第38話 記念日
秋らしい透けて抜ける青空に飛行機雲が一筋伸びている。道路の左側は、茶色い大学の大きなビルが空を遮り、右側にはイタリア料理屋の入っているビルがある。俊樹と春麗の進む上り坂に沿って、ビルの間を飛行機が先導しているかのように、その雲は伸びていく。日陰に入ると少し冷たいが、風がないのが救いである。
そのホテルは、坂道を登りきった左側に立っている。入り口には角張った赤い帽子を被ったポーターが立ち、到着したシルバーのポルシェを誘導していた。俊樹たちは、その横を抜けて建物の中に入った。心地よい暖かさが気持ちを和ませる。控えめのボリュームで流れるショパンの『華麗なる大円舞曲』と毛の長い赤絨毯と明るいシャンデリアに、そこここに飾られているフラワーアレンジメントが、今日の楽しい会食を予感させる。
春麗は、俊樹の左腕に捕まり、右奥に向かって通路を進んで、離れの向かう。白木の引き戸を開けると、和風の上品な油の香りが漂っている。左側は奥に向かって一面がこの字型のカウンター席になっている。右側は奥にも広がりがあり、磨かれた一面の窓ガラスに向かって4つずつ2列のテーブルが並んでいる。正面の壁面に開く扉の向こう側にはさらに廊下が続き、その奥には小部屋が2つある。
俊樹たちは、入り口で予約を告げると、仲居が奥の小部屋に案内した。入ると、左側には、料理人が一人入るといっぱいになる小さな移動式のカウンターがあり、ここで天ぷらを揚げて出せるようになっている。右側には、向かい合わせで4人ずつ座れるテーブルがカウンターと45度の角度に配置されている。テーブルにはすでに2組のカップルが座っていた。奥の向かって左側には、浩一が一番外側、香穂がその内側にいる。向かいには、玉田と由美香が座している。
6人は、軽く挨拶を交わし、俊樹と春麗も玉田の座る側の椅子についた。
仲居が二人にもお茶とお手拭きを運んできた。この部屋には、CherのBelieveがかかっている。
談笑していると、純平と葵が腕を組んで入ってきた。Agateと呼ばれる淡い紺色のワイドパンツを履き、裾から少しだけ濃いオレンジのスニーカーのつま先が見えている。右足にもうギブスはない。ブッカリとした琥珀色のトレーナーの胸元には、大柄の花があしらわれており、膝まである薄手のコートのSax Blueが秋を感じさせる。ホワイトゴールドイヤリングが、薄めだがしっかりとした化粧にマッチしている。純平がコートを脱がせると、左腕の袖が少し捲れ上がり、白い包帯が見えた。
二人は、残っていた2つの椅子に腰を下ろした。俊樹は、仲居に冷やしておいてもらったニコラ フィアット ブルーラベルを2本開けてもらい、料理も始めるように伝えた。8人にそのシャンパンが配られたところで、みんなをまとめるように玉田が口を開いた。
「さてっと。今日は、葵ちゃんの快気祝いと純平君と葵ちゃんの婚約祝いだな、やっと。まぁ、葵ちゃんはまだ『快気』ではないけども、来週からは会社に復帰ということで。
では、ダブルでおめでとう、乾杯!!
、、、このシュワシュワ感はたまらんねぇ。はっはっ。」
浩一が続ける。
「っんで、式はいつの予定だって?」
「、、、それが、まだ決めてないんですよ。なんせ、葵がこんなだったでしょ?回復度合いも見ないといけなかったし。でも、籍は玉田さん達と同じ日に入れようかって。俺たちは、もう一緒に住んでるし、言って見れば、区切りというか、ケジメというか、そういう問題だけなんで。それなら、親友同士同じ日でもいいんじゃないかって。っなぁ、葵。」
「うん。純君が、私の両親と彼の両親に対するケジメに拘ってくれてるから、どこかで籍を入れましょうって。っで、それだったら同じ日は?ってことで。。。お邪魔かしら、由美香?」
「うぅうん!記念日のハッピーが毎年倍だね。ふふっ。」
としきは、抹茶やアプリコットなどの8種類の塩の中から1つを選び、運ばれてきた野菜の天ぷらに付けながら、ぼそっという。
「ということは、俺たちと浩一のとこは、この日の出費はえらいことになるなぁ、、、ははっ。」
玉田が拾う。
「そこは、THLみんなイーブンでいたいよねぇ。君たちは、結婚記念日の代わりの記念日を決めてくれ。っで、4組それぞれ自分たちのお祝いも自腹でってことにしたら、反対に年3回で4組分のお祝いを公平にできるだろ。俊樹流に言うと、HappyをShareしてEnjoy!って感じか?」
「俺はそんな言い方しないぞ。はっはっは。」
「でも、それって無理なくみんなで幸せを分かち合えていいんじゃない?きっと、1年間過ごす中ではいろいろあるのよ、それこそハッピーじゃないことも、喧嘩も。でもね、みんなでそういうものも分かち合って、それで年1回『あぁ、今年も1年間二人の、そしてみんなの幸せが積み上がったぞ』っていう会をみんなで重ねてくの。素敵じゃない?」
