第30話 幅と深さと奥行きと

翌日、グループラインが入ってきた。

「岡田純平から皆さんに吉報です!

葵が今週土曜日の昼前には退院となります。

右足のギブスが取れるまで、あと2〜3週間ぐらい。

それまでは自宅療養と通院です。

左肩と腕はもう少しみたいです。

いろいろと、ご心配をお掛けしました。

ご迷惑は引き続きですが、宜しくお願いします。」

一斉にみんなから祝福メッセージが入ってくる。


2日後、午後4時半。俊樹は萱場自動車で打ち合わせを終えた。ここから四葉記念病院までは一駅、少し立ち寄ってみることにした。

南病棟の5階に上がり、504号室に向かっていると、向こうから、葵の母が帰り支度をして歩いてきた。今日は買い物に行くので、もう帰るのだという。俊樹は母に退院予定を祝した。母は、嬉しそうに、「有難う。今、病室には、玉田さんを含めて四葉火災のメンバーが4人来てますよ。」と俊樹に告げて、そのまま階下へ降りて行った。俊樹は暫くエレベーター前の長椅子で待ってみたが、四葉のメンバーが帰ってくる気配はないので、そのまま帰ろうと席を立った。その時、エレベーターから香穂が1人で降りてきた。

「あぁ、香穂ちゃん。1人?今ね、会社の人たちが来てて、多分仕事の打ち合わせも兼ねてそうなんだよね。俺も暫くここで待ってたんだけど、終わりそうもないから帰るところ。」

「どうも。一昨日は楽しかったですわ。有難うございました。、、、そうですか。じゃあ、今日は出直したほうがよさそうですね。

宜しければ、お茶しませんか?」

2人は11階のカフェルームに行くことにした。


香穂は、昨日も日中に見舞いに来たという。

「実は、私も10年ほど前に交通事故で瀕死の経験があるんです。っで、子供を産めない体なんです。まぁ、死んだ夫もご両親に結婚を反対されたりいろいろあったんですよ、当時は。今は歳も歳ですし、環境も変わってるから、もういいんですけどね。ふふっ。」

俊樹は、ふふっじゃない、と慌てた。そんな個人情報をいきなり聞かされて。

「そう。大変だったんだなぁ。Kouも知ってるの?」

「えぇ。昨日ここに来たことも。

なんか、葵ちゃんのことは他人事じゃないんですよね。でも、内臓疾患は無くて良かったですよ、葵ちゃんは。

そうは言っても、これだけの怪我だから、精神的にもきつかったと思うし、生きるっていう意味に向き合ったと思いますよ。っで、元気になってきて、今度は仕事のことも気になるけど、まだ手出しできないジレンマ。会社の方々が来てらっしゃるのは良かったわ。

一昨日の会食で、皆さんのことや、皆さんの関わり合い方、いろいろ教えて頂いたでしょ。なんか、昨日はもうじっとしてられなくて、いきなり午後半休取っちゃって、ご迷惑かなぁって思いつつ、面会時間中ずっといさせて頂いたの。お母様や純平さんと話をさせて頂いたり。

でも、葵ちゃんの今の境遇は共鳴できるものが多くて、一緒にいれたのが少しは良かったんじゃないかなぁって思ってます。」

俊樹は、自分も事故で死にかけた経験を持っていながら、葵の精神的ケアは欠けていた、と少し反省した。

「そう。良かったよ。有難う。

俺も昔、事故で死にかけてるのに、葵ちゃんの心のケアは足りてなかったよ。でも、結果的に、香穂ちゃんがしてくれたほうがもっと効果的で良かった。香穂ちゃんの体のことって、THLでシェアされても大丈夫?それとも?」

「大丈夫ですよ。というか、私にとっても、みんなにとっても、この話題って、今後の人生を豊かにする上で大事かなって。今まで、私もそういう相談やシェアできる人、浩一しかいなかったから。でも、浩一だって、慮ってくれてとても優しいけど、男だし、そう言われても1人でどうこうできたりするわけじゃないでしょ。」


