第6話 実年齢と生活年齢 - 男の40、50と女の30後半 -

地下鉄の改札を出ると、俊樹のことを呼び止める声がした。

「Jake!、、、竹内さん!」

振り返ると、岡田純平(Jimmy)だった。今年39歳バツイチ。外資では少人数即戦力志向で新卒はいないため、岡田は若い部類に入る。

上司、同僚のみならず、クライアントに対しても、ストレートな物言いだが、的は得ており、信頼されている。ただし、女性と1対1で話すとなると、途端にシャイになる。

「おはようございます。Jakeさん。2晩も泊まり込みでRITSやってても大丈夫な奥さんは大したもんですね、っていうか、家に帰りたいとか思わないんですか?

まだRITS、続きますよね。ビッグプロジェクトやるたびに思うんですけど、すんごいやりがいあるし、楽しいんですよ。でも、疲れてプライベートな時間がなくなるっていうジレンマ。。。Jakeはどうなんですか?

JakeもKouさんも今年50でしょ?感じないんですよね。どんなことも貪欲にEnjoyしてるJakeと、器の大きな奥さんの尻に敷かれる2歳の子持ちでありながら人生を謳歌してるKouさんでしょ。一回り下の僕の方が人生枯れてる感じですよ。」

地下鉄の階段を上がると、今朝の空も雲ひとつ見当たらない。ずっと見ていると、自分自身が溶けて無くなりそうな澄んだ空。この空の色、何ていうんだろうか。いつの間にか桜が咲き始めた。来週末がピークだろうか。そういえば、去年はプロジェクトだらけで、桜どころではなかった。今年は、RITSの企画案を提出し終えれば2週間ほどは時間が空く。溜まっていた仕事を片付けつつ、充電する期間に当てよう。

俊樹の頭の中には、花見や飲み会のことが次々浮かぶが、そこに百合のスペースはない。いや、いらない。

「プライベートの充実が仕事の糧になるんだよ。俺は、妻に何も求めないし、もう疲れたの。そのへん、Jimmyもわかるんじゃないの?朝からこんな話は吐きそうだから勘弁してくれる?俺も昨日は帰ったけど、その後、ロンドンのRick達とテレカンやって、メキシコのSeb.と電話して、ニューヨークのTakashiと打ち合わせて、LAのEdoward達とテレカン。お陰で昨日も充実した夜が送れたし、これ、やっとかないと、RITSの企画資料を奴らが期限までに送ってくることはないんだよねぇ。我々と奴らと時間の観念は全然違うから。」

「Enjoyし過ぎて倒れないで下さいよ。」

岡田は、尊敬と同時に呆れたような目で微笑んだ。

「まぁ、やるときはやる、やらないときはしっかりさぼる。OnとOffはしっかりと。何にしてもRITSはあと2日、金曜日で仕上げだよ。Enjoyな!」

そして、いつものように、エレベーターで17階に上がり、オフィスに入り、PCを立ち上げ、コーヒーを淹れにリフレッシュルームに向かった。

と、胸元にバイブレーションを感じ、少し慌ててスーツの内ポケットからiPhoneを取り出した。

「はい、竹内です。」

「おはよう。早すぎたかな?」

「玉田か。久しぶり、っていっても3ヶ月ぶりぐらいか?

どうした、早くから。」

「そろそろ飲まないか?っていうお誘い。忙しい?バツイチ独身の俺にはお前が恋しい。あははっ。」

「気持ちわる!こんな時間からお誘いってのはなんかあるんだろ?」

「やっぱり鋭いな。隠せない。。。

実は頼まれごと。お前と飲みたいっていう変わり者が若干一名。」

「女なら行く。誰?男?」

「女。37歳、独身。寂しがり屋の頑張り屋。可愛いくせになぜか独身の奴。」

「俺の知ってる37歳?」

「そう、うちの会社の。俺たちの大学の後輩でもある。河合由美香って覚えてる?」

「なんで彼女が?あぁ、 ”R”から始まる会社のことか?!彼女、まだ担当してるんだろ?おたくがこれまで幹事やってきてることはもう知ってる。」

「さすが竹内様はお察しが早い。どうせ漏らせんのは分かってる。彼女にはそう言ってんだけど、どうしてもって煩くて、俺が仕事にならん。そろそろ飲みたいのは本当なんで、同席させるっていうことで許してくれんか?」

