第66話

一度踏み外すと汚れはなかなか取れない、昔は浸かった足も気にせずすぐに戻ったのに、ああ老い、壮年と言うがはたして本当だろうか、寿命は延びて動ける歳も広がったらしいが、耐える距離はそれ以上ではないだろうか、こんな発言が年寄り、慎重に選ばないと。


いつも同じ繰り返し、元気、疲れている、悪い、意外、永遠に変わらないサイクルに巻かれている、術はあってもなすことはなく、他にあてることなく意識は中央に注がれる、そんな時こそ寒い気分に上滑りの熱っぽさ、雨に濡れたまま歩く子供を見ていやになる。


自己暗示の呪文は知らないが、効力を抜きに川辺の景色を前にする、十分と持てない時間に音楽を流して、思いのままに座っていられる夕方がある、制限は延長されて入れない縛りはあるが、当事者でない者は不平など許されず、外の季節に憩うのみ。


回復することなく無聊は忍び込んでくる、止んでいた空からキャノピーに雨足は再開され、小さな子供を歩むままにさせていた母親は、息子の気づかない高いところで傘を開く、中高生のさすような声に、暗く湿気は内側に入る、こんな時は景色が映画になる、質を抜きにした生彩あるカットになる。


眠りを欲して早寝すれど、深く寝つけず、駄駄をこねるように布団で暴れ回る、疲れているはずなのに、そんな連日の後に気は張っていても意識の向かわない時があって、ほんの少し仮眠してから、なんて思って横になれば、そのまま朝まで、もっと調整してくれればいいものを、とはいえ重く快調な朝だ。


挨拶のこぼれに苛立ちが返す、もろさとはかなさは時に、脆弱への敵意を引き起こす、守ってやりたいではなく、痛めつけてあげたいなどと、マゾヒストを他人に言われる裏側には、プライベートなサディズムが週末の蓄積に呼び覚まされることもある。


どれほどの労を費やしたか覚えていない、苦労した気はするが、その分だけ大切に扱う気にはならない、畑違いだからだろう、好奇に従って物にした実験に限り、その分野をさらに進めていくわけではない、と言いながら次の構想もないことはないから、信用は当然しない。


まず完成した達成感に喜びはつのり、全面を肯定する、次に応募の事務処理をこなして、第一等を受賞した気で拳をあげる、ついで奇声に騒ぐ、そして忘れて何もひっかからず、成長の糧とも思い出さずに次へ行く、楽観主義のまま目的を進め、そして死んでいくのだろう。


目を休めるか、待ち時間五分の公園の花壇の縁に腰掛け、レンギョウの黄色を前にする、休日にしては早朝の街の中は、湿気がゆらいで人通りはもちろんまばらだ、虎猫は花の隙間を縫って行ってしまい、太陽がペンを動かす自分の陰を色濃く縁取ってくれる。


一分の遅れが時に致命に一日を左右する、のんびり日に当たる時がわずかに過ぎれば、目当ての朝食を口にすることができず、かわりにいらだちを食わされることになる、晴れ間の覗くせっかくの時間を、逃さず手に入れたことに今はほっとする。


座椅子に腰掛けて始めを判断した、このページ数では間に合わない、では代替に何をするか、結局声を出して時を読ませる、喉を震わせておかないとたまたまの朝にうわずってしまう、そんなことはおそらくないのだろうが、ついつい体力がそうさせる。


店の雰囲気は多くの要素で構成されている、数え上げればきりはないが、背景をまさしく司る音楽に情景はもたされる、無言の機械の手習いは一人だけの男になされれば、二人の女性は会話だけをすべてに埋める、それぞれの待ち時間に耳を開かせて、空気は瞭然と流れ続けていく。


人生の主題は健康に尽きる、若い時に隠れていた関心は、羽毛布団を持ち上げても顕在化する、初のような尻の痛みが夜に発生して、一晩で炎症は増す、それから朝の動作で部位を確認する、こんな調子はいつまでか、明日は風呂でも入ろうか。


一段落をつけて外にいれば、やや熟れた空気が飽和している、他人は夏だが自分はまだ初めにも入っていない、腕まくりでちょうど良いと立っていると、肉塊が自転車で通過する、耳にスマホをこじ当てて通信中だ、熱気がそのままパンパンにはらんでいる、同じ種と思えないほど、違った体感にいるのだろう。


出てきた人は次に入ろうとする者がいることを知っていながら、扉を中途半端に閉める、親切のおよそ反対ともいえる行為をわざわざするとなると、単純ではないようで、真正直な感情反応としてストレートに届く、動作だけにとらわれてはいけないと、器はおかしな受け入れをすることもある。


地名だけですべてわかったような真似はやめよう、マップを見ればいかほどの知ったかぶりか知れよう、恥ずかしいことだ、とはいえ関心を持つことは咎められない、凡ミスほどの間違いであっても、知識を得るルートはとっているのだから。


家の前の公園が異国になる、木漏れ日に風が吹き、鳥の鳴き声の中で切り株に雀は湯浴みしている、草いきれももれるベンチに座り、平日に得た休日の朝に休む、歳をとることの良さはこんな時にある、熟成を楽しむように記憶を味わえる。


肉体労働よりも神経が体を疲弊させる、数年振りの自動車運転だけでなく、異なった会話様式に含まれるとなると、目に見えない負担がかかるらしい、まるで新人研修のようにくたくたに、身体は動かなくても心は方方に働いていた、そんな夜の一杯が日頃ない熟睡へ陥れた。


着る物にいつも迷うように、その日その日に肌を観測している、染み出る汗か、伝わり走る寒さか、頭痛も考える、いつもそうだ、過ぎた日の内容を計算して先を企てては、大概外している、それでもやめない健康への考察は、健全だからこその慰みか。


やめたいやめたいと思っていた習慣は、そう思わなくなった頃に消えた、他に費やす対象を見つけた、ただそれだけで浪費はなくなった、ところがたまたまラジオで中継を耳にして、応援しているわけでもないのに名残がそば立てて、満塁の走者一掃が打たれると、懐かしいストレスがほのかに血の気を揺らす。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る