俊樹は会社に戻り、香穂は504号室に行ってみることにした。病室に、もう四葉火災のメンバーの顔はなく、春麗がパイプ椅子に座り、ベッドを起こし、夕食を摂っている葵と談笑していた。春麗の声がする。

「葵ちゃん、ほんと、良かったね。土曜日は?Jimmyさんとママが迎えに来るのかしら?、、、そう。できることがあったら言って下さいね。

そういえば、これでママがうちにいて下さらなくなるの、寂しいわ。でも、お父様もご不自由していらっしゃるんですものね。これからも時々遊びにいらして下さったら嬉しいわ。」

「こんばんは。葵ちゃん、いかが?シュンちゃん、お邪魔してもいいかしら?退院決まったのね、おめでとう。」

葵が香穂を振り返り右手のスプーンを置いて手を振りながら答える。

「香穂さーん!いらっしゃい!!今日も来てくださったの!嬉しい。」

春麗は、葵と香穂の距離感があまりにも近くなってることに、理解がついて行っていない。それに気づいた葵が春麗に言った。

「シュンちゃん。香穂さんね、昨日の午後半日、ここにいて下さったのよ。香穂さんも前にいろいろあって私と共鳴していて下さるの。昨日から私の精神安定剤になってしまってるのよ。」

「シュンちゃん、こんばんは。葵ちゃん、連日でごめんなさいね。

シュンちゃん、さっき、俊樹さんと偶然お会いして11階で少し話したんだけど。あっ、今日は仕事が残ってるってすぐに職場に戻られたの。

それでね、私も10年ぐらい前に交通事故で瀕死の重傷を負ったの。その時、私は外科と、内臓もちょっとやられちゃって、子供を産めない体になっちゃったのよ。葵ちゃんは、骨折だけで、不幸中の幸い。ほんと、良かった。でも、私は大丈夫よ。もう42歳の未亡人だし、そんなことを悔やむ時期は過ぎたわ。ふふっ。

そんなことがあったから、っで、一昨日、THLでみなさんのつながり方を聞かせてもらったら、勝手な話なんだけど、葵ちゃんを放っておけなくなっちゃって、昨日の午後、ずっとここにいさせて頂いたの。っで、いろいろお話できて。」

「そうですか。葵さんに、もう一人力強い仲間ができたっていうことですね。良かったわ。」


暫く3人で話をしているうちに、面会時間の終了を告げるアナウンスが流れた。春麗と香穂は一緒に食事をすることにして、葵に別れを告げた。


一駅ほど話しながら歩き、香穂が浩一と時折行くという炉端焼きの店に入った。店の引き戸を開けると、すく左側には8人程度収容する小上がりがあり、右半面は奥に向かってカウンターになっている。小上がりの奥には、8組分の炉端テーブルが見える。炉端焼き用に作られたロの字型の荒削りの木机が濃いブラウンに磨かれており、それぞれ真ん中に炉がセットされている。テーブル席は、ほぼ満席で、2人のホール担当が忙しそうに応対している。

香穂と春麗は、カウンターの一番奥に陣取った。

「香穂さん、お久しぶりです。女性2人とは珍しいですね。初めての方ですよね?」

カウンターの中から、店員が声をかける。

「そうね。浩一のお友達の彼女さんよ。私の最もホットなグループのお一人だから、きっとまたお邪魔するわ。

シュンちゃん、生でいいかしら?、、、じゃ、とりあえず生を2つ。それと、、、シュンちゃんは好き嫌いある?、、、良かったわ。それじゃあ、焼き物は、タカさんにお任せするわ。お腹の空いた女性2人が3、4杯ぐらい飲んでお腹いっぱいになるぐらいで。」

「今夜はKouさんも俊樹さんも仕事が忙しいみたいですね。一応、グループLINEしておきますね。

、、、香穂さん。お二人のこと、また聞いてもいいかしら。

Kouさんとは、どんな頻度でデートするの?どんなところに行くの?」

「そうねえ。、、、それにしてもベタな質問だわねぇ。っふっふっ。」

「いえ。俊樹さんは、基本的に家に帰りたくない人なのね。だから、時には私が『今日は来てはいけません。ちゃんと帰りなさい』って。ふふっ。

でも、Kouさんは、奥様もお子さんも大事にしてるって聞いてます。そうすると、香穂さんとどんなバランスなんだろうって。」

「浩一とは、短い時間たくさん会ってるかな。っで、たまに旅行とか、私の家にお泊まりとか。そうね。私の家に泊まるのは、2人にとってはちょっとしたイベントね。多分、シュンちゃん達には、日常でしょ、それって。

