第25話

飲み慣れていなければわからない、赤や白に比べるとどちらともつかず、泡が痺れさせてより見えない、それでも日が経てば、これがそれなんだと知れるようだ、それが何か、こじつけなどしたくないが、どうもつけようとしたがる。


始まりとなった本があった、その前でも闘牛士の出る本もあったが、決定とはならなかった、自分はあの人物になりたい、人からそんな話を耳にして、ないものだと思っていたが、今はそれがある、始まりがそれでなく、途中がそうなったのだが、昔を思い返して、挑むではなく、目覚める気持ちに戻る。


なにより苛立たせるのは、動きの遅さだろう、それが人であろうとパソコンであろうと、間隙ともいえない待機時間がチクチクとさわるのだ、そんな時を埋め合わせる技術を持てばいいのだと、電波も受け取らず、戸惑い通しのノートを前に考えて、長年働いてきたからと、ほんの労りも覚える。


目玉の話に吹き出す、淫猥残酷な物語だったのに、くしゃみで飛び出して引っ込めるとは、目が開ききらないところに、笑みの効果だ、遅い冬の寒風も、こんな時にはいいものだ。


海辺の風雨だ、水たまりに細い波をさざめかせて、粒の小さい水が覆いに叩きつけられる、量はなくとも音は明瞭に聞こえて、昨晩のスタッカートのピアノを思い出す、雲が暗くて、道を横切った黒猫が潮と合わなかったんだ。


確率をたよりに自分をなぐさめる、宙からの石にぶつかるようではなくても、あまり高くない、週初めのあとはいつもそうだった、それもたしかな根拠にならないが、今日は寒いから、早く暖かく眠ろう。


謙虚こそ大きさに合わせて備えるべきものだと知れば、ああ、あの有名人の顔が浮かぶ、省みて、功績がなければ要はないかと問えば、言わずもがな、正直と異なる点を飲み込んで、いつまでも直に正しく述べていくのかと、赦しが持てずにぶら下がっている。


春鳥三匹、配達の雷はレンタサイクルで走る、察知しているのだろう、毎季とならない山からの招来は、ヒタキやカラなど、覚えられないさえずりを電線に聞かす、人はいるけどいないのか、不足がチャリに任せる。


色の違う三連のバイクがうなりをあげる、強い回転数で咆哮するように、エンジンの制動で高らかに誇っている、そんな時だ、向かいの道では別のが右に曲がっていく、風を自ら作り出して、停滞などもってのほかだ。


一地域で経験の共有が結ばれた世界に広がっている、いつか思い返す時に、どのように扱われて、多くを生み出すのだろうか、対人ではない敵の悲劇として、渦中の外にあって感じるのは、生き抜こうとする目まぐるしい生命力の変貌だ。


強いができない、できるが弱い、判官贔屓が理によって解決してくれる、人はついてこないなんて言うが、考えたこともない、甘さがどれほど自にも他にぬるま湯を注いでいるか、多数決のずれが目の前で繰り広げられる、まあいいか、そんな気分で片づけてしまおう。


岩にしがみつきながら懸崖を歩いているなら、迷妄に惑わされて、足を踏み外したように信じてしまう、研がれた感覚はわずかな咳や喉の違和を疑う、自分だけでない赤紙のような怖れに、これこそ間違いのような一体感が。


いつかの朝ドラの主題歌が、今日の空を前振りに流れる、当時はアイコンが歌うポップと懐疑していたが、昔の歌謡のようにじかに伝わる詩と旋律に、ペダンティックに抗っていたような、今耳にすれば時が落ち着かせてくれたようで、真っ直ぐ元気が青空をわたるようだ。


権威にもたれすがってしまうのは、何を持たないから、疑うことができないのも、何もないから、慰めの説明に自分をあてはめて息を吹くのも、枠にはまっていないから、分析では何も生み出せない、結果だけを見る外の濠だ。


昼飯を食べて家の外に出れば、北の方にヘリコプターが旋回している、そういえば先ほどサイレンが、雨を待つ薄曇りの空と山を背に、黒く霞みがかった煙が筋を三本ぼやけさせている、見紛いそうになるのは、火の手か、中心を回る機械があてをつける。


花粉症の始まりに目が痒むも、後はそれほどでもなく、花が開いて治まってきた頃になって、鼻が詰まってきた、それが誤魔化していて、首の玉を触って状態を確かめていたのも、サボっていた掃除機によって、体に痒みが走っている、アレルギー、頭の二文字を替えて、どうにか力にしたいものだ。


印象は美味のようにして、眠る前の暗い画布に綾な陶酔を繰り返していた、狂暴なまでの欲望と惑乱の中で、苛まれる喜びに顔を上げるようにして、それでも飽きてしまうのか、マスクが距離を近づけ、普段ない間で目が合っても、残らない、夜に選ぼうとしても、現れない。


先日の三度寝で蓄えられている、平日なら布団を出ずも、休日は気兼ねなく早起きできる、衣類を回そうとベランダに出ると、空気が止まり、小鳥だけが跋扈する世界が響いている、早朝の佇み、開いた空の下、人人が眠る中を歩いた旅行が懐かしい。


自宅作業による孤独の弊害を聞く、大抵の人の話は自分に置き換える、そんな時に特性に新たな光が当てられる、社交性の欠如ではなく、連結力と継続性がない、それが今に生きていると知るが、今に始まったことではない、留められた高校二年間、それこそ今に続く大きな節目の実体化だった。


孤独が辛いわけではないが、自宅ではどうしてこうも集中して生まれないのだろうか、原因はいくら考えられても、細かく変えても変化は乏しい、やはりと決めて、熱い水筒に厚着して、手提げにフリースを丸めて家の前の公園に座る、日焼けは気になるものの、すくすくと伸びるようにはかどっていく。

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