第36話 父と娘
「内定、決まったよ!」
玄関に入ると、いきなり紫が大きな声で駆け寄ってきた。これまで、のんびりしている感じだったが、彼女なりに切羽詰まっていたのだろう。俊樹は、大きな笑顔で、答えた。
「そうか!良かったなぁ!!
っで、どんなとこだ?」
靴を脱ぎ、家に入りながら聞く。
「エニーエンタープライズ!辞退者が出たって呼ばれて、3次面接と最終面接やって、人事部長って人と握手してきた!
行きたいところだったから、ホント良かった。。。」
「っで、何をやれるの?」
部屋に入り、ネクタイを外しながら聞くと、紫は俊樹の後を追いかけて俊樹の部屋に入ってきた。よほど嬉しいらしく、聞いて欲しくて仕方がないのが伝わってくる。
「まだわかんないけど、大きな区分けが、音楽か、映画か、アニメなんだって。その、人事部長から、どこになるか分かんないし、転勤もあるけどいいか、って言われたけど、そんなことは当たり前だから、即答でYesって言って握手した。」
「そうか、良かったなぁ。」
「明日の夕方、また行くんだよ。なんか、説明聞いて書類をもらうらしいの。」
「本社だよなぁ。オレの会社から2ブロックしか離れてない。」
「えぇっ?そうなの?6時に終わるから、食べに連れてってよ。」
「OK。お祝いしよう。」
陽も短くなったもので、俊樹が午後5時45分に会社を出た時には、あたりはすっかり暗くなって、夜が始まっていた。
まだできて1年たらずの日本有数の壮大なそのビルは、東京オリンピックを見据え、外国人宿泊者の増加を見越して建てられたものである。1階から4階にはレストランが配され、その上、20階までがオフィスになっている。21階から50階までがホテルで、51階はフロア全体が1つのレストランで占められており、1階から2基の専用エレベーターでしかそのレストランに上がれない。一人当たり3万円は下らないメニューに、一般の客というのはなかなか登ってくることができない。屋上フロアにはバーと寿司屋があり、ここも51階で乗り換える専用エレベーターでしかたどり着くことができない。
俊樹は、紫からLINEで指定された3階のコンビニエンスストア隣接の休憩スペースに向かった。普通のコーヒーショップよりも広いスペースに、おしゃれなコーヒーショップと同じようなテーブルと椅子が配置されている。俊樹は、その中を一回りし、紫を探すが見つからない。iPhoneを取り出し、紫に電話すると、目の前に座っている女性のiPhoneが小さく鳴った。黒々としたロングのパッツンヘアに少し濃いチーク、明るいルージュに、丸みを帯びた黒いフレームのメガネをかけている。黒いセーターの首元から白いシャツの襟が見える。よく見ると、紫である。そういえば、外で紫と待ち合わせるのは何年ぶりか。あまりに大人で分からなかった。
紫は、目が合うとにっこりと微笑み、机上に広げていたシステム手帳を閉じ、ペンと一緒にベンチシートに置いた黒いバッグにしまった。
「よぅっ。」
紫は、バッグとえんじ色のマフラーと紺色のコートを手に持って立ち上がった。今度は、158㎝の身長が、だいぶ小柄で子供に見える。
俊樹が問いかける。
「さぁ、何食べたい?」
「なんでもいいよ。美味しいもの。何、食べさせてくれる?」
普段、家では見せない甘えた表情になって、上目遣いで答えた。
「じゃあ、2階にいい店がある。」
レセプションでは、案内係のモデル体型でおしゃれをした男性が電話を切り、すぐに窓際の角の4人席へと2人を案内した。暗い店内は、濃い木目調と、濃いグリーンのテーブルクロスやシートでまとめられた落ち着いた雰囲気である。俊樹は、奥側のベンチシートに紫を座らせ、自分も向かいに座った。やや低めのテーブルと椅子で、地面についた足が余って少し浅く掛け直す。
「アジアンフードっていうから、もっと明るくてワサワサした店かと思ったよ。ここ、大人じゃん。」
紫が嬉しそうにそう言うと、先ほどの案内係が水と何冊かの種類の違うメニューを持ってきて、微笑みを残して去っていった。外国のタブロイド紙を模したドリンメニューからカクテルを選び、生春巻き、オイスター、ラムとパクチーのサラダ、ブラックアンガスの鉄板焼きをオーダーした。
「今日で、しっかりと内定確定っていうのが実感できたよ。なんかホッとした。。。」
「おめでとうの乾杯だ。