それと、お昼を一緒に食べることもよくあるわ。反対に、俊樹さんはお昼間は仕事に没頭してるって聞くから、シュンちゃんには滅多にないことかな?

たまーにだけど、お昼休みを引っ掛けて、ホテルに行くこともあるわよ。そうすると、その後、ほんとに仕事を頑張れたりとか。ヘヘッ。」

香穂が肩をすくめながらペロッと舌を出す。普通の40代女性がこれをしたら、周りは少し引きそうだが、香穂の場合、美人な顔から急に可愛い大人の顔になり、そのギャップについ引き込まれてしまう。

「ねぇ、シュンちゃんはどうして俊樹さんだったの?」

「それもまたベタな質問ですね。ふふっ。」

「私にとって浩一は必然だったから、シュンちゃんはどうかなって思ったのよ。」

二人は、お互いに質問しては、答えに同調したり、違いを確認したり、お互いの今置かれている状況や、生き方、恋愛観などを、徐々に理解し合っていった。

春麗が、ふと、iPhoneを手に取りLINEを確認すると、俊樹から。

「今日は無理だ。楽しいおもちゃを目の前にして帰れない。KouもJimmyも一緒にやってる。

炉端焼、Enjoy!」

公園からいつまでも帰ってこない子供達のような返信を見て思わず2人は笑った。春麗は、そんな俊樹を可愛いと思う。

その時、表の引き戸が開き、由美香が入ってきた。予期していなかった2人は、顔を見合わせ、二人揃って嬉しそうに由美香に手を振った。

「由美香さ〜ん!」

相変わらずのキャリアウーマンが颯爽と近づいてくる。薄いブルーのシャツの胸元に小さなダイヤのネックレスをして、黒のジャケットを羽織っている。膝丈の黒いタイトスカートからスラッとした脚が伸び、赤いヒールのつま先までしゃんと背筋を伸ばして162㎝が歩いてくる。

「どーも!お邪魔じゃない?ご一緒していいかしら?あっ、私も生、下さい!冷た〜いヤツ。

仕事終わってLINE見たら、食べてるって。場所をみたら、うちの会社から近いじゃないですか。っで、来ちゃいました。

あっ、お疲れ様です〜。乾杯!

、、、あー、美味しいわぁ。」

3人は、さっきの話の続きをした。それから、春麗が葵の母に電話をして、葵の退院の手伝いについてスピーカーホンで打ち合わせた。

「それじゃあ、ママ、またお電話差し上げますね。おやすみなさい。」

春麗が電話を切ると、由美香が二人に問いかけた。

「ねぇ、これまで病院が集合場所だったでしょ。今度は、Jimmyさんと葵さんの愛の巣がそうなるってことかな?そうなると、あそこの近くに食べに出るか、家でパーティーっていうのが暫く増えるのね、きっと。ははっ。それも新バージョンで楽しみだわねぇ。」

「そうね。ふふっ。みんなでデパ地下の惣菜持ち寄ったり、食材買って来て鍋やったり?ねぇ?おうちは何処なの?

