第29話 THL拡大
「岡田さん。竹内さん。うちの河合と一緒にこの下田も担当させて頂きます。これまでも社内ではフォローしてやってましたので、状況はキャッチアップできてると思いますが。」
「玉田副部長。ご配慮、ありがとうございます。やはり、長年RITSさんをご担当されて来ただけあって、よく企業を理解なさってらっしゃいますし、下田さんにも色々教えていただいていて、感謝しています。ただ、他社さんもさすがに大きい件なので、力が入ってます。独り言ですが、体制は強化したほうがよさそうですよ。先週お渡ししたSubmissionに対して、各社さんとも海外、アンダーライティング、クレーム、リスクコントロール、システムを交えて、部長級がPMになってかなり突っ込んでいると聞こえてきています。締め切りまでは、あと6週間です。時間を取っているだけに、各社さんの差がかなり出そうな気配です。橘さんでも、下田さんでも、この件の統括としては世界のスタッフをまとめるのは厳しいかもしれませんね。ご健闘を心からお祈りしております。」
オフィスに戻ると、ちょうど拍手が起こった。そして、樹の声。
「Nicole!凄いじゃないか。この件は、うちは後発だったからなぁ!!これで、8,000万円は増収だなぁ。Roger、3人で田島取締役のところに取り敢えずお礼に行こう。本当は、俺よりJakeが行ったほうがいいんだけど、JakeはこれからNaoとRITSでRichardにBCPのプレゼンだから。とにかく、おめでとう。よくやったな。
Jake。それでいいかな?RITSは頼むぞ。」
Naoが嬉しそうな顔と真剣な顔とが混じりながらこちらをみている。手はRITSのプレゼン資料の最終確認に忙しい。束ねた資料をマクレナングループのロゴ入りの紙袋に丁寧にしまい込み、黒いトートバッグと携帯を持った。俊樹も、玉田達との打ち合わせ資料をデスクに置くと、目が合ったRogerにウインクしながら親指を立てて見せた。すぐに、カバンを持ちホワイトボードの奈緒と自分の欄にRITS - NR (No Return : 直帰)と書き入れて向き直り言った。
「Nao、Roger。おめでとう!明日朝、保険会社宛のSubmission(見積依頼)について、3人で打ち合わせたいから、セッティング頼むね。
じゃあ、RITSも契約取れるように頑張ってきます。Nao、行こう。」
俊樹は、オフィスのドアを開けながら小声で独り言を言った。
「仕事はやっぱり重なるもんだな。まぁ、Enjoyっか。」
6時20分。5階南病棟の廊下には、夕食の匂いが漂い、ナースが病室をまわってトレーを回収しているところだった。4人は、エレベーターを降り、俊樹と玉田、花束を持った浩一と香穂が並んで504号室に向かった。部屋の右奥は相変わらずカーテンが閉まっている。手前の左右は空きベッドになっていた。左奥のカーテンは開け放たれ、ベッドを囲むように純平と3人の女性がいた。部屋に入ろうとすると、すり抜けるようにナースが入って行った。
「橘さん。これお薬ね。今日はまたいっぱいのお客様ねぇ。」
振り返った女性陣は、俊樹達に気づき、葵の母が迎え入れた。
「竹内さん達。いらっしゃい。」
「どうも。葵ちゃんはどうですか?」
「見ての通りよ。元気すぎて、そろそろ看護師さん達も手を焼き始めてるわ。ふふっ。」
俊樹も微笑みながら答えた。
「そうですか。なによりですね。
ところで、今日は、新顔が2人一緒に来てます。」
「初めまして。井上浩一です。こちらは、篠田香穂さん。」
香穂が続けた。
「初めまして。篠田です。葵さん、病室にまでお邪魔してしまってゴメンなさいね。これからTHLに入れて頂けることになって、葵さんにご挨拶したくて。
これ、飾って頂けたらって思って。かすみ草と日日草。幸福と生涯の友情が花言葉。早く良くなって、幸せに戻って、そして、これからよろしくお願いします、って思って。」
葵が返す。
「THLみんな、伺ってますよ。こちらこそ、こんなところにいらして頂いてしまってすみません。早く家に帰りたいんですけど、まだダメだって。ふふっ。
っで、井上さん。浩一さんで宜しいですか?、、、浩一さんは、竹内さん、玉田さんと同期なんですって?お二人が、浩一さんはSuper Guyだって。」
「いえいえ、入口からあまりハードルを上げないで下さいよ。本性が出しづらくなりますねぇ。っはっはっ。
それにしても、Jimmyは可愛らしいひとを捕まえたもんだなぁ。事故の日は、人間が変わったように飛び出して行ったもんなぁ。そりゃ、こんな素敵な大事なひとが怪我したとなりゃ分かるよ、Jimmy。」
