第16話

おそらく恐れの思い込みが今朝をつくりあげたのだろう、目、頭、その他の器官にもあとを残した、寒さと、移動が、また夢も多かった、もう忘れたが、休日に必ず休めるなんて考えが、きつい土台になっているからだろう。


老婆心か、これが人としての成熟か、衰退か知らず、また強さとも弱さとも判然できない、泣いてくるのではなく泣かせてしまうと、とても忌むべき感情の状態も、しめつけてくる、画像は普段と違って見える、何にしても、悪さでは決してないだろう。


雨降る寒さの中で、白紙を前に頭を捻る、ここ数日を過ごして、快調なまま動いているわけではない、その訳はいつもの冷えと腹に求めるが、基底になっているのは滞りだ、まだ何も記す前から、恰も詰まらないと、見えない壁の前で煩悶する。


熱いコーヒーを飲みながら、長くない文章を書く、そんなことを考えながらカップを手に歩いていると、揺らいでこぼれてしまう、やけどするほどではない、ひふに香りがたちのぼるようで、指にも味のわかるのがいるのだと、口と口に湯気が揺らめきあう。


朝のエレベーターはコンマの違いで降りていく、この誤差が信号にも連動して、タイムカードの数字はゼロになるかもしれない、走ってもう一方に向かい、あがってくるのを待って振り返れば、遠くの稜線は霞にくっきりしている、音楽と同じ効果だ。


やっぱりいい気になっていた、昼の不満に、夕刻の本と、夜の映画が作用して、わざわざ時間を搾取する痴話を演出する、圧力は内から出て、人格と尊重を目に入れず、いい気になって真似しているだけ、今はよくわかる。


走る、走る、走る、師走でもないのに、数分に走る、普段は目にしない方に、おつかれさまといい、ちょっと緩んだ交差点を抜ける、空は晴れないが、春らしい空気の到来に向かって、ついつい走りたくなってしまうのだ。


休日の午前に洗濯物をとりこむと、宮島の方の山並みが消えている、夜に回し、夜に取る、そんな生活だからか、白い包装の板チョコがにょきっと生えている、せっかくの画面が、毎年少しずつベランダから景色は消されていく、嫌だなと思うも、あの影になる人に比べればなんでもない、見る方を変えよう。


空元気、空自信、背中を丸めずにどうにかいられるのも、その二つが左右で支えているから、他から得ずにこしらえれば、頼りなくも楽だろう、ところが空タンクに思いがけない褒め言葉が入ってくると、バランスがやけに悪い、少しで満タンになるから、空威張りしないように。


買った三十年前のピカソ展の表紙を飾り、目がしょぼしょぼする、よく寝て、よく活動した休日だった、冷たい雨にあたったか、いや、使いすぎか、乾きはないのにドライアイのようで、あくびが出て、目の前の絵に目が離れる。


一日経てば熱気は失せる、おもねり、はばかり、はしやすめ、好きにやればいいなどと、ころころころがる無責任な文句についていけと、力のない者の弱腰に引っ張られる、山椒の香り、次に燻製、そして足元のダンボールに転ぶ。


自分には縁のない分野だと、決めつける差別はいくぶん和らいだだろう、新しいニュースに、その再現のラジオに、舞台で印象を残した音響が重なり、沸き立つものが悩ませる、比較に傷つくのは悪くない、刺激を自己の革新へ。


遠く、知らないことを逃すのはしかたないことだ、しかしあるとわかっていたことを、見過ごすのは違う、わざわざとった休みで得た時の素晴らしさを、川向うの子供ドームの灰色の背後に、一群の雲と、虹の足先が、きらびやかに演じてくれている。


空きっ腹にチャーシュー、昼と夜、わざわざ同じ料理をどうして、類は類となり、脂が脂とつく、運動の少ない日にタンパク質は多量で、これが脂肪になればと、胃腸と肉体のあばらに、屁ばかり臭う。


ついつい頬杖をついてしまう、背骨の歪みや、顎の位置のずれなどを気にするのではなく、その姿があまり好ましくない、そう思っていながらついてしまう、ついつい、これが気取りの装いならまだいいが、単純なことだとしたら、心であれ体であれ、とにかく避けるべきだ。


まるで女性のような気持ちになってしまう、いつもじゃなくても、たまにほめてくれれば、それでどうにかやっていけるから、そんな鼻で笑うどころか、真顔で見つめ直さなければと思うくだらなさが飛び回るのは、やはり褒められて有頂天。


自転車を停めようと足元を見ると、緑に綺麗なロゼッタが広がっている、小さい草で、タンポポか、いつ生えたかなど気にもならない存在に、春を感じることもできるだろうが、そんなやわじゃない、気づかなかっただけで、ずっと張り付いていたのだろう。


一年間違えたハンマースホイ展の広告が、東京にてあがる、今年はくじに当たらない限り旅行はしない、そう決めたが、山口へ行けるか考えてしまう、そんな昼飯時、記事に疲れて目をつむり、開ければ、濃茶のカーテンから射す光が椅子へ、構図が明暗のフランドルだ。


立春を過ぎて窓外から鐘が鳴る、単音ではなく細かいのがそれぞれにいくつか、クリスマス、起源がどこにあれ慣習としてテレビが流れる音を思うも、実際は寺か神社か、正誤の交わった朝に、冬らしい指のかじかみもある。


夢の分かち合い、一個は川原と教室の階段で、一個はタイと空港の並びと妹さんで、他にありありと最近の考え事を見るも、自はわからない、なんて考えながらゴミ捨て場へ行き、手に持っている物を間違えないようにと思いつつ、手元のパンを思い切り放る。

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