第11話 OnとOff
”Tokyo”と名付けられたこの部屋は、ビルフォーレン東京オフィスの中で最大の会議室である。入口を入ると、正面は天井まで一面ガラスだが、今はオートブラインドで光を優しく遮って、センターの白色灯と周囲のイエローライトを全灯の状態にしている。ドアから左側に広がるこの部屋には、白木調の2人がけテーブルがロの字型に並べられ、袖のついた黒いシートが32脚セットしてある。左奥の壁には、スクリーンが収納された濃い木目のスライドドアがあり、その左側が、マイク音声、テレビ/電話会議、スクリーン、照明、温湿度などのコントロールボックスの収納された小部屋がある。右側の壁沿いに可動式の電動ホワイトボードとサイドボックスが置かれている。
あと1時間で、RITS Corporationの 面々が席に着く。CEO、 Global Risk Management Chief OfficerのRichard、失脚した加藤を継いで就任した井上孝明 執行役員リスクマネジメント部長、David Phalman North America Risk Manager、Miss Adele Glock EU Risk Manager、王高貴 Asia Risk Managerに、高木課長と部下3名。
「Jakeは麻布の”末松”に行ったことがあるか?あそこはすごいなぁ。昨日、TTA Insuaranceの社長たちと行ってきたけど、旨いし趣もあって、あれで1人3万円で上がるなら使う価値がある。たまにはこういう和食もいいなあ。
Hey, Andrew. What about your availability of tomorrow evening? 」
この1時間で、ビルフォーレン内部での事前打ち合わせを終えねばならないのに、Royは相変わらずマイペースである。俊樹も焦り始めた。
”Roy, let's quit small talks. We don't have much time now. (無駄話はそろそろ控えて下さい。今はもうあまり時間がないので、、、)”
今回受注した契約に基づき、プロジェクトの内容や進め方についての確認をし、プロジェクトの体制と主要メンバーの紹介を行う。いわゆるキックオフで、これに続き、アンバサダーホテル最上階のレストランで会食をする。本来であれば、キックオフセレモニーもホテルで企画したいところだったが、RITSのRichardがビルフォーレンの事務所を見ておきたいとのことで、会食会場への移動を強いることになった。
このプロジェクト自体でもかなり大きな収穫だが、他にもBCPの見直しや海外緊急時の対応構築、国際人事関連など、総額6, 7億円規模になる大型案件がまだまだある。これらに繋げていくために、これからも全社体制で臨んでいく。今回のキックオフは、この第1歩としても極めて重要であり、RITS側も見極め開始の位置付けにある。
ビルフォーレン側は、今回のプロジェクト体制を整え、今日に向けて、世界の主要メンバーを召喚した。USAのビルフォーレン本社からCEO、シンガポールからアジア統括ヘッドとLarge Account Management Teamのトップ、イギリス、ドイツ、アメリカ、ブラジル、シンガポールと中国のプロジェクトリーダーが集まる。日本側は、竹内俊樹、井上浩一、岡田純平、若松奈緒とディビジョンディレクターの山田樹(いつき, John)から成るフロントメンバーと、高橋幸雄(Henry)を頭に5人のコンサルティングチームのメンバーで支える。今は、CEO以外のこれらのメンバーが、Room ”Tokyo” に集まり、今日の資料を目の前に、進め方や各人からの話す内容を詰め終わり、あともう一回リハーサルをするところだ。
Royの秘書が、後ろでドリンクの準備をし始めている。
はやく終えて、RoyからCEOにインプットする時間をつくらねば。俊樹同様に、進行役となる浩一も珍しく少し焦っているように見える。
水曜日の午前1時からIndigo Blueで飲み始めるというのは、俊樹たちでも珍しい。無事に会食を終え、浩一は、コンサルティングチーム、各国のプロジェクトリーダーと二次会に、俊樹と純平、奈緒はRITSの日本人たちと別の場所へ飲み直しに行った。五島広和(Hiro)と浜野洋平(Roger)は、それぞれの仕事を終え、10時頃には、総務部門の若い女子2人を連れて、ここ来て夕食とドリンクを楽しみながら待っていた。そして、今、いつもの場所で俊樹、浩一、純平、奈緒が合流して、打ち上げと次の取組に向けた意識共有会を標榜した、ただの飲み会のスタートである。
浩一が来るのと入れ違いで、店にいた最後の一組が帰るところで、今日も貸切になった。総務の2人も同時に帰って行った。ホール担当のミホがキャッシャーで精算している間に、6人席にいた俊樹たちは、いつも通りの定位置のテーブルに散って座ると、浩一のビールがすぐに運ばれた。
「悪いが、5分だけ、先に仕事の話。Jimmy、内容と明日のこと、簡単に説明して。」
「RITSの日本人チームから二次会の場で、競合なしで新規のオーダーがありました。去年、RITSが中国の大栄グループを買収したときに表明保証保険をうち経由で手配したんですが、今度はブラジルで大型買収があるそうで、同じように保険のアレンジを依頼されました。それで、買収デューディリジェンスのリスクコンサルティングから受託します。Richardも了承済みです。明日ヒアリングに行き、来週月曜日中にラフな企画書を提出するようにとのことです。」
「相変わらず、急なんだけど、NaoにPMやってもらう予定。Jimmyは別件抱えすぎてるから、この件はチームメンバーとして一部シェアするだけで。今回は、HiroとRogerの出番が多くなると思うんで、他のスケジュールは基本的にフリーズして欲しいんだけど、大丈夫かなぁ。明日朝、空きスロット教えて。
さっき、ニューヨークのTakashiには電話で一報しておいた。報酬は、ニューヨークとうちでシェアすることになる。サンパウロはニューヨークのアンダーでコントロールしてもらうつもり。明日朝一番で、Royを捕まえて打ちあわせるから、Naoはjoinして。その後、RITSにNaoと行ってくる。Hiro、午後一のジャパン全員でのミーティングをセットして。
以上、概要について、質問は?
