第37話 ビジネスマネジメント

25階のエレベーターを降りると、目の前にはクロード・モネの『アルジャントゥイユの橋』が渋みを帯びた金縁の額に飾られ、その下にあしらわれた、パープル、ピンク、ブルーのバラと白いかすみ草の大きなアレンジメントが静かな華やかさを演出している。俊樹と奈緒は、少し毛の長いグレーの絨毯に降り立った。左手には白い壁の廊下が続き、右手には、壁を背にして、明るい木目のレセプションに2人の上品そうな女性が腰を掛けている。俊樹たちがが降り立つのを確認して、二人同時に立ち上がり、手を軽く前で組んで会釈をする。

俊樹は、右側の女性の前に立ち、確認した。

「ビルフォーレンジャパンの竹内と申します。15時に平野取締役とお約束でお邪魔しました。」

「承っております。平野が部屋でお待ちしております。こちらへどうぞ。」

そういうと、女性は廊下の方に進んでいく。突き当たりを右に曲がると、すりガラスの窓と白い壁と大きなドアのセットが奥に向かって左右に並んでいる。

案内してくれた女性は、左側の奥から2番目のドアをノックした。中から優しい声で、どうぞ、と聞こえ、ドアを内側に開けた。俊樹と奈緒が進み入ると、正面一面の窓から少し曇った都内の風景が一望できた。左右の白壁。左側には大きな濃いブラウンのデスクの向こう側に黒皮のチェアの背もたれが部屋の中央を向いて覗いている。右側の壁沿いには、デスクと同じ木目の腰丈のサイドボード上に72インチの液晶テレビが乗っており、その前には、8人掛けの少し高いデスクに黒い椅子が並んでいる。その窓側の椅子に2人の男性がワイシャツ姿で座って、薄く微笑みながらこちらを見ていた。

「お邪魔します、取締役。お呼び頂いて光栄です。今日は、私と一緒に御社を担当させて頂いている松下を同席させて頂きます。」

「やぁ、どうも。本当はこちらからお礼にお邪魔しないといけないところ、申し訳ないですねぇ。」

平野は、そういうと、ちらっと右隣に座っている男に目をやり、続けた。

「あぁ、こちらは、うちの部のグローバル管理チームを見ている田所部長。うちの部は、実質的には本部と同じだけれども『部』の名称にしているから、チーム長は部長職なんですよ。管理部門が大きく見えるのは、社内的にも、外から見ても良くないですからね。」

3人は、テーブルの手前で名刺交換して、着席した。すると、平野が口を開いた。

「先日のメキシコの件は、大変お世話になりました。対応は始まったばかりですが、差し当り適切な時間が稼げましたよ。」

「いえっ。御社の決裁ラインがあれだけ早くに一本化されて、それが間違いなく運営できたことがすべての勝因です。本当にこれができる日系企業は少ないですから。」

「とにかく、竹内さんの適切なリードがあったし、海外連携も間違いなかった。進めやすかったですよ。田所君は、私を信じてくれて、あなたの指示を徹底してくれました。おかげで、私も株を上げることができました。っはっはっは。

今日お越し頂いたのは、きっと、これからマクレナンさんといい仕事がしていけそうだって思ったわけです。

っで、先日来のグローバルリスクマネジメント戦略のご提案もなかなかですし、まずは田所君とあなたにあってもらおうかと思ってお越し頂いたわけです。」

「あらためまして、田所です。よろしくお願いします。」

おそらく、俊樹と同年代か少し下の年齢に見える田所は、優しい面持ちだが、平野の片腕であり、目の奥にはキリッとしたものを漂わせ、切れ者であることを感じさせる。こういう時は、気をつけないと、どこかで失敗した時には挽回が難しい相手である。一方で、いい関係を築けたら真の味方になるケースが多い。俊樹は、あらためて気を引き締めた。奈緒も同じく感じ取っているようで、少しピリッとしたのを隣に感じた。