浩一が笑みを浮かべながら、純平にウインクしてみせる。すると、純平ははぐらかすように言う。
「それじゃあ、今日はみんなで食事に行ってくるから。おば様、あとはお願いしてもいいですか?」
「どうぞどうぞ。楽しんでいらっしゃい。」
「ママ、うちで先に寝ていていいですからね。」
春麗が言うと、浩一と香穂は、春麗と葵の母の関係が分からなくなったようで、怪訝な顔をしている。
「じゃあ、また明日。」
純平は、そう言うと、パイプ椅子から立ち上がり、みんなも葵と母に挨拶をして部屋を出て行った。
「お母さん、私も行きたいわ。。。早く元気にならなくちゃ。」
母は、葵に優しく微笑みかけた。
みんなで電車で移動するのは初めてのことである。その店は、浜松町駅から繋がるビルの最上階だった。中華料理の甘辛い香りが漂ってくる。エントランスで純平が予約を告げ、案内係が先導する。廊下の右側の大きく開けられた口から広い店内が見える。黒と濃い赤と白でやや暗く纏められたそのスペースには、壁際に沿って半円を描くゆったりしたソファとそれにセットされた半円形のテーブルの区画がある。中央は、大きな丸テーブルの4人席が8つ、一番真ん中だけさらに大きな8人席が配置されていた。窓際には、天井までの窓に沿って4人掛けの四角いテーブルが7つ見える。この廊下をしばらく進み、左側の壁が2メートルほどの幅で切られたところから、明るい大部屋が広がるのが眩しい。サイズの違う四角いテーブルが並べられた、飲茶を食す区画である。その先の右側にはドアが並び、個室になっている。先導された案内係についていく7人は、3番目の個室に入った。8人用の丸テーブルに今は7つの椅子がある。ドアを背に俊樹が座り、左に春麗、浩一、香穂、玉田、由美香、純平という並びになった。オーダーは、春麗と俊樹に任され、間も無く、ビールジョッキが7つ運ばれてきた。
今日は、玉田は静かにしている。やむなく、俊樹が仕切った。
「それじゃあ、乾杯しますか。まずは、THLが8人となったことを祝して、そして、葵ちゃんの早い回復を祈って、乾杯!」
「とにかく、このメンバーで飲むのは初めてなわけだ。俺と玉田とKouは、同期だから、何度も飲んだけど久しぶりだよな。それから、俺と春麗はこないだKouと香穂ちゃんと一緒したから、一応のところはわかっちゃいる。けど、他のみんなも同じ話題の土俵にしていこうか。ということで、やっぱり自己紹介といこう。
Kouと香穂ちゃんからいいかなぁ。」
「勿論。えーっ、井上浩一です。俺は、由美香ちゃんに自己紹介すればいいわけだな?Jake。ここでは、Jake、Jimmyで通じるってことでいいんだな?、、、OK。
えーっ、Jakeと玉田とは社会人1年目の時、同じ会社の同期で、ってことは、君の会社にいたってことだけどね。Jakeとは今もまた同じ会社。50歳になりました。結婚12年目、2歳の息子がいます。
っで、こちらの篠原香穂さんは、人生のパートナーで、俺の結婚生活では決して得ることができないものをシェアしています。世間的には、『不倫』って言われますが、燃え上がる恋が、とかいうような単純なものではないんです。もっと滲み出るようなっていうか、まぁ、そんな感じです。因みに、彼女は、私の担当するクライアントの経営企画部 部長補佐です。ははっ。以上。」
純平が口を挟む。
「えぇっ?どちらの?」
「まぁ、質問は後にして、続いて香穂ちゃんの話を聞いちゃおう。」
「はい。篠田香穂と申します。まず、THLに参加させて頂いて有難うございます。これからのいろいろなことが楽しみです。えーっと、自己紹介は年齢なんかも、かな?」
「うん。ここでは、そういったものも基本的には突き抜けちゃってる、って、お話しした通りだから。」
「では。
42歳です。トキワ商事の経営企画部っていうところにいます。」
純平が浩一の顔を覗き込み、浩一が黙って目をつむりうなづく中、香穂は自己紹介を続けている。
「えーっ、結婚していましたが、2年前に死別しました。彼との結婚生活の思い出は、いまだに私に色々な贈り物をしてくれています。だから、まだまだ忘れたくないし、まだ彼を愛しています、会えないけどね。だけど、浩一さんは、いえ、浩一は、それとは全く違う安らぎや楽しみを分かち合える大事なパートナーです。愛してますし。へへっ、照れますねぇ。