本人達不在でこんなこと勝手に言ってていいのかしら。ふふっ。でも、楽しみだわ。」

「確か俊樹さんが2人のお住まいは下北沢って言ってたわ。ギブスでも行けるような広めのレストランを探しておきましょうよ。」


ビールから焼酎に変わり、少し落ち着いてきた。スピーカーからは、福山雅治の『東京』が流れている。春麗が由美香に問いかけた。

「ねぇ、由美香さん?結婚式の準備はいかが?あと2ヶ月半ぐらいでしょ?お仕事も忙しそうだし。」

「そうねぇ。ものすごく楽しんでるわ。祐一で良かったって思うし。たぶん普通の男性なら、この年齢差で、かつ、私の年齢なら、『お前の好きなようにやりなさい』的な感じだと思うの。でも、彼は『由美香にはこういうのがいいんじゃないか?それなら、俺もこんな風かなぁ』なんて、一緒に楽しんでやってるのよ。結婚後の生活のことも、いろいろ妄想しながら、でも、だんだん地に足のついたイメージっていうものが少しずつ共有できるようになってきて。なんとなくなんだけど、私はこの年まで結婚しなくて良かったのかも、私にはこういう落ち着いた2人感が合ってるのかも、って思えてるのね。こういう幸せを掴もう、一緒に育もうって。」

春麗が拾った。

「素敵だわ。すごく刺激になる。さっき、香穂さんにもいろいろ教えて頂いていて。そう、私にとっては、今の環境は、きっとあと5年は少なくとも変えてはいけないし、変えたくないの。でも、それまでの間も、2人は、進化っていうのかなぁ、より深くて幅があって奥行きのある関係を育んでいきたいの。これからもずっと同じでは、俊樹さんにとってただの逃避場所になってしまうし、私も進歩しないもの。私たち、この6年間でどんどん広がって、深まって、変わってきたのね、心豊かに。だから、いつも新鮮だし、その、いつまでも限界がないっていうことはすごく大事なの。今日はお二人から次のステージに向けたヒントを頂いてるわ。」

香穂が、はぁっ、と感慨深げに続けた。

「ねぇ。シュンちゃん。今年34だっけ?あなたってすごい子ね。私、あなたから、もういっぱいいろんなこと教えてもらってる。ちょっと恥ずかしくなるわ。THLの関係性って本物ね。みんなと一緒にいたい、人生を共有したいっていう意味が少しずつ分かってきたわ。この輪が自然に出来上がってるって凄いわね!」

「私の基点は、俊樹さんの『Enjoy!』なの。人生のEnjoyの仕方を教えてもらって。今は、自分で勝手に限界だと思っていたものを、THLの輪の中でどんどん取っ払ってもらえていて、みなさんにも感謝ばかりなの。

だって、日本に来て2年、34歳の中国人が50歳の日本人と不倫してて、とかって、普通、人にも言えないし、言った時には崩壊が始まる時で、たった1人で寂しい思いしながら肩肘張って頑張って生きていかなきゃ、っていうのがきっと普通のはず。でもね、私は国籍も年齢も結婚も超越して俊樹さんが必要で、俊樹さんも私を必要としてくれていて、私を本気で守ってくれて、守りながらも皆さんに会わせてくれて、普通の日本人同士でも羨ましがられるような仲間に入れて頂いてって。私の思考を超える人生の幸せが広がっていってるの。」

なぜか、急に春麗の眼には涙が溜まり、ほうを伝って流れている。春麗自身がそのことに驚き、2人に微笑みながら続けた。

「あはっ。そうなんです。そうお話ししてるだけでも、嬉しくて感謝で涙が出ちゃうの。うふっ。THLができた頃は、毎日夢見てるようで、俊樹さんの胸でよく嬉し涙を流して俊樹さんに笑われてたの。最近、少し慣れてしまっていたから、初心に帰るのは大切よね。でも、びっくりさせてごめんなさい。」

由美香が春麗の肩をポンポンと叩きながら言う。

「シュンちゃん。こんなシュンちゃん見るの初めてでちょっとびっくりしたけど、なんか嬉しいね。きっとこんな顔って、今まで竹内さんにしか見せられない顔だったんでしょ?でも、ほんとに私たちに心開いてくれてるもんね。これって、きっと、竹内さんにあなたが求めるものの幅、してあげられることや、一緒に作り上げていくものの幅を広げるのにも大事なことよ。このへんまではもう2人だけで抱える必要はないんだから。それに、そういうシュンちゃんだから、私たちもあなたから人生を豊かにするいろいろな刺激をもらってるのよ。」

みんなをさらに元気づけるように、中島美嘉のGlourious Daysが響き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る