「ご提案についても、この松下と私を中心に検討して参りました。」

俊樹に続いて奈緒が拾う。

「松下でございます。ご提案の内容は、まだ机上の空論のところがあろうかと思っております。御社のERMやグローバルガバナンスについてお教え頂き、ブラッシュアップしたいです。いい機会を頂けて、本当に嬉しく思います。」

「恐らく、このお部屋でお話を頂戴しているということは、今お付き合いのあるコンサルティング会社や御社の中でそちらと懇意にしている方々へのご配慮もおありかと拝察しますが。」

「やっぱり、竹内さんは、話が早い。」

そういう平野は田所の方に目をやると、田所もややうつむき加減に平野の方をちらりと見て、俊樹と奈緒を順番に眺めながら言う。

「仰せの通りです。平野と私は、少し馴れ合いになっている今の検討・推進体制にメスを入れていきたいんですが、関連部門も多いので、1つ間違えると我々自身も立場を失いかねないわけです。ただ、そろそろ次のステップに進んでいかないと、グループ全体の将来が担保できないだろうと思っています。まずは、御社への移行について戦略だてすることからご一緒頂かないといけないんです。我々もやはり日系企業ですので、スパンスパンと進められないジレンマはおありでしょうし、少し長い取り組みにもなっていくかとは思います。」

「承知しました。」

奈緒が疑問を呈した。

「それですと、先日のメキシコの件でも、弊社をご起用頂くのは大変でしたでしょう。」

田所が、奈緒の方に向き直って語り始めた。

「実は、あの時、やはり、初動では現場の人間があちらに相談をしています。でも、ノウハウがないのか、組織的に弱いのか、大した支援が得られないということがよく分かりまして。これまでも、グローバルの対応をお願いしてきたんですが、海外連携があまり良くなくて、ポジションの取り合いが我々にもスケスケなんですよ。ここがマクレナングループさんとの大きな違いで、グローバルのノウハウを本邦で遺憾なく、しかも機動的に発揮頂けるのは素晴らしいですね。

それゆえに、全体についても御社と協業していくことを模索できると早々に判断できているということです。我々ももう少し御社に関する判断材料を集めていく必要はありますが、期待にお答え頂けるものと考えています。」

俊樹は、ワクワク感を必死に抑えつつも、この打ち合わせの意味の大きさを実感していた。世界トップクラスの自動車メーカーの中枢に入り込むチャンスは、日頃の企業研究と継続的な提案、そして些細な案件から繋がっていくものだと、あらためて感じる。明朝には、早速、戦略と体制作りを樹と浩一、高橋と打ち合わせないといけない。、、、不安材料はリソース。そう、人員体制である。



先行投資をCEOは認めないだろう。一定の成果まで、組織の体力が持つだろうか。持たせるためにどうしようか。

俊樹が頭を悩ませていると、純平と望が、オフィススペースに戻ってくるなり、コードも脱がずに俊樹のところに来た。

「Jake。ちょっといいですか?どこか空いてる会議室で短時間。」


「どうした?」

「RITSの件で、報告が2つ。1つは、Evacuation Planの件。執行役員会で通りました、と。これで実務フェイズに移りますから、あと2週間程度でクローズできます。インカムはUSAのJordanのところとイーブンシェアですから、400万円程度で確定です。」

望に続いて、純平が拾う。

「2つ目は、BCPは、延期です。同じく、執行役員会で総論賛成ですが、RITS本体の体制準備に時間がかかりそうで、体制準備のためにさくリソースが用意できないとのことです。それで、グローバル インシュアランス プログラムのファーストフェイズが完了するまでは延期するということになりました。ただ、執行役員会でリスクマネジメント部の活動は高く評価されているということで、今日、Richardから私たちに感謝の言葉をもらいました。

Shinにも会って裏を取ってきましたが、他者が動いているとかいうことはなく、手一杯は事実ですねぇ。

これでいくと、BCPは、来年の1月末以降の仕切り直しです。」

俊樹は、聞きながら、頭の中でリソースについてフル回転で検討していた。これで、かろうじて萱場自動車案件を回せるだろう。RITSのBCPが来年にずれれば、来年の予算達成構造にも寄与するだろう。

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