あぁ、女性最年長ですけど、ここでは、そういうものは関係なく、それぞれが生きてきた世界や、個々人をリスペクトし合ってるって伺ってるので、ぜひ、分け隔てなくよろしくお願いします。女子会も呼んでくださいね。」
優しい眼差しと整った顔立ちが微笑むといっそう美しい。
浩一がもう一度拾って続けた。
「そうっ。この会に入れてもらえることになったきっかけっていうのは、Jake?もう話してあるの?、、、まだ?OK。
実は、Jakeにシュンちゃんを紹介しろってずっと言ってたんだけど、頑として拒まれてたんですよ。それが、Jimmy怒るなよ、Jakeとシュンちゃんの上海デートを俺と香穂が目撃してて、、、」
「Kou!ってことは、お前もかって言わせたいんですね!!仕事後の上海デートが2組、、、」
純平が呆れて溜息をつき、玉田が独り言のように言った。
「いい会社だなぁ。Enjoyしてるなぁ〜。」
大皿が順に運ばれてき始め、みんな料理に手を付けながら話を聞いた。
「っで、やっと、先週ダブルデートしたんですね。それで、その時に、なんで俺には秘密でJimmyには紹介したのかって問いただしたんですよ。」
また純平が割って入る。
「えっ?僕がシュンちゃんに会ってることはなんで知ってたんですか?」
「Indigo Blueで聞いた、Jimmyと葵さんとJakeの週末中華街デートでピンときて、3人じゃなかったことはあの場でJakeに確認してるんだよ。Jimmy。Jakeと俺はお前が思ってる以上に以心伝心なの。
っで、問いただしたら、Jakeとシュンちゃんが『みなさんにも話してあるし、まぁいいか』って。っで、『ここから先は聞いたら俺も香穂も後戻りできない。ある秘密結社?いや、秘密のグループに入ることになるし、何にしても、Jakeとシュンちゃんのことを公にしたら殺す』って。ははっ。それで、THLのことまでたどり着いちゃったわけです。しかも、俺たち2人も深いところでの繋がり方が皆さんとどこか似てるし、人生の中間点にいる今を謳歌して、もっと豊かなものにしたいと思ってるし、入れて頂けるのが、結果的に願ったり叶ったりだったわけですよ。
さてっと、次は、みなさんのことも知りたいですね〜。ご紹介頂けますか?」
「そうだよね。じゃあ、玉田からいい?っで、パートナーのこともね。」
その後、ワインと紹興酒を飲みながら、順に自己紹介とパートナーについて話し、純平は葵のことについてもしっかりと紹介した。
香穂が怪訝そうに質問を投げかけた。
「そういえば、シュンちゃんは、葵さん?葵ちゃん、のお母さんのこと、ママって言ってなかった?こないだも日本でのお母さんって言ってた。それに、純平君はおば様って。なんかそのあたりの関係性が混乱中なんだけど。」
春麗が手を挙げて答えた。
「葵さんのご実家はここから2時間以上かかるところなんです。葵さんは前は一人暮らしで、今はJimmyさんと一緒に暮らしてるの。それで、葵さんが入院した時、ちょうど葵さんのお父様は出張中で、葵さんと困惑してたお母さんをTHLでカバーしましょうっていうことになったんです。みなさん、保険の処理とか、示談交渉のお手伝いとかって。っで、私は1人で暮らしているし、お母さん、毎日ここまで通ってたら体が壊れちゃうから、うちを宿代わりにして頂くことにしたんです。それで、いろいろなお話をする機会がいっぱいあるから、私も甘えてしまって、今では、私の日本でのお母さんのように可愛がって頂いてるんです。それで、いつの間にかママって呼んでます。」
「えーっと、おば様の件は、、、僕と葵は同棲中なんですよ。でもね、未婚の37歳の娘さんを同棲させてる親の気持ちって結構重たいものがあると思うんですよ。それで、結婚を前提にお付き合いさせてもらってます、って話しに家まで行ってはあるんですが、軽々しく『お義父さん、お義母さん』ではないと僕は思っているので、ケジメをつけるまでは『おじ様』『おば様』って呼ばせてもらってるんです。今回の入院で、葵のことを母親目線からいろいろ教えてもらったし、葵の生い立ちから知ることができて、おば様との距離は、下手な夫とお義母さん以上になれたっていうのは、僕にとっては、災い転じて、、、なんです。」
「なるほど。みんなそれぞれに抱えてるものがあって、でも正面から受け止めて、それで前向いてて素敵。」
香穂が締めくくった。
この日は、その後、それぞれが知り合ってからの思い出話をし、浩一と香穂はいろいろな質問をして、2人のことも話して、結果的に4時間ほど個室に居座った。
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