第18話 安定

新宿駅西口、午後7時の待ち合わせは、少し無謀だったかもしれない。人でごった返しており、見つかるだろうか。そう思いながら、俊樹がJRの改札機にスイカをあてがった時、春麗も二つ向こうの改札機を出るところだった。

紺色のワンピースにクリーム色の薄いカーディガンを羽織り、濃いモスグリーンのピンヒールを履いている。髪は、アップの夜会巻きにして、鼈甲色のクリップで留めている。少し無造作な髪先とうなじが大人の色気を醸し出す。左腕には、俊樹が誕生日に買ってやった青地に黒をあしらったヴィヴィアン ウエストウッドのバックとコーチの紙袋を携えている。

「シュンちゃん!」

俊樹は、春麗のことを見知らぬ人の前ではこう呼ぶ。

春麗が微笑みながら振り返る。

「良かった!この人ごみじゃ、来てるかどうかもわからなかったかも。」

「そうだな。

このまま地下からも行けるけど、気持ちがいいから、少し行ったら地上に上がろうか。」

春麗は、歩き始めた俊樹の左腕に自分の腕を絡めて、もたれかかって歩いた。


地上に上がると、仕事から帰るビジネスマン達とは逆方向に向かっていく。3ブロックほど歩いた先の高層ビル54階が今日の会食会場である。ここは、四葉グループの会員制レストランで、俊樹も在職中に接待で使ったことがあった。

エレベーターを降り、レストランの入口で案内係に予約を告げ、ついて行き個室に入る。今回は、すでに”THL”のメンバー4人がテーブルについていた。俊樹は、窓側に橘葵、内側に河合由美香が座る側の中央となった。そして、春麗の席の左右には、窓側に岡田純平、内側に玉田祐一がいる。

4人の前に食前酒があるのを見て、俊樹はキールを2つ頼んだ。玉田がすでにコース料理をオーダーしたと言う。

「春麗、こないだはお疲れ様でした。ちゃんと帰れた?」

由美香が声を掛ける。

「ええ。終電にギリギリだったけど間に合ったわ。ふっふっ。」

そういえば、春麗が女子会をやったと言っていた。

「ブッフェスタイルだったんだって?」

純平が拾うと、玉田は驚きながら言う。

「そうなの!?女子会やったの?知らなかったのは俺だけ?竹内、知ってた?」

俊樹が微笑みながら軽く頷くと、軽く笑いが起きた。

気を取り直して、玉田が仕切った。

「それじゃ、男子会、女子会の合同会食を始めましょう。グラスを持って。THLに乾杯!」


グラスを置くと、春麗が切り出した。

「皆さんに旅行のお土産があるの。先々週、上海に帰ってきたのよ。女子会の前だったんですけど、俊樹さんに、旅行の後、全員であった時までダメって口止めされてたから、、、っふっふ。」

少し小悪魔風に笑って見せてから、コーチの紙袋をテーブルの下から取り出し、1人ずつに説明しながらお土産を渡した。

葵は、誕生日に純平に貰った指輪をした手で、開けたお土産を嬉しそうに包み直しながら、春麗に聞いた。

「そう。っで、なんで竹内さんのはないの?もう渡したの?

、、、っで、なんで竹内さんが口止めなの!?」

純平がハッとした顔をして、思わず大声になった。

「Jake!先々週って、上海出張!」

俊樹は、敢えて、しれっとした顔をして言った。

「上海の仕事はキツかったよ。金曜の夕方までは。っははっ。」

玉田が呆れた顔で言う。

「出張に同伴だぁ〜?!うちの会社じゃ考えられない!」

純平が拾う。

「うちの会社じゃ、ないこともないですが。」

「ただ、黙ってたのは、春麗は残念ながら正妻じゃないし。春麗の里帰りがちょうど同じタイミングだったってことで。」

「同じタイミングって、実際のところ、時期を合わせたってことでしょ!

純ちゃん、いいなぁ。私もそういうの、したいよぅ。」

「したいよぅ、って言われても。でも、夏の旅行はあるじゃない。

モルジブに行ってこようと思って。っへっへ。なぁ。」

「私、モルジブはなかなかいけないんですよ。中国人にはビザがいるから。」

「いいじゃん。上海ランデブーしてきたんだから。ふふっ。」

「私たちは、どっか行こうって言ってるけど、まだ決まってないの。ゆーくん、もう決めようよ、私たちも。」

また、純平が突っ込んできた。

「Jake。夏の終わり、Jakeはアジア行脚ですよね。どこでしたっけ?タイとシンガポールと、、、インドだ。春麗。ビザいるの?」

俊樹が拾う。

「国際恋愛、始まって6年。いろいろあってもいいじゃないか。

今日、純平にそう突っ込まれたら、仕方ないから、おもちゃをあげようかなぁって思ってたんだよなぁ。タイはビザいらない。ニューデリーは、別件もあるからダメ。でもシンガポールはJimmyに行かせてやろうかなぁって。シンガポールは仕事もハードだけどな。あと、北米は、Kouと相談しろって思ってたけど、そんなに短期間にいろいろあったら体壊すからやめとけ。北米も行脚だからな。」

「やった!ほんとにいいんですか?!

葵〜。行くか?」

「便やホテルは別々に手配しろよ。全て自己責任。俺は何もしてないし、何も知らん。なぁ、春麗?」

「ふふっ。じゃあ、Jimmyさんと葵さんは、夏に2回も海外同伴ですか?優雅ですね〜。ふふっ。」

「なんか、悔しい。

ゆーくん!私たちは、ヨーロッパにしよ!南仏行って優雅に、1週間ぐらいは!ねっ!!

ゆーくん、明日の夜空けておいてね!予約しに行くからね、絶対!!」

「あぁあぁっ。南仏に決まっちゃいましたねぇ。。。」

微笑みながら玉田が締めた。

「上海はどうだったの?」

「、、、週末にドライブでそんな大きな湖まで行けたんだぁ。」

「写真、みせてよぅ。」

葵と由美香がいろいろと聞き始めた。


話が一段落した頃、ちょうどメインディッシュのテンダーロインステーキが運ばれてきた。

全員分が運ばれ終えたところで、純平が提案した。

「梅雨明け後すぐに軽井沢、行きませんか?

友達の別荘があって、貸してくれるって言うんですけど。

別荘なのに5LDKですよ。」

俊樹の頭がフル回転した。ゴルフなり、仕事なり、言い訳はなんとでもなるし、子供達も就活と受験勉強で自宅にはほとんどいないだろう。今年は家族旅行も難しい。ふと、こういう時に一番ハードルが高いのは俺だ、と俊樹は妻の顔を思い出して、それをカルベネソービニヨンで飲み干し、次いで、紫と絢也の顔を思い浮かべた。

「彼らも、もう一緒に旅行しない年代になっていくなぁ。春麗と4人で今回の計画に参加できたらなぁ。

あと5年、、、」

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