第5話 油蝉の合唱

 午前6時50分

 お日様よりに先に行動を起こさないと、寝坊助扱ねぼすけあつかいを受ける温泉街の朝は嘘の様に早い。

 温泉場から昇る白い蒸気は、強くなりつつある夏の日差しに負けて透かされてはじめている。そんな陽射しを睨みつつ、ライトエースの後部ハッチを開けたオレは、厚手の作業用手袋を嵌めた手で伝票に書かれ数だけのビールケースを台車に積み重ねていく。

 荷物を持つ際にゆっくりと力を込める事を忘れなければ古傷は大して痛む事はない。


 オレが帰郷してから、4日が過ぎようとしていた―――



「ビールの納品か?」

 背中越しに聞えてきた声。

「いつも贔屓にしてもらって助かってるよ。久しぶりだな、正樹まさき

 振り返りながら声の主である『ホテルごとう』の跡取り息子にオレは伝票を手渡す。


「俺が東京を出てからだから、2年ぶりって事か。天ヶ丘あまがおか病院の院長先生は元気か?」

「元気だよ。あの分じゃ100歳くらいまで現役なんじゃないか? お前には良いバイト先を紹介してもらったよ」

 五島正樹ごとうまさきは地元から東京の大学へと進んだ人間のひとりだ。オレより1年早く大学生になった正樹は同郷と言う事もあり、オレが東京に出た際にも色々と世話を焼いてくれた。大学入学以来続けている病院の事務当直のバイトも正樹が紹介してくれたものだった。


「ビールはいつも通り厨房に届けてくれればいいからさ」

 その問いにオレが静かに頷くとスマホの着信音が響いた。正樹のものらしい。


「はい・・・・・・ そうですか七名様ですね。分かりました・・・・・・ はい、では手配しておきます」

 耳に電話を当てながらメモを取る正樹の後ろ姿。そう言えば、大学時代には赤茶だった髪も今は黒々としている。


「壮、追加でビール5ケース頼めるか? 昼までに持ってきてくれればいい」

 電話を切った正樹は少しダルそうな声でオレにそう告げた。

「大丈夫だと思う・・・・・・今の電話は親父さんか?」

 顔は柔和だが厳格な父。オレはそんな正樹の親父さんの顔を思い浮かべる。


「いや、ウチの仲居パートさんだよ。俺も専務なんて肩書きは持っちゃいるが、実際は雑用係みたいなモンだからさ、いつもこんなカンジなんだよ」

 そう自嘲的に笑う正樹。


「まぁ、それでも商売繁盛なのはいい事じゃないか」

 オレなりのフォローのつもりだった。

「あぁ。だけど今みたいに仲間の不幸を取材にくるマスコミ連中の宿泊で忙しくなるのは、嫌なもんさ」

 恐らく、さっきのビールの追加も、そう言う事なのだろう。


 再び、正樹のスマホが鳴る。


「はい、五島です。・・・・・・お世話になっております。・・・・・・っ!! ・・・・・・はい・・・・・・そうですか・・・・・・ はい、・・・・・・・分かりました。本当にお疲れ様でした」

 声のトーンが明らかに低い。

 良くない知らせである事だけは察しがついた。


「・・・・・・壮、今、商工会の会長さんから連絡が入った。光木と思われる遺体が見つかったらしい。見つけたのは、警察の要請で船を出していた雄馬ゆうまだ。葬儀はにやるから、余計な気づかいはするなだとさ・・・・・・もう、葬式の話かよ! クソッ!」

 電話を切った正樹の声は少し震えていた。


「同級生である事を知っていての念押しだろうな・・・・・・ か、下らない決まりだな。今更だけどよ」

 オレのつぶやきに正樹は静かに頷いた。


 観光地の人間はゲンを担ぎ、先祖代々の慣わしを異様なまでに守る。

 特に慶弔事に関してのそれは、慣わしというより戒律に近く、誰もが神経を尖らせる。

 ざっくり言ってしまえば、年中お祭り状態の観光地にとっては、歪な死に方はゲンが悪いとされており、今回の様な死に方をした場合は、葬儀は親族のみの密葬で行うのがこの辺りの慣習だ。


『ホテルごとう』の駐車場では、油蝉あぶらぜみの合唱が響きはじめた。


「壮、オマエは大丈夫か?」

「ああ」

 オレは正樹の言葉に短くそう答えた。

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