第9話 幸せと寂しさと
俊樹にとって、東京八重洲地下街での会食は久しぶりだった。こんなところに個室付きの割烹があるとは知らなかった。10分ほど早く着いたら、案の定、まだ玉田たちは来ていない。取り敢えず、ビールを1本頼んで飲み始めることにした。
会社用のiPhoneでメールのチェックをしながらグラスを口に運んでいると、襖が開き、玉田と美女二人がワサワサと入ってきた。三人で、座席をどうしようか、とあれこれ言っている。結局、前回同様、俊樹の隣が、橘葵、向かいに玉田と河合由美香が座った。今日は、掘りごたつの座敷で、海鮮を頂く。
どうも、玉田と由美香の距離が近い。それを見て、葵は微笑んでいる。
俊樹は、大人気なく、どうもむしゃくしゃする。自分は、酔っ払いのお嬢様の介抱で終わったのに、何?彼らは、お互い素敵なパートナーができたと?いや、自分には、家族もあり、春麗もいる。どちらにせよ、これ以上はお腹いっぱいである。そんなことはわかっているが、素敵な葵ちゃんが余っているのは?俺は?いや、葵ちゃんを不倫に誘うなどあり得ない。。。なんか、むしゃくしゃする。でも、大人気ない。
落ち着いたふりをしつつ乾杯をした。
「今日は、由美香にとっていいことだらけの会食だね〜。」
玉田が少し甘い声で話し始めた。
「じゃあ、先にこちらの公式発表から。ご存知のこととは思いますが、あらためて、この玉田と由美香はお付き合いを始めました。なにぶん未熟者同士。引き続き、応援の程、宜しくお願いします。」
どのツラ下げて未熟者同士か。
「はいはい。おめでとう!ねっ。みんな幸せっていうのがいいんだよ。」
俊樹は言いながらも、なんかしらけている。
一方で、橘葵は、親友の幸せが本当に嬉しいようだ。
「本当に良かったね。育んでください、なんの障害もないこの愛を。」
もはや、年齢差というのは、障害ではないようだ。
同じ37歳で、同じように何ら問題のない葵。嬉しい反面、若い子以上に寂しさを感じているのは間違いない。今夜は、これからずっと目の前でいちゃいちゃされるわけだ。
その前に、と俊樹が口を開いた。
「それはそうと、俺も祝ってほしい。」
「え?お前、結婚してるし。何を?」
「玉田くんさぁ。由美香ちゃんも聞きたいと思うんだけど、うちがBig Projectを受注しました。場合によると、これから暫く、由美香ちゃんにとって玉田以上に俺が大事になるかもしれんぞ。本件は、うちの中でも俺のプロジェクトだし。」
「竹内さん。それ、もうひとつの私のいいこと。酔っ払う前にいろいろ教えて頂きたいです!」
俊樹は、さしあたりのプロジェクトの大枠について、支障のない範囲で伝えた。
「だから、トータルで見たらプラスもあるだろうから、海外現法をコントロールする準備して、あと、外資に負けない最新のスキームを提案しないと厳しいよ。」
「竹内さん。有難うございます。これから宜しくお願いします。」
「ごめんなさい。私、ちょっとトイレへ。」
葵が席を立った。トイレは、地下街共通で店からは少し離れている。
「んじゃ、俺も。」
俊樹が立った。俊樹には、葵が寂しさを我慢しているのが何となく感じられた。
トイレに向かって歩きながら、俊樹が言った。
「葵ちゃん。この後、二人で飲み直そう。
寂しいのを紛らわせることしかできないけどな。それは俺の得意分野だから。っはっはっ。」
丸の内から有楽町まで、背の高いビルの低層回は、高級感のあるアパレルショップやレストランの気の利いたネオンサインが、ふたりでゆっくりと歩くのにちょうどいい明るさを提供していた。地下に入れば、飲食店街があるのは知っているが、今夜は、Midnight Blueの夜空が見える高層のバーがいい。
まだ新しい複合ビルのエレベーターで27階に上がると、フロア全体がレストランバーになっている。テーブルにはキャンドルのように瞬いてみせるライトが灯き、静かな時を演出している。窓に沿って、3分の1ぐらいがカウンターである。幸運にも、端の2席が空いたところだと案内された。席に着く頃には、ピアノから流れるCicagoのHard to say I'm sorryに包まれて、大人の気分になっていた。
天井までの1枚ガラスを通して、向かいの少し低いビルのヘリポート脇にある赤色灯とその向こう側の建物群が輝いている。その上にはMidnight Blueの空。そういえば、この春、あまり雨がない。
「葵ちゃんは、どんな人生のどこにいるの?」
「唐突ですね。
普通の家庭で普通に大人になって、気がついたら、特急列車に乗ってて、一度降りなきゃ、鈍行に乗り換えなきゃ、ってところで、ゲームに夢中で乗り過ごしちゃった、っていう感じですかね。だから、悔いはないけど、少し寂しくなってきたかな。もう、一時下車して、自分がいる景色を確認しなくちゃいけないんです。そうしなくちゃ、人生の終着駅まで、乗る電車が決まってしまいそうで。
竹内さんはどんなですか?」
「俺か?
小さい時から、自分で行く先を決めて、設計図を書いて、自分で電車を作って突き進んできた、っていう人生かな。でも、いつもブレーキがなくて、どこかにぶつかるか、大きなカーブで急減速するんだよ。その時に一時下車して、その先の山や川を見渡してみて、設計図を上書きしてきたよ。
だから、生きたいように生きてきたと思うよ。
死んでいてもおかしくない事故に遭ってから後は、いつ死んでもいいって思えるぐらい、生きてることを楽しんできたよ。
でも、まだまだ楽しむぞ、って思ってる。」
俊樹は、ペンを取り出し、バカルディのオンザロックに敷かれていたコースターの裏に曲名を書いて、向かいに立っているバーテンダーに渡した。
「葵ちゃんにも、一緒に途中下車に付き合ってくれる奴がいるといいのにな。次回は、あの二人抜きで合わないか。」
「既婚者に誘われても、この歳でそれはしんどいですよ。」
「いや、もう一人連れてこようかと思ってさ。そいつは、途中下車した後一人で海を漂ってる。葵ちゃんが途中下車したら、一緒に列車に乗ってくれるかもしれないなって。ふたり、似合いそうだなって。」
彼女にプレゼントした静かに広がるピアノの音、エリッククラプトンのTears in heavenが心地良い。
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