第22話 本当の幸せ

あれから1週間が経ち、新人も慣れてきた中、生活も5ヶ月前の落ち着きに戻りつつある。

俊樹は、オフィスデスクのPCで、新規取り組み中の自動車最大手の一角、萱場自動車向けの企画書をタイプしている。っと、メール着信のメッセージがポップアップされた。

「ご相談致したく 河合由美香」

キリのいいところまで企画書を書き上げると、メールを開いた。他に15件の未読があるが、まずは由美香のメールを開けた。

「竹内様


いつもお世話になっております。


公私ともに、少しご相談したいことがあり、メールさせて頂きました。

今夜、お時間は取れないでしょうか。

宜しければ、15分ほど公私の「公」の件をご相談した後、「私」の件のタイミングからは、「大事な方」にもご同席頂けましたら有難いです。


河合由美香」



クーラーの効いた屋内にベートーベン交響曲第7番が少し控えめに流れている。品川のホテルマルガリータの1階のレストラン・ラウンジは、昼間の明るい雰囲気とは異なり、今は上品な落ち着いた大人の空間を醸し出している。

俊樹は、カウンターバーとは反対側の、レストランスペースの壁よりにセットされた少し広い4人席に座っていた。

「お待たせしました!

お早かったんですね。時間を作っていただいて有難うございます。

あぁ、すみません、とりあえずビールを2つくださる?あとからもう1人来るので、食事はその後で。」

白いブラウスにダークグレーのパンツ、黒の低いヒール。少しカールさせた髪をなびかせて、キリッとした化粧。いかにも金融のキャリアウーマン姿で、俊樹の向かいの席に腰を下ろした。

「どうした?気になるメールで。

RITSの件でJimmyと何か?」

「いえ。RITSの件は、今のところいいポジションを頂いている感触でいます。有難うございます。

今日は、全く別件なんですが、手を組みたい件があって。まだ企業名は開かせないんですが、うちが幹事のある大手の企業グループで、保険のグローバル化をうち主導で進めているんです。でも、欧州とアメリカでそれぞれ国際ブローカーが茶々を入れてきて、スタックしそうなんです。よくあることですけど、お客さんの日本の動きが遅くて、海外が主導するように焚き付けて、うち外しに動いてるんです。この件で、御社と組めないかと思って。ここ、産業機械メーカーの大手で、世界の保険料規模で20〜30億円ぐらいにはなると思うんです。うちだけでなんとかしたいところなんですが、お客さんが国際コンサルティング会社の力を借りたいと動き出しているので。」

「面白い話だね。基本的にWelcomeだよ。お客さんにこの戦略伝えてOKだったら、企業名教えてくれる?うちの中でもネックがないこと確認する。そしたら、お客さんにうちの名前出して反応教えてくれる?OKだったら、詳細教えてくれたら、担当をアサインして、由美香ちゃんと一緒にお客さん行かせるよ。状況によっては俺かもしれん。

いずれにせよ、おたくの、うちの会社担当部には仁義を切っておいてくれよ。」

「有難うございます。心強いです。」


ちょうどその時、春麗が店に入ってくるのが見えた。

ダークグリーン基調のノンスリーブのワンピースに太めのベルト。白いサマーカーディガンを羽織っている。淡いオレンジのヒールにダークブルーのトートバッグ。薄い化粧をして、自然に後ろに流した髪をコームで止めている。

中国人とは誰も思わない。

「しゅんちゃん。」

俊樹は、少し小声で小さく手を振り、席を教えた。

由美香もドアの方を振り返り、微笑みながら小さく手を振った。

「もう宜しかったかしら?それとも、もう暫くお店でも見てこようかしら?」

「有難う。ちょうど今、お仕事の話は終わったわ。竹内さんは、仕事でもいつも頼りになるのよ。お世話になりっぱなし。さぁ、掛けて。」

コース料理とシェリー酒をオーダーし、3人で暫く雑談をした。

「っで?今日の本題は?」

なかなか切り出さない由美香に俊樹が問いかけた。

「えぇ。玉田さんとのことなんだけど。私たち、歳の離れた社内恋愛じゃないですか。葵にはちょっと相談しにくくて。それで、ごめんなさい、お二人にご相談したくて。春麗がいてくれると、こういう話するのに、私、とても落ち着くの。来てくれて有難う。」