「何も話せんが、いい子だし、同席ってことで、いいよ。ただ、”R”の色は薄めたいから、あと1人2人誰か連れてきてよ。なんなら玉田欠席でも、っはは、冗談。

今週は無理だけど、来週なら。」

「この会話の距離感は変わらなくてありがたい。じゃあ、あとはメールで。」

俊樹が電話を切った時、既に、これからの36時間の戦争に気持ちが切り替わっていた。

が、LINEに1件の通知。百合からだ。

「今日、帰れますか?今夜は子供達がいないので、外食してきて下さい。あと、牛乳1本買ってきて。牧場印のやつ。よろしくお願いします。」

俊樹は、言葉を発する気力も失った。



金曜日、19時55分、プロジェクトメンバー全員が俊樹のモニターに釘付けになっている。

「、、、送信完了!締切5分前!いつも通りだな。

Royは?帰った?じゃあ、俺はRoyに報告メール入れるから、Kouは海外メンバーにメールしてくれる?」

「オーケー!で、そのあとは?」

「みんな8時半に「Indigo Blue」集合でどう?じゃあ。」

俊樹は、こう言いながら、もう「一人三次会」のことが頭に浮かんでいた。っと、浩一に目をやると、携帯を耳に当てながらドアを出て行く。どうやら、浩一も別宅で羽根を伸ばすつもりのようだ。



俊樹は、Indigo Blueのドアを開けながら、iPhoneで連絡先を探した。

「你好。我想去你的房子。可以吗? (こんばんは、家に行きたいんだけど、いい?)」

今夜は、春麗(チュンリー)の家に泊まりに行こう。俊樹は、19時50分にはそう思っていた。

「可以。真的吗?太好!現在在那里? (いいわよ。本当?嬉しい!どこにいるの?)」

「しばらく忙しかったから、今日は行きたかったんだよね。30分ぐらいで着くよ。じゃあ、あとで。」

百合といるのとは全く比較にならない落ち着く場所。お互いを尊重し、理解し、敬意を表しているし、存在に感謝している。なんでも話せて、相談できて、自然体で居られる。人生のオアシスっていうのは、こういう場所をいうのだろう。



「ごめんね、遅くに。」

「全然いいのよ。お疲れ様。飲んでるんでしょ。暖かいお風呂に入ったらいいわ。着替え、出しておくから。」

適度に上品な日本語で出迎えてくれる。会話の理解力、明晰さは、明らかに百合よりも上だ。

少し大きめの、白地にフロントプリントのTシャツ。その裾に細身のジーンズが続く。化粧を落としているが、美しい顔立ちが目を惹く。優しい目元に茶色がかった瞳は、自然と本質を理解しているような深みを持つ。無造作に後ろでまとめた黒髪は、下ろすと肩よりも少しだけ下まである。

春麗と知り合ったのは、6年前、上海のデパートだった。春麗は、28歳にして、そこで小さなアクセサリーショップを経営していた。俊樹と知り合う前にはカラオケで働いたり苦労をした時期もあったようだ。仕事で上海出張が多かった俊樹と会い、お互いを信じ合うようになった。春麗の姉は、日本人と結婚し静岡にいたため、春麗が日本に遊びに来たときには、俊樹が東京や横浜、箱根などを案内した。

2年前に、春麗も東京に住むようになり、今は貿易会社で仕事をしている。今では、俊樹が春麗のオアシスであり、春麗が俊樹のオアシスとなっている。春麗は、俊樹が結婚して大きな子供がいることを知っており、うまい距離感でいてくれている。四葉火災の河合由美香よりも3歳年下だが、心の大人度は圧倒的に春麗の方が上だ。

風呂から上がると、エリッククラプトンの”Tears in heaven”が静かに流れている。2ヶ所のスタンドライトから広がる暖かい光の中、ソファーに身をもたげる。春麗は、俊樹のすねに寄り添うように、足元のラグマットに座り込み、俊樹の膝に両腕を乗せて俊樹の顔を覗き込んだ。俊樹は、春麗の笑顔とゆったりとした会話を肴に、薄い水割りを1杯飲み、二人でベッドに入った。

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