第27話

店の救済の手助けなんて考えているんだろう、その通りだ、カルビよりも安いビビンバ丼を頼み、高圧に、土足で踏み込み、何様のつもりだ、捨てるべきものはよほど多い、今は持ち帰ることができる、ただそれだけ、食べさせてもらうことに、ただ感謝するだけ。


対岸に躑躅で染まる夕光を見ながら、音が静まる、今日の終わりを色で見ながら、同じ色の猫がそばを歩く、今日は何をしたか、そう思いながら過ごし、最後の瞬間にもその文句を使うのだろう、などと、そんな安らかな終わりが、訪れない最近の呼吸。


黒から黄へと変えようと思いながら、朝の気温に踏みとどまる、香りを早く切り替えたいと言えば、男にしては気障と思われるだろう、実際その通りだ、それでも甘さより爽やかさを欲しがるのは、自然な太陽の誘いだ。


頭も体も冴えているのに、全身にギプスをされているようだ、自身の健康についての愚痴はくしゃみよりも多く、なんらおもしろみはないだろう、それでも口にするのは滅多にないほどだから、足を伸ばしている時にふと、身近な声により、サンスベリアが原因だと赤い鉢に解消する。


週をまたぐ程の離別ではない、たった数日相まみえなかっただけで、感興がこうも懐かしく湧いてくるとは、屋根裏部屋同様の階段に潜み、冬よりもぬるくよどんだ空気の中で、静寂と字と対する、映画の一場面として頬杖をつけば、あまりにものものしいだろう。


とんびが上から笛を鳴らす、まるでコンドルのように太陽を運んできたか、日の照りの中で市街地を見下ろして回る、香水が強く漂う、冬に弱ることを今さらながら、暑さによって水を得る自身の気質を思い出し、腕まくりして口辺の汗をぬぐう。


落語、講談、能楽に歌舞伎など、作業用の音声はいくらでもあるが、朗読に手を出していなかった、名前は有名でも読んだことのない作家による人斬り物語を流して、作業の重点が置き換わる、漫画の背景知識がもの悲しく思い出される。


動植物を観察するように、出現する様をそのままの形で受け取るようにしている、そんな言い訳をつけるように、砂漠ですれ違う人に接するように、通りがかる女性を眺める、花を見るのと同じなどと別の言い分を立てるが、感情の有無は異なる、それでも目を置いてしまうのは、本能だから。


襟の広い白いシャツが目立つ、ホットパンツのように尻に張りついて足をさらす、衣類同様にすこやかな素肌がたった一日であばかれる、陽光を厭うはずの皮膚は、こうも解放されて良いものだろうか、どうしたって暑さは肉体に結びつき、それはたやすく心に直結する。


暗がりの公園のテーブルでメモ帳を置いて文を書く、暑さにバテて何もできずに消える今日だと思っていた昼寝後なのに、今は何よりも力が溢れてうまくいっている、こんな時の貴重さをさすがに知っているから、それを逃すまいと、風の冷たくなったのもかまわず、一人暗い中に居座る。


渝華園に座る、雨の日だからこそ外出すべき日もある、連休は休みなく筋肉を衰えさせて、明けのこむらがえりを憂慮する、皆いなければ覆うこともない、堅牢な軒に雨露は守られて、紫外線を気にせずに落ち着く。


酔狂というなら字面通りだろう、外出自粛に雨模様、その中を外に出て行くのは、求めるものがあるからだ、店の多くが閉まり、人の多くが閉じこもる、これを寂しいと形容する者もあろうが、常に淋しい中にいる者にとっては、何ら変わることのない平常だろう。


料理同様に好きだけど遠ざけること、日常において決して欠かせないことだからこそ、手につかない、掃除、一度火がつくと止まらず、あがったあとの気分の良さは食後と異なる、好きだが嫌いな家事は、連休において目が向けられるので、今年も同じくおおがかかり。


川辺の太陽と緑陰に恍惚とする、明日明後日の仕事は何も気にならない、連休の中日までに漂白されている、白鷺の飛翔を前に見ながら、芯まで自分にある今の時間に、アルメニアの音楽のヴァイオリンが高く歌われる。


新緑が燃えて、つつじは襲いかかるように紅や桃色の花を広げている、風に吹かれてくすのきの黄葉は落ち、乾いた空気に心地良く流れは触る、それでも、それでもだ、あくまで島国の国土は、はるか遠望の景色を見せない、きっとあるのだろうが、気分がいいから、大陸の差を痛感する。


古い小説、新しい戯曲、どちらも無料ならば、期限のある方を選ぶ、希少性によって脇道に逸れたが、いつか本道に戻るだろう、世界が戻ったら、前のように慌ててしまい、もはやかえりみないだろうか、それでいい、今は疑うように今を知ろう。


枯れた空気とみずみずしい新緑が誘ったのだろう、読んだ物語にフラメンコがあれば、スペイン酒場に入ってしまう、それらしい店内にそれらしくないランチは、まず味噌汁が給仕される、水を飲みながら考えるのは、ついついルールばかりで、太陽を避けた静かさではない。


ぶつけた怒りは穴埋めしないといけない、その日は攻める側で気を吐いても、次の日は自責によってじっと受けなければならない、花が効かなければ、食べ物か、催促にせかされて、閉まりきる街中を蜂のようにとび回る。


ベンチで仰向けになるのはいつ以来だ、何度かあっただろうが、新しい緑が空に広がるのは、タイ北部が最後か、人気の少ないところならかまわないだろう、堀の水に囲われて、ニセアカシアの香りに目をつぶり、光合成の空気を思い切り吸い込む。


書くというのは発端があっての行為だ、だが今書いているのは何も感慨のないこと、無いも足がかりになるのだろう、毎日の日課という命令がそれなのだ、今日も天気が良かった、そして、字を離れ、体を動かしたのがよかった。

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