前置きが長い、と思いながら、俊樹と春麗が顔を見合わせている。

「実は、結婚を申し込まれたの、正式に。もう少し経ってからかなって思ってたんだけど。。。」

2人とも、時間の問題と思っていただけに、驚きもせず一気に笑顔になった。俊樹は、内心、2人の間に何か問題が生じたかと心配していたので、安堵の表情も隠せなかった。

「由美香さん!おめでとうございます!それで?お受けになったのよね〜。どんなでした?でも、指輪してないじゃないの。見せて下さらない?」

「うん。。。預かったけど、まだ答えてないの。。。」

「、、、それで?何を迷ってる?」

少し冷静に俊樹が聞いた。

「私に玉田さんを幸せにできるかしら。37とはいえ、彼より一回り以上も下で。彼のお荷物にならないかしら。

彼と一緒にいたい、一緒になりたいってどんどん思うようになってて、申し込まれたことは心底嬉しいのね。そう、2人でいる分にはいいの。でもね、いざこういう状況になって、はっと心配になっちゃって。

私と結婚したら、彼、会社でどう見られるんだろう、何かマイナスになることは起こらないかなぁ、とか、彼のお兄さんの子供ってもう今年30歳なの。独身なんだけど。どんな関係になるんだろうとか、お義母さんとうまくやれるんだろうか、とか、私の父とうまくやってくれるだろうか、とか。私の人生、これでいいのよねぇ、とか。」

「申し込みに答える前から、マリッジブルー?

そうだなぁ。俺は2人がしっかり繋がっているなら、それで、これからも深く繋がっていくコミュニケーションを取り続けられるって、今時点で確信できるなら、何も問題ないと思うなぁ。周りに気をつかうよりも、『2人』ってものをしっかりと持ってることだよ、何よりも大事なのはきっと。

親や親戚問題でいうなら、大人の結婚って、親の老後の問題が迫ってきてるから、そこはちゃんと2人で考え方を話し合っておいたほうがいいと思うよ。若い結婚だと、親とうまくやれるかとかが確かに先に立つ。老後のことは一緒に長年寄り添う中で考えていくこともできるけど、そんな姑問題なんていうものじゃなく、親も嫁に対抗するような元気はすぐになくなっていって、老いていく親を目の前にどうするかってことがすぐに来る問題だから。すごい現実的で済まん。

でも、この年代の結婚って、「好き好き」ってもんじゃなくて、もっと深いところでの2人の繋がりだと思うんだよ。春麗、どう?」

「そうよねぇ。お姉さん相手に、私なんか人生経験不足だから。

でもね、一番私が言えるのは、浮かれて結婚に突っ走らなかった由美香さんだから、もう、大丈夫なんだと思う。気持ちの整理の時間が必要だっただけ。ねっ?まだ時間がいるようなら、玉田さんと向き合って、2人のいる将来の絵をふたりでいっぱい話し合って、喧嘩することだわ。そしたら、理想ばかりじゃなくて、本当に自然な結婚生活をスタートできるのかも。それって、いろいろ経験してきた大人の結婚の特権だわ、きっと。

私は、お二人が結婚しようとしまいと、2人が幸せであってほしいし、いつまでも私の大事なお友達だから。その形が結婚なら、心から祝福したいの。」

由美香には、自分たちの本当の幸せを応援してくれている俊樹と春麗が嬉しかった。由美香は、春麗に瞳の奥から微笑みかけられて、気持ちがゆったりと落ち着いたように感じた。そして、気がつくと、心の中で大きく深呼吸していた。

運ばれてきた前菜とスープに手をつけながら、また暫く雑談になった。


「ねぇ、由美香さん。どんなプロポーズだったの?」

春麗もやはり女性である。憧れが見て取れる。

「ちょっと恥ずかしいんだけど、ちょっとエッチで、っふっふっ。いうの?でも、絶対誰にも言わないで。玉田さんにもね、彼、恥ずかしがるから。」

由美香のにやけが止まらない。さっきの話で少し吹っ切れたのかもしれない。



南欧旅行に行ってまだ2週間しか経っていない。しかし、土曜日、玉田は、青葉台の由美香の実家の前にシルバーのアウディA4を付けた。ちょうど由美香のお母さんが、玄関を掃いているところだった。玉田は車を降り、お母さんに挨拶をしていると、由美香が出てきた。

