第28話

余力を無理に使い果たすこともないと知っていながら、むやみに体が動いてしまうのは、最適な空気のせい、たしかに得意とする温度とはいえ、そもそも熱こそ生物の源と考えれば、当然の活動だろう、慣れる前の尽きやすさとしても、意気はあがりっぱなしだ。


絞り出すにもあたらない、灰の中を探して粉を振りまくのでもない、水だとしても、いや、むしろ空気から物を取り出すように、朝に立っている、最良の時候が上着を脱いだ汗を奪う、明るいが冷っとした外は、あまりにも眩しい。


ベランダに出て息を吸う、外からの音は入ってきているのだろうが、パソコンの稼動音だけが響いていた、頭の中に物語は繰り拡げられ、字の中にだけ潜んでいる人物達を観ていた、今日は雨予報だが、まだ降っていない、そう思うと頬に雨粒がかすかに。


タイピングするにも肩が重たく、ただでさえ出てこない文章は、まさにふん詰まっている、メモを残す字も意志に反して違った線を記し、どれもが滑らかに接続していない、だらっと休ませてかたさをとりたいが、連休は二日しかない、数日前の長さで測りもおかしくなっている。


目の見えない人の出てくる物語は、失ってしまった人の素直な虚無、そんな漢字のあてはまらない素朴な人人の探す姿が綺麗に描かれている、そう思って一息入れにベランダへ出ると、下の道路をふらふら歩く人が、手には棒がある、雨に霞む大気は、向こうの山を隠している。


雨が降ったからまた中国庭園にやってきた、午前だけのミストは昼も広がり、さきほどまでの予報はあてにならない、長靴をはいて上着をしまい、微細な雨を歩いた、抜かれた池に自然と水が戻り、波紋は幾千万と明滅する、クスノキがとても香る。


火災報知器の先に鳴ることがある、それよりもサイレンの集合が夢うつつの中に到着する、それほど珍しい音ではない、朝の呼び声に起きると、火炎の音と黒い異臭がしたそうだ、近くで煙りはあがっている、あとでラジオに死亡が流れた。


動と静の慌ただしい連休が終わり、詰まったり流れたりの物の移動は平常に戻ってきたらしい、内から外の光を眺めて、上着を羽織って長机に座る、ここに動静があり、現実と空想の狭間におちつき、コップの水にとまる。


みかん箱のような作業台を机の下からあげる、それで持ち帰るべきダンボールを思い出す、遠くからは応援のかけ声がはやされて、ふと静止状態をとらえた海の言葉が思い出される、風を待つか、自分の手で漕ぐか、おのずと返事は浮かぶ。


ビデオ通信が何をいまさら、テレビ電話は前からあり、チャットサービスについていたではないか、異なるのは数か、それは大きく異なる、ふすまを越しての熱弁を、風呂あがりの所作に聞きながら、意義あるツールだとドライヤーでかわかす。


クスノキの香りは連休の思い出となり、ようやく一週間が経った頃か、密度のある生活を送るよりも、ただ機能の低下か、自分の臭いか、誰かの匂いかもわからず、遠目にいる人と横に並ぶ、弁当に色気さえ出てくる、気持ちの良い日だ。


シジュウカラが電線にとまるだけで、そのさえずりは何物にもかえがたいものと感じる、アスファルトは何らさえぎることのない光をはねかえして、日陰であろうと水面のように、大きな熱を浴びている、こんな時にどのように暗くなればいいのか、腰の軽さもやってくる。


関わり合いのないこと、人はあくまでちっぽけでしかなく、個人以外の世界といえば、比べられないほどのものだが、無ともいえる、あまりに狭く小さい自分という全であるにしても、ふと、思わぬ行動が向かってくれば、少し安堵する、理由ではなく、ただ安堵する。


家族よりも長い時間を週に過ごし、自宅のごとく物の配置が知れる場所に、決して選んで手に入れない花がまた来た、今度は球根か、大きな口は歌うよりもかみつくように芳香している、さあどうするか、興味の対象に近寄って、念入りに育んでいこう。


幻影よりも実態がつきまとっている、ある作品を何度味わおうと、新たな発見を添削できずにいるように、他でサンプルを得て見比べようにも、本人を直視できずにいる、メガネをかけて遠くから、そうしないのは、卑怯な距離だからだろう、いつまでも、溺れるようだ。


雨の降り始めの匂いを好きだと思ったことはない、それでも特別な情感を得る力が備わっているようで、嫌いとしたこともない、それが最近は臭くてたまらない、少しの気まぐれ、を試したくなるように、鼻が湿るほどの雨を待って座る。


規範があるわけでもないのに自らこしらえ、そこにはまっていかないからと煩悶する、気力や体力同様に、世界も沸いてこない、降ってこない、枠を外れるからこそ人間なのだと頷いても、そもそも形象がなければ、と溜息をつくが、どことなく、慰められている。


ふと映画を観たくなる、それはコンサートや、そう思わせた戯曲の実体でもかまわない、ただの文章にこれだけの生命が宿るのか、常に枯渇したような容器を嘆いていて、ふと水を足されたようで、刺激を頼ろうと呆然とする。


家の下のカフェは人で混んでいた、短くない休みがあけて、人の足はどうだろうか、雨が降って湿りがちな今日は、責任を問われる物語にふれて、久しぶりに降りてみた、公園の緑が濡れて光っていて、開け放たれた店内は、足元から冷えてくる、まるでイギリスあたりの緑の国だ。


カレンダーには、朗読と速読の違いが説明されていた、頭を活性化させ、記憶力を高めるには、そんなことを数時間続いた声出し後に考える、空腹は頭も空っぽにさせる、こんな時は話し声も鮮明で、濡れた路面のタイヤの音さえ伝わってくる。

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