柄で包み込んでしまえる男、それが雄馬だった。
「雄馬、久しぶり」
オレも自然と笑顔がこぼれる。
「ホント、6年ぶりくらいけ」
語尾の“け”はこの辺りでのみ使われる感嘆の助動詞で、敢えて訳すなら!?が妥当だ。
「いやー、会えて嬉しいよぉ。今度、呑み行こうよ! あれ?
瞳を輝かせながら話していた雄馬が、急に首を振りながら辺りを伺いだした。
「ここよ、雄馬。大騒ぎしちゃって恥ずかしい」
雄馬の第一声から誰かが一緒である事は分かっていた。
ゆっくりと階段を降りて来る、その声の主は眼鏡をかけた小柄な女性。『ひもの屋本舗やぐち』の
「九角クン、久しぶりね」
言葉短く、そう挨拶する谷口は昔より少しふっくらしたように思えた。そして、オレの事を歓迎していないようにも。
「よう」
「私に対する挨拶はそれだけ?」
「いや、その・・・・・・正直、意外な組み合わせに驚いてる」
事実だった。
やり取りから見て、ふたりは付き合っているのは確実だ。
雄馬は根は真面目なのだが、悪い意味で非常に目立つ。何せ見た目は30年ほど前のヤンキーだ。一方、谷口小夜は物静かで、服装や行いも控えめの古風な女の子だった。
「付き合いだして2年も経つけど、浦島太郎な九角クンには驚かれても仕方ないかな?」
奥二重の瞳を細めて笑う谷口。
「俺、覚えてるよ。2年前の7月29日だよね。小夜ちゃんがOKくれた日」
「そういうのを人前で言わないで!」
「いいじゃん。壮ちゃんなんだし」
谷口小夜はにこやかな表情を浮かべる雄馬の肩を軽く叩いていた。つまりはアプローチは雄馬からと言う事なのだろう。息の合った掛け合いにふたりの歩んできた年月を感じた。
「で、九角クンも、わざわざココまで来たのは光木さんがどんな状態だったかを雄馬から聞きたいってワケ?」
敢えて冷たく言っている。そんな感じの言い回しだった。
「小夜ちゃん!」
雄馬は感情を抑えているように見えた。
「だって、
谷口小夜の声は震えていた。
「それはこの街で漁師をやっている定めみたいなモンだから仕方ないって、教えただろ?」
「分かっている! でもね、物見遊山で来ていい内容じゃないのも事実でしょ?」
谷口の怒りは、同級生の死を静かに悼めない者たちへの、あるいは死んでしまった光木茜音に対しての怒りが根底にあるように思えた。
そして、オレ自身も何故ココに来たのか、明確には分かっていない。いや、何となくは分かってはいたが、それを口にしたくはなかった。
「谷口の言う通りだな。すまない雄馬、谷口」
「いいって…… 何となく来ちまった壮ちゃんの気持ちは分かんなくもねーよ。光木チャンに本気で惚れていたのは、ダチである俺が一番よく知ってるしよ…… だからこそ、あの時も自分が大怪我してまでも光木チャンを助けたんじゃねえか」
谷口小夜の肩を叩き、静かにそう語る雄馬に自分にはない器量を感じた。
「九角クン、ごめんなさい。私・・・・・・」
「いや、さっき言った通り、どう考えても俺の方が悪い。雄馬、今日のお詫びに呑みに行った時にはオレに驕らせてくれよ。その時には、谷口も一緒来てくれるか?」
あまりにも古典的な償い方だが、今のオレには他に何も浮かばない。
「いいのかい? オレも小夜ちゃんも、結構呑むんだぜ?」
「構わないよ。なんならウチで呑むか? なにせ酒屋だから酒は腐るほどある」
「商品がなくなってもいいなら、構わないぜ! 」
昔から雄馬の人柄には何度も救われてきたが、今回も同じ事になりそうだった。
「雄馬、あの事を九角クンに教えておいた方がいいんじゃない?」
少し気持ちが高揚し始めていたオレたちを諌めるような谷口の声。
「そうだ! 壮ちゃん、三廻部先輩には気をつけたほうがいい。さっき、あの人がココに来たけど、ヤバイ感じだった」
他人を滅多にネガティブに語らない雄馬の声に珍しく
-
「“口笛が止まらなくなった”って噂は聞いた」
湯治場の側面も持つこの街では、病気や怪我の治療について独特の言い回しをする。
それは、他所から湯治でやって来た人間が『厄』である病を治して行くと、その『厄』がこの地に落ちて、地場の人間に移るという迷信があるからだ。そしてその傾向は年齢が高い者程顕著に見られ、彼等はケガをした部分や疾患名を口にするのを毛嫌いする傾向がある。
足の治療目的であれば『足袋を預けに来た』
胃腸の治療目的であれば『合う腹巻を探しに来た』
そして、躁や鬱などいわゆる心の病気と言われている疾患については『口笛が止まらなくなった』と訳の分からない隠語で喩えられる。
「口笛が止まらなくなったのは1年くらい前からだと思うわ。元があの性格だし、あの手の病気だって聞いてたから、私たちも遭えば挨拶する程度の距離を保っていたんだけど、さっき、ココに来た時は
谷口の声は少し震えていた。
「女癖悪いうえ、嫌な噂も聞く。その上、昔から壮ちゃんは相性が悪いだろ? だから近づかない方がいい」
えらく真剣な目つきでの雄馬の忠告。
「教えてくれてありがとう。雄馬、谷口」
2人に頭を下げて、オレは漁協の外へと出た。暴力的な日差しが今日も真夏日になる事を忠告している。
ふた学年上の人物で、老舗みやげ物店『めぐり屋』の息子。オレの記憶では、高校を卒業後、叔父が所長を務める『三廻部法律事務所』で働いていたはずだ。
車のエンジンをかけたオレは効き過ぎるサスペンションに不快さを感じながら、その先輩のやたらに整った顔立ちと、その独特と言っていいオレに対する敵意の向け方を思い出していた。
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