「じゃあ、行ってくるね。」

玉田は、助手席を開け、由美香が乗り込むとドアを閉め、微笑みながら、お母さんに軽く会釈し、車を発進させた。お母さんも少し嬉しそうに小さく手を振って応えた。

すでに玉田は由美香の実家にも遊びに行っている。かなり緊張して両親に挨拶をして、由美香の部屋へ通されたのが今でも恥ずかしく思い出される。


「みなとみらいに着いたら、先にチェックインして、それから遊びに行こうか。多分、ここから1時間ぐらいだな。」

「暫くぶりなのよ、あのあたり行くの。赤煉瓦の方も行きたいし、ランドマークでもいろいろ見たいし。何よりも、祐ちゃんといけるのが嬉しいわぁ!」

「時間はいっぱいあるよ。あっ、そうだ。夜は何食べたい?今日は予約したほうが良さそうだから、店によるけど。」


ウインドショッピングをしてまわり、夕方になってタクシーで山下公園方面に向かった。海に面した歴史あるホテルでイタリアンを楽しみ、同じホテルの中にある重厚なバーに立ち寄った。

2人は、光沢のあるダークブラウンのカウンターに2席見つけ座った。バックに流れるJohn Lee HookerのBoom boomが、古き良き横浜を感じさせてくれる。玉田はダルモアのロックを、由美香は、せっかくだからと、カクテルYokohamaを注文した。2人のゆったりとした空気が流れ、言葉なく、ただ玉田の左の掌が由美香の右手を包み込んでいた。由美香には、この上なく心地よい時間が過ぎている。


ふたりが部屋に戻った時には、夜9時を少し回っていた。

鮮明な濃い青地の絨毯が敷かれた40㎡の部屋には、キングサイズのダブルベッドと、2脚のアームチェアとテーブルのセットと、50型の液晶テレビが乗った備え付けのサイドボードがある。

40階の部屋。由美香は、白いカバーのかかったベッドに体を投げ出した。玉田は、窓際へ行き、アームチェアに浅く座り背もたれに身を委ねた。

暫くして由美香がドアの横にある扉を開いてみて言った。

「祐くん、お風呂、素敵。入ってもいい?一緒に入りましょうよ。」

手前側には洗面台と、トイレへのドアがあり、奥は、ガラスの扉の向こう側がバスタブを洗い場になっている。

「バブルバスにしようか。」


ふたりでシャワーを浴びながら、お湯が張るのを待った。一面泡のバスタブに入り、玉田が由美香を背中から抱きしめていた。玉田は、由美香の腕をなぞり、指を絡めながら、泡を気にせず首筋にキスをした。由美香は「これがHeavenly Lifeなのかしら」と幸せをかみしめていた。のぼせてきた2人はバスタブから出て玉田が2人をシャワーで軽く流し、大きなバスタオルに手を伸ばし、一枚を由美香に渡した。拭き終わると、今度は由美香がバスローブに手を伸ばし、大きな方を玉田に渡す。玉田は受け取るとそれを着ながら窓際へと歩いて行った。

由美香は、バスローブに左手を通した時、何かがひっかかるのに気づいた。ふっとみると、いつの間にか、薬指にダイヤの指輪がある!思わず大声になった。

「えっ?何?!祐一さん!素敵!!」

玉田がバブルバスで指を絡めながら、これをそっとはめていたのだ。指は、滑りが良く、滞ることなく指輪が通っていた。

由美香は、小走りに玉田に駆け寄り、後ろから抱きついた。玉田がカーテンを開けると、ネオンの装飾された観覧車と、ランドマークに連なるビル群の明かりが、宝石のように輝いている。玉田は、由美香を隣に引き寄せ、一緒にその風景を眺めているが、時折、由美香が嬉しそうに自分の方に顔を向けているのを感じる。思っていた以上に素敵なシチュエーションになり、玉田自身、若干戸惑ったが、思い切って言葉にした。

「由美香。お前と同じ空気を感じて生きていきたい。結婚しよう。」

「、、、」

「嬉しい。。。幸せ。。。

ねぇ、、、ちょっと時間を下さる?こんなに早くにって思ってなかったから、心の準備ができでないの。私、しっかりとこの今をかみしめたい。

お願い。今日は待って。落ち着いてしっかりとお返事するから。っね。」

2人は唇を重ねた。



「はい、竹内です。」

「玉田です。今夜空いてるか?ちょっと相談したいことがある。プライベートのことで。」

俊樹は、昨日の今日でこっちからもか、と微笑みながら答えた。

「遅い時間でよければ、いいよ。」

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