第41話 家族のイベント
年に一度、子供達が通うピアノスクールの発表会がある。
「1時に出発って言ったって、どうせ出られるのは1時半だろ?それでも2時過ぎには着くしなぁ。コンサートは3時からだから、十分ってことだよな。。。」
絢也が、冷蔵庫からオレンジジュースを出しながら、ソファに座っている俊樹に話しかける。
「そういうこと。まぁ、ゆっくり待つとするさ。」
「紫!これからシャワー浴びるってどういうつもり!あと5分で出るって言ってるでしょ!!」
「だって、今まで最後の練習してたんだからしょうがないじゃない。」
百合と紫の声に、俊樹と絢也は顔を見合わせて、お互いに呆れた顔をする。
「んじゃ、俺はもうひと練習するわ。」
そういうと、絢也は紫の部屋に入り、すぐに、ショパンの『革命のエチュード』が聞こえてきた。
駅から続くその建物の5階までエレベーターで上がると、舞台衣装のような装いの老若男女で溢れている。例年に比べて混んでいる。このフロアには100人〜500人ほどを収容するコンサートホールが3つと音楽スタジオが5つと画廊と図書館がある。今日はコンサートが立て込んでいるのだろう。俊樹たち家族は、一番奥のコンサートホールの二重になった扉を開け、中に入って行った。年に1度のコンサートでしか会わない懐かしい面々が揃っていた。今日の主催者である、紫と絢也のピアノの先生が、機材の確認の指示を出している。
「こんにちは。今日は宜しくお願いします。」
「あら。紫ちゃんと絢也くん、お疲れ様。今日も楽しんでちょうだい。スタジオAがもう空くから調整に使っていいわよ。井上さんのところのお二人がまだ来てないから、来たら一緒にやってちょうだい。」
軽く挨拶をしたあと、子供達は、最後の調整のためにスタジオへと入って行った。開演までは、まだ45分ほどある。
「ママ、お茶でもしに行こうか。」
「そうね。」
俊樹は、百合が否定して、1人でコーヒーショップに行くことを想定していたが、百合は珍しく従った。俊樹は、半分仕方なく2人で1フロア下りた。レストラン街になっているそのフロアには、和食、蕎麦屋、中華料理と洋食屋しかないのを知っている。2人は洋食屋に向かった。10ほどのテーブルがある店内は、ほぼ満席である。ウエイトレスに従い、最後の空きテーブルの4人席に座り、ケーキとコーヒーをオーダーした。
コーヒーカップに手を伸ばすと、百合は他愛もない会話をしてくる。俊樹は無愛想に答えながら、最近の百合の態度が少し違うと、ふと思った。近ごろ、友人たちの離婚が相次いでいるという話を百合にする機会が増えている。そのせいかどうかは分からないが、百合がいちいち俊樹に突っかかってくる場面が減っているような気がしている。百合は、危機感を抱いているのだろうか。そういえば、夕食も一時期に比べると、レトルトが減ったようにも感じる。何か察知しているのだろうか。春麗の存在も知らないわけではないはずである、と俊樹は思っている。俊樹は、女の勘の鋭さを侮ったことはない。
頭上のスピーカーから流れるFifth Harmonyの”Sledgehammer”に急かされるようにケーキを食べ終えて時計を見ると、開演まであと10分。2人は会場へと向かうことにした。
幼稚園児や小中学生の演奏が始まった。紫がこの舞台に立ったのはもう16年も前である。当時の面影が頭をよぎる。
高校生から成人まで順にプログラムが続いていく。唯一の男性である絢也は、スエードのスーツ姿でそつなく「革命のエチュード」を弾き終えた。
「大したもんだ。」
席に戻ってきた絢也に小声でいうと、微笑みながら絢也が答える。
「こないだバンドのセッションを横浜のホールでやっただろ?その時は、この倍の箱が満席でさぁ。上手いバンドばっかりで、それを聞きに来てる連中の前で4曲歌ったんだよ。よっぽど緊張したね。今日のはお遊びみたいだよ。Enjoyしてる。」
紫も1曲めの演奏を終え、少しホッとした表情で戻ってきた。以前は、俊樹も少し緊張したが、今では親子して慣れたもので、練習を聞いているようなリラックスした気分で弾き、聴き、淡々と進んでいく。
その後、それぞれ連弾を2曲弾き、全てが終わったのは、6時15分を過ぎた頃だった。俊樹のように、父親が聞きに来てるのは奏者の半分ぐらいだったろう。恐らく、側から見ると、俊樹の家族も仲の良い幸せな家族に見えるのだろう。
エレベーターホールで駐車場に向かうエレベーターを待っていると、俊樹のiPhoneにLINE着信のバイブレーションがあった。
「THL - Confirmation
水曜日のTHLの会場の連絡です。
場所:銀座四葉百貨店12階 フランス料理『レ・ロッシュ』
時間:20時現地集合
※今回は、来週末に控えた玉田さんと由美香さんの結婚式ツアーについての確認の会でもあります。万障お繰り合わせの上ご参加を宜しくお願いします。
岡田純平」
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