、、、あとはちゃんと卒業してくれよ。」
「大丈夫。そこはしっかりと。」
「それさえできるなら、あとは悔いがないぐらい、今のうちにいろんなことを楽しめよ。まとまった時間は、社会人じゃなかなか取れないからな。」
「ねぇ、大学入る時から、早く家を出ろって言われてたじゃない?ママは嫌がってるけど。」
「若いうちに、うちの近くでいいから、家を出て全部自分でやってみるっていう経験をしたほうがいいって言ってるんだよ。」
「そういうこと?私が勝手なことばっかりしてるから、もう一緒に住みたくないのかと思ってたよ、ずっと。
、、、だって、いっつも怒った口調で言うから。そんな気持ちは伝わんないよ?」
「そうか。。。」
「でもね、私、社会人になったら、どこかに部屋借りようかな、とも思ってるの。」
「ふーん。でも、家の近くでいいんだぞ、地方勤務じゃないならな。」
「その時、一番気掛かりなのは、ママとパパのことだよ。大丈夫かってね。」
俊樹は、「早くもその話題に来たか」と思いつつ、絢也と外食した時のことを思い出した。子供達は子供達なりに考えたり心配しているのが確認できた気がする。やはり、子供達の独立まで離婚を我慢している価値がある、と再認識する。
「まぁ、その時のことはその時になったら、考えて行動するさ。」
「私はママから色々聞くことが多いじゃない?パパのことをひどく言ってる時もあるわ。でも、寂しいんだと思うよ、こんだけ冷えた夫婦生活って。」
「そうかもな。でもな、20年以上前から、ママはパパと距離を置きたがってきたし、根本的に考え方やありたい生活が違うのは分かるだろ?俺はアウトドアが好きだし、みんなとワイワイするのが好き。ママも結婚前にはそう見せてた。だから、一緒にウインドサーフィンにも行ったし、キャンプにも行った。友達みんなで飲みにも行った。結婚直後からは、もう、ことごとく断られたし、俺とべったり一緒にいるのも嫌がってきたんだよ。お前だって、お誕生会、やってもらったことあるか?家に人を呼ぶのは面倒くさいってあるか?」
「んー。確かに。。。友達を呼ぶって言っても、ただ自分の部屋に入れるだけって言っても、叶ったことはないね、。。」
「結局、2人が一緒にいる意味ってないんだよ。」
「そうね。2人が会話するのって、私達子供のことしかないし、必ず喧嘩になるしね。っで、決まってパパは喧嘩の途中でいなくなっちゃうし、ふふっ。」
「俺にとっては、外人と会話してるほうが会話が成り立つ。わかるだろ?あることの話をしようとしても、自分の理屈で別の話にすり変わって、元の話に戻そうとしても怒り出して無理。会話にならないんだよ。まぁ、典型的なB型だから、それで嫌ってるわけではないんだけど、それ以上会話を続けるのは無駄、というか、いい方向にはいかないし、深みにはまって大きなことになりかねないリスクばっかり大きくなる。だから、俺は敢えてその場から離れてるんだよ。」
「んー。まぁ、いいんじゃない?ちょっとわかった気がする。でも、将来は2人だけになるんだよ。大丈夫?」
「人生、80年、90年でな?あと30年、40年あるんだよな。この先の長い人生、きっとまだまだいろいろあるんだよ。お前らの帰る家が2軒に増えるかもしれない、とか。はっはっは。」
2人は、食事を終えてからも暫くそこでドリンクを頼み会話を楽しんだ。それから、52階のバーに場所を移した。俊樹は、これが春麗と一緒なら、少し無理をしていることはわかりつつも、今頃、下のホテルの部屋を予約しただろう、と考えていた。
バーからは都内を一望できるが、窓側に座るだけで4,000円のチャージがかかると案内されると、紫が拒み、奥のハイテーブルに座ることにした。メニューを見ると、1本32万円のワインや、1杯3,000円のウイスキーなどが並び、紫が驚く中、それぞれカクテルをオーダーし、会話の続きを楽しみ、電車があるうちに帰路についた。
帰りの電車は思いの外空いており、2人並んで座ると、暫くiPhoneを弄っていた紫は、いつの間にか眠っていた。その横顔を見ながら、俊樹は、嬉しさと寂しさを感じつつ、一人思った。
「次にこんなシチュエーションはいつあるんだろうか?いや、そもそもあるんだろうか。。。」
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