香穂がしみじみと言った。すると、もうそれで決まりとばかり由美香が続けた。
「それで、香穂さんとこは、いつの何記念日にするの?」
「うーん、、、ちょっと待ってて。浩一と打ち合わせが必要よ。」
「じゃあ、竹内さんと春麗は?」
「俺にとっては10月1日かな。。。春麗は?」
「そうですね。それがいいです、私も。ふふっ。」
葵が嬉しそうに突っ込む。
「それって、なになに?」
純平が隣で即答する。
「上海-正大広場記念日っていうんだよ、それ。まだ恋人にもなる前、出会った日。Jakeは話してくれないんだけど、相当な偶然の出会いと展開だったみたいだからなぁ。だって、東京からの出張者が、中国の百貨店のアクセサリー屋のオーナーと意気投合して付き合うところまでって、そうそうあるもんじゃないですからねぇ。」
「まぁ、俺らのことはその辺でいいじゃない。っで?浩Kouと香穂ちゃんは?」
純平が、またはぐらかされた、という目で俊樹を見る。
「6月30日っだったと思う。」
答える浩一の横で、香穂がiPhoneのカレンダーでまだ調べている。
「何の日ですか?」
春麗が聞くと浩一が喋り始めた。
「香穂が俺に心を許した日。
俺は彼女にだいぶ長い間アプローチしてたんだけど、暫く、香穂は俺に見向きもしなかったんだよな。当時、俺は香穂に同じ感性をもってるって直感してたし、俺が持ってないものをたくさん持ってる香穂に惹かれてたんだけど、香穂は旦那さんを本当に愛してたからガードが固かったんだよ。でも、3年前のその日に、俺は香穂に呼び出されて、飯食って、その後2軒ハシゴして、肩肘張って頑張ってた香穂が全てをさらけ出して泣いた。もうテンパってたんだな。でも、俺はそれが香穂だって前から感じてたから驚くことはなかったし、心底慰めてやることができたって今でも思ってる。っで、その日は何もなく家に届けた。でも、それからよく飲みに行くようになって、暫くは本当の心の友だったんだよ。まぁ、気がついたときには、いつの間にかホテルにも行く関係にもなってたんだけどね。
ちょうどその日は、香穂と一緒にやろうとしてた仕事が、香穂の社内の陰謀で潰された日なんだよ。だから、多分間違いなくこの日だと思うんだ。」
「これで、Aniversaryは出揃ったね。」
「ところで、葵ちゃん、体と心はどんな状態なの?」
香穂が、敢えて明るく聞いている。
「皆さんにホント感謝してます。いろいろとご心配とご迷惑をお掛けしました。身も心も助けて頂いたおかげで、明るく今日を迎えることができました。何回も心が折れそうになったけど、その度に、ジュンくんは言うまでもなくなんだけど、皆さんに力を与えて頂いたの!
っで、来週からは仕事にも復帰だし、気持ちは充実してます。最初は復職プログラムで縛られるから、気持ちものんびりと復帰していくつもりで。それで、脚はご覧の通りギブスも取れて、キッチリとくっ付きました。筋力も落ちて右足だけ痩せちゃったから、まだ、ヒールは少し怖くて履いてないけど、リハビリっていうか、トレーニングは続けていくの。それから、肩はもう大丈夫なんだけど、こっちも一回砕けちゃったから、関節がまだ十分に動き切らないのね。でも、リハビリをちゃんとしていったら戻るって言われてるの。それから問題だった腕がポッキリ行っちゃったところは、実は、最初は折れた2本の骨のうちの太い方が肉をつき破って外に出ちゃってたんだって。っで、腕も折れたところから45度ぐらい曲がっちゃってて。あっ、ゴメンね、食べてるのに。。。でも、手術で引っ張って中に戻して、まっすぐにしてボルトを4本入れて、、、ボルトって言っても太い針金ね、、、固定してたの。やっとくっついたって、先週、針金も取れて、この薄いギブスだけになったのよ。針金ね、抜いた時、麻酔も何もないのよ。びっくりだったけど、ククって抜けていくの、かなり痛かったけど快感だったぁ。ははっ。
でも、ホント、こんなに心も回復できたのは、皆さんのおかげ。有難うございます。もう、お酒もほどほどならいいって言われたし。」
純平が返す。
「酒はいいけど、足をぐねったり、腕ついたら危ないって先生に言われたでしょ!みんなの心配とご協力を忘れないように!いいね!!」
葵は、肩をすくめて微笑んだ。
「でもね、先生も、30代にしては治りが早いって。だから、しっかり食べて言われた通りリハビリを続けるの、これからも。これ、頑張れたの、玉田さんと由美香のおかげも大きいのよ。私、絶対、ハワイでのお二人の結婚式、出たいから、間に合わせるからって。へへっ。」
「ありがとね、葵。私も絶対来て欲しいもん。あと3週間後の今頃には結婚式、終わってるよ。」
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