第12話 子供から大人へ

「紫と旅行行ってきていい?また韓国ですけど。

再来週の土曜日から。火曜日の終電で帰ってくる。」


今日から気兼ねなく自宅で過ごせる。昼間はリビングのソファでコーヒーを飲みながら本を読んだり、珍しくテレビを見たりした。

絢也は、昼前に起きてきて、バナナと菓子パンをいくつか持って部屋に戻り、受験勉強に勤しんでいる。

日が少し傾き、恐らくあと1時間ぐらいで日没だろう。俊樹は、絢也の部屋をノックして、顔だけ部屋の中に入れる。

「晩飯、食いに行こう。」

「いいよ。美味しい鶏は?」

「オーケー。日暮れに出よう。」

2人での外食は珍しい。こういう時の昔からの行きつけが「美味しい鶏」の店 ”菜酒乃(なすの)”である。家の最寄駅近くの路地を入ったところにあるこの店は、俊樹の隠れ家で、会社の帰りに、職場と自宅の切り替えに使っているが、10年もの間、百合は俊樹がここに通っていることは知らない。


道路から3メートルほど奥まった建物に向けて、3段の階段を下りると、乗るとカタカタと音がする石畳に続いて、カウベルのついたダークブラウンの扉がある。1枚板の扉は人が一人通れる程度の幅で、3センチはありそうな厚みが重厚感を漂わせている。石畳の右側は、4人用のテラス席があり、室内との間は3間ほどの幅の、少しダークがかった全面の窓で仕切られている。

ドアを入ると、そのまま奥まで15歩ぐらい石畳が続いている。その間、右側全体にカウンターが広がる。コの字型の重厚なガラスのローカウンターには、一人掛けの袖付きソファが2脚ずつセットされている。深々とかなりゆったり座れるこのソファ席は、普通なら15人は座れるスペースに10人分しか取れない。奥に目をやると、半個室が2つあるのが分かる。

カウンターに沿って吊るされた優しい光のライトたちと、頭上から流れているEnyaのCalibbian Blueが落ち着いた雰囲気を醸し出している。

時間が早いせいか、今はカウンターの奥側にひと組の老夫婦がいるだけだった。

「いらっしゃいませ。あ、今日は2人?」

ドアのカウベルに反応して、カウンターの中からオーナーが声をかけてきた。カウンターの奥の厨房には直樹が見える。アルバイトの正樹が個室を片付けている。

俊樹と絢也はカウンターソファに腰を沈めた。

「今日は、鶏中心にいろいろ食べたいって。オーナーに任せていい?あと、オレンジジュースと、俺はロックで鶏に合うもの。今日は、3、4杯コースかな。」

俊樹は、お酒も料理も任せてしまうことが多い。10年も通っていると、オーナーも直樹も、和風創作料理と100種類近いお酒から合うものをチョイスし、ほぼ間違いなく俊樹の欲している「何か」を上手くみつくろってくれる。

「それじゃあ、今日は少しがっつりめに作りましょうかねぇ。息子さんと来るのは久しぶりだね。」

オーナーは、そういうと厨房に消えていった。

「いらっしゃいませ。

よぅっ。」

代わって、直樹がカウンターに入り、俊樹と絢也に挨拶すると、食材を目の前で切り始めながら、話しかけた。

「この時間に2人っていうことは、奥さん、また旅行ですか?っははは。」

俊樹にとって、ここも、春麗と相通じるオアシスである。


「追加したスパイシーポテト分が余計だったかもな。もう入らん。

っんで、彼女とは上手くやってるか?」

そういえば、絢也から彼女のことを初めて聞き出したのもこの店だった。その時に、携帯電話に保存されていた写真を何枚か見せてもらったが、若手の女優かモデルのような印象だった。聡明で快活な感じで、メイクはしていないが必要性を感じさせない。落ち着いていて、スポーツ万能で、そこそこ不真面目で、そこそこ真面目な絢也に似合っている。

「うん。普通にやってるよ。まあ、一緒にいてもお互い自然体でいられるから。」

「それ、すごい大事だよな。」

「そっちはどうなの?あの人。紫と俺が独立したら、2人だけだよ?大丈夫?」

「お袋さんか?まあ、これから考えるさ。お前らが独立したら、一緒にいる意味ないからな。趣味も考え方も何もかも違うからねぇ。

別れるんじぁないかなぁ。」

「そうだよねぇ。好きにすればいいんじゃない?」

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