では、打ち上げに突入するよ!」
「お疲れ様でした!乾杯!!大変な思いをした甲斐があったな。楽しかった!」
俊樹に純平が続く。
「こんな仕事ができるんですね。ビルフォーレンに転職して良かった。でも、これが続いたら死にますよ、本当に。」
浩一が手を上げた。
「俺、明日と明後日は休み。カミさんには明後日だけ休みってことにしてるけど。ブラジルの件、スタートでは入れないが、宜しくな。」
俊樹は、一瞬、奈緒に目をやった。彼女は明日休みではないはず。奈緒は今日に満足した顔でスプモーニが注がれたコリンズグラスのストローに口をやった。俊樹は、浩一と奈緒のことを忘れかけていたが、二人で収拾したのだろう。普通そうで良かった。
「Kouさん!人生、いろんな充電方法があるんですねぇ〜。」
純平が白々しく言う。
「Jinmy君〜!そうだよ〜。君にもあるだろう?つーか、君にも新しい充電方法できたんだろ?」
純平は、一瞬固まってから、慌てて俊樹の方に首を振った。っと同時に俊樹はその視線から逃げるようにジュークボックスへと歩いていき、コインを入れた。マライアキャリーのWe belong togatherが流れ始める。
「あぁ、それは、えーっと。」
純平は予想外のことで答えに窮していたが、俊樹は、擁護するどころか、開き直り気味に、あえて、みんなに聞こえる程度の小声で、
「そういえば、あれ以来、俺のところには葵ちゃんから連絡ねえなぁ。。。どうなってる?純平。」
と、口元は微笑んでいるが、真剣な眼差しで、純平に答えを促した。
「Jimmyさん!なになに?それ何?いいことあったんですか?」
奈緒が興味津々に突っ込んできた。
「うん。ちょっといいなあって思う人ができて。。。」
どこまで知っているのか、浩一が追いかける。
「で?連絡は取り合ってるってこと?デートしてるの?」
純平の4歳年上の浜野洋平が被せる。
「どんな人?きっかけは?その前に写真見たいなぁ、持ってるだろ?」
純平の顔が、嬉しそうだが、みるみる赤くなってきた。
どうやらうまくいっているようだと見切った俊樹が拾った。
「写真、いいじゃん。Jimmy、あるだろ?」
俊樹は、2週間前、中華街に行った時、純平がiPhoneでツーショットを撮っていたのを知っている。純平は観念したようにiPhoneを取り出した。なんと、待ち受けが橘葵である。確か、先週、純平のiPhoneを見た時には海の風景写真だったから、先週末には何か進展があったのだろう。
「まだ、途上なんで、あまりプレッシャーをかけないで下さいよ、みなさん。」
「えーっ。可愛いひと!私より少し年上ぐらいですか?会ってみたいなぁ、、、葵さん、でしたっけ?
っで、きっかけは?」
「うん、、、Jakeさんの紹介。先々週の週末に一緒に中華街に遊びに行って。波長が合うんだよね。。。」
五島広和が割り込んだ。
「ん?3人で?週末に?」
今度は俊樹が慌てた。
「まぁな!俺も家にいたくなかったから。」
しかし、浩一には読まれている。すぐに浩一が俊樹の隣のカウンターストールにすり寄ってきて、声を落として、嬉しそうな声で言う。
「はぁ、そういうこと!?Jakeにもいい口実ができたわけか。っはっはっ。俺も会ってないのに、Jimmyには会わせたってわけか。」
まだ俊樹が慌てている中、奈緒が俊樹に声を掛けた。
「Jakeさん。葵ちゃんとはどういう関係なんですか?」
「あぁ。前の会社の後輩。Jimmyに合いそうだなって思って2人に声を掛けたら、2人とも乗り気になって、どうしてもっていうから、中華街に、な。
2人がいい感じで嬉しいけど、何の報告もないなぁ。」
もう、このメンバーには「葵ちゃん」で定着し始めている。この席に彼女が来る日も遠くないかもしれない。
どうせ家に帰る電車はない。今夜も春麗の隣で休もう。もう寝ているだろうか。俊樹はiPhoneを片手にドアのほうに歩いて行った。
Indigo Blueの外は静まり返っていた。この路地から見える表通りを車が一台走り抜ける。そして、また、全てが止まったような空間の中に自分1人だけいる。空を見上げると、Midnight Blueの夜空がうっすらと光を抱いている。どこか見えないところに月があるのだろう。深呼吸をしてiPhoneの電話帳を開きプッシュした。
「あっ、俺です。遅くにごめん、寝てた?
良かった。
これから行ってもいいか?少し寝たら出社なんだけど。
ありがとう。じぁあ、あとで。」
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