第67話

アーケードの灰色道に、明かりのスクエアが射す、強い光はシャツも地肌も命を与える、見上げたくなる神託だ、半分の確率の雨なのに、今日はまだ降っていない、洗濯ができたのに、恨めしく思う、偉大な採光を二階から見下ろして、天気は急に様変わりすると自意識を照らす。


及ばないとひさびさに感じさせられた、物があまりにも異なっている、そもそも人種の差という器がかなわない、それは素直に認めるべきだ、とはいえそこでもがいて枝葉を伸ばし、先が間違ってもかまわないと開花させる、だから何だ、それが一体何だというのだ。


構想の滞りが夜の時間を開けた、コケットリーな劇に興醒めしたのは様式の昔で、今夜は作りが現今にかなっていると観る、ボヘミアンたち、すると昨年の途中で切れたライブヴューイングに思い出され、今シーズンは残り二作となっている、飽きの時が、再び趣味を呼んだようだ。


バテている、自覚してバテている、別段夏が深まったわけではなく、なんとなく生きることにバテている、急に襲われたなら即座に回復もしよう、しかしじわりじわり攻めてきて、ある時にすべて放置される腹の中とあれば、とどめだ、とはいえ日日の無謀か、自身で痛めてきたのだ。


朝の三枚おろし、枠のずれて聴けなくなった話は、ひさびさに耳にして午前の一時に腰をさぼらせる、メソポタミアの文字が数日前につながったアルファベット、それと同じように漢字が太古の日本を浮かばせる、職場を忘れるラジオ放送は逃さずのさばって、確かな足しのネタとなって遠目させる。


野球をメインにスポーツ観戦で文句はついていた、今は観ることがないので口も開かないが、同様にラジオの語りの間の食い散らかしに不満が出そうになる、人の話を聞かずに喋喋とする態度は、ずるい力技だろうか、やったもん勝ちの主張の幅利かしは、有無をいわせない圧力で塗りつぶしてくる。


感受性の差はそのまま感覚の違いになぞらえる、近いようで分厚い障壁は、エアコンの設定温度の一目盛りを争う、滑稽なまでの交換日記は多くを語り、常識の言い合いとなって無言に戦う、そんな変わらないのに、このくだらなさこそ楽しむべきで、直接来るか、負けに止まるまで、ボタン操作はやまない。


蜂の死骸に文学はあったか、海老の揚がりに腹が膨れてとろむ昼下がりに、蜘蛛は虻の様に壁にいる、そんな小説もあったものだ、何を食べても腹蔵はひねくれてばかりで、いよいよ飲食は狭まったか、降るか降らぬの梅雨空に、無常をやたらする。


取り繕いは気づけないらしい、きっとそうだ、ところが他人のそれはどうしてこうも派手だろう、軽佻だからこそ耳をつく旋律に、甘言にもならない弄言の昔が幾度もぶり返される、見損なうと期待外れは同義だろうか、どちらにしても戻ることはない。


屈託のない眠気に襲われて、座席を探して詩人を探る、死に取り憑かれているのだろう、早世をヒントに開かれれば、衰退の帝国が時期を同一にする、色も同時に唆ったらしい、新しき人を知りたがり、あくびの涙にまみれた眼は、神妙に乾き開いていく。


天気に文句するのは、健康に悶着するのと似ているだろうか、ただし休み前の今朝はどちらも出ない、一日定まった雨模様と、予定なしの明日を照らし合わせれば、今週の禁酒が成果を抱いている、もう呑むのはよそうか、そう思わずにはいられない実り在る一週間だ。


宣言によって自己本位に戻ったのは、何度目だ、呑み喰いが止められ、映画も閉じた、音楽と落語が時折あるばかりで、本へ向けることが楽しくなった、構成を学ぶ為の表現観賞の醸成か、今は見下していたジャンルに学習できる、そう、最できる、最そう思わずにはいられない。


図書館や本屋を嫌がっていた時があった、興味だけでは網羅できない分量が迫って陳列され、一冊読み砕くのにどれだけの命を注がなければと、臭う物に蓋するようだった、それを昔から知っている人の作品にも感じた、進んできたつもりがどんどん後退していくような、そんな感動を覚える脚本家だった。


宣言からまもなくは静かだった、音はあったか、灯りはこれほど照らされていたか、ぼやけた光景を思い返しながら、人が増え、ジャズが流れ、動きの見える店内だ、少しづつ戻る実感はあっても慎重な指示とあり、気づいた頃には三年でも経っているだろうか、今は夜の活気を想像してしまう。


強い雨の止んだ今日の午後は、蒸して暑く、夕焼けはまさに夏の気分だ、それがなぜ春のメロディーを欲しがったか、昨日かすったとはいえ、花の盛りが散り降る音楽に耳は満面している、それはおそらく体の目覚めではなく、一日の充実が喜び呼んだのだろう。


夕陽と川辺が近くにあるのはなんて喜ばしいことか、住んだところに不満を持たない今の生活は、無聊と不安に走らされた江戸川の時とは異なる、川はあれど豊かさはとぼしく、家また家の迷路に飽きて対岸に渡れば、すぐ雨に浸かりそうな葱畑が迎えるばかりで、途方に暮れそうな心は広がるしかなかった。


誰かが念をこめて仲介した関係がある、作為のようで自然に生まれた人付き合いではなさそうだが、これが他の人よりも親しみを持つことがある、保護者らしい目線が何かを感じとって仕向けるらしく、このお節介は感謝する他ない友人を離さずに結びつける、ふとそう思った朝だ。


終わりを見ずに始める読書ばかりが最近だ、一冊に集中するのではなく、数冊を同時進行につまみ食いしていく、その方法は一時期の楽器熱と変わらず、弦管打を含めて朝から夕まで時間割されていた、それは挫折したが、今の読み進めは最後まで遂げて終わる本ばかり、その違いは、枠にはめていないことか。


朝からの行動は昼過ぎに尽きている、数週間前はそうだった、だから午後に家へ戻るルートを予定していたが、どうもそんな気になれない、昨夜の風呂の効能か、ならば未定と置いといて、街中にいればいい、いつも通り寂しさよりも、色好みだけの視点で流れを観ていればいい。


休みのたびに人格が変わって、また月曜になって忘れてしまうことが嘆かわしかった、そんな週替わりはあったが、最近は平日にそうも思わなくなった、いわば汽水の環境になって同時に行えている、そんな時間をとれる今の時期だからこそだろう、繁忙の年末までまだまだ、なにせ真夏もまだ来ていない。

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