第10話

取り憑いてやまない歌が、ふと別の歌に置き換えられると、そればかりが繰り返し、一度に二つは流れず、後のほうが頭と心を占めて、三十分、一時間と続くと、前は、どうだったか、思い出せない、あんなにしつこく渦巻いていたのに、歌詞はなんとか辿れるが、メロディーが逃げ去って、掴みどころがない。


早い目覚めで、二度寝して、前は仕事に怒鳴るが、今朝は寄席にいるらしく、石畳の坂の小道を通ったか、露天で仕事着を探したか、先にある別の店で前はシャツを買ったと、何の記憶だ、それから、あばら家で噺、それが何の話だ、座っている男は坊主だが知らず、喋っているが聞こえず、まあ、悪くないか。


躍ったり、沈んだり、降ったり降らなかったりの雨と雲の中で、なんだか冴えず、椅子に座って足を組み、目を瞑ると、浮遊して、イソギンチャクの呼吸の膨らみと萎み、婆さん、アガベ、誰かの笑顔、譫妄を羅列したような呪いの文句、寝入る前の取り留めの無い表象と言葉が、虚ろに、滾滾と沈むようだ。


雨が、干いた頃合いの太田川を流れて、靄る大気の中に、黄土の水を、細かな波紋と、泡を、明るい砂浜を岸にカーブさせて、勝手にさせて、土手の緑は濡れてバーベキューを寄りつかせず、東南アジアの大河の悠悠にあり、鵜が一羽小さく潜り、遠くから景色をスクロールさせ、もう一羽、砂の上に鵜の背が。


ちょっとした返事による、急激な憤怒により、頭は血の気に酔っ払い、殺し文句が目まぐるしく、目が見えない、目が見えない、必ず吐き出してやると、そう決めると、腹が痛み、吐き気がしてきて、トイレに入ると、歯まで痛くなる始末、それで朝から聞いた一つの曲が、ほっと流れて、治癒してくれたから。


好きな対象が、区切られた範囲の中で一つだけあったが、川の流れで、支流に分かれるように、二つになることもあるらしく、同時に存在して流れ続けることを喜ぶも、一つを見れば、よそ見になるのは避けられず、力はそのままの形で細胞分裂するのではなく、ハサミで切ったように、均等に分かれるらしい。


前日のダルさにつられて、夕食を少なくして早寝すれば、腹にガスばかり溜まり、時折目覚めては、ゲップが何度も何度も口から出て、去って、気づけば寝坊して、体の動きだしは鈍く、朝食をとる時間もないので、用意して、何とか外に出れば、朝の空気がおいしく、食べ物ではなく、そればかり吸い込む。


人を笑って馬鹿にして、近頃記憶にないほどの珍しいミスをしでかし、頭が混乱してから、これほどの集中による計算の沈潜は一体いつ行っただろうか、常時の神経ではこうもいかない、稀の事による頭脳の疲弊が数時間響き、感情の渦が旋風となり、笑い、疲弊して、悔しい、だから豚肉を一杯食べて、眠る。


オリーブの種をおもいきり噛む、親知らずでなく、名ばかりの永久歯でもなく、生え代わりを持たずに今も残る幼児からの乳飲み犬歯が、がりっと、雷と、削岩機の音と共に工事され、折れたか、割れたか、探ると、揺れている、懐かしい、乳歯の取れる揺れを、やめてくれ、今さら、後がない、間抜けは嫌だ。


負、そう思っていた様様な行動と反応は、実は真逆の意味を持ってのことだと知り、落ち着き、重心が定まり、冷たさなど、気分の良い爽快なひやっこさで、不愉快など、愉快に踊れる快適なストレスで、今になって全てが繋がっていくのは、ふとした瞬間に、親の心を知るような、大人になったような気分だ。


たった数行を書くのに、六年近くかかったのが、最近となっては、ほぼ毎日の事となり、できないこと、それがどれほどできないことか、なんだかわかったような気がするも、できているのかできていないのか、結局わからず、ただ、わかるのは、少しでも手を離すと、不安で、落ち着かず、触りたくないのに。


信号を待つ、渡る、自転車を停める、牛丼屋に入ろうとする、信号待ちで隣にいた人が先に入る、券売機が二台、高額紙幣は右へ、五千円を出す、前の人も五千円を入れる、牛丼、戻る、うどん、戻る、牛丼、うどん、生卵、この間、眉が釣り上がり、顔の狂うは、鈍さ、牛のとろさ、それと猿のような不辛抱。


とある心配が、去ったように思うも原因はわかっておらず、勝手にこしらえた出来事が残り続けて、気になると、頭にとある映画のメロディーが、アコーディオンのメランコリーな旋律で流れはじめ、やや色調の強い画面に、緑の黒板でチョークが描かれていて、前の白壁を見ると、蒸し暑いのに、鳥肌は立つ。


お土産の白レンガのハルヴァを、居間の座椅子に尻つけて半分ずつ食べて、畳にこぼし、まあいいか、まあいいや、ちょっと気になっていたら、洗濯物を取り込み、畳んでいると、案の定歩いており、ペルーの宿の思い出の名となった、オルミーチャンが、ここにも、そこにも、フローリングの台所にも、いる。


この日はラジオで、沖縄にセブンイレブンが初めてオープンした日だと聞いて、リスナーが、そこへデートに行ったと伝えているので、ふと、ロシアに、マクドナルドができて、脱全体主義の象徴に物凄い行列が並んでいる動画を思い出し、そんな感じかな、そういえば、鳥取のスターバックスもあったかなぁ。


今日も、昨日も、その前からも、髪型を変えたことについての評価が突く、一つは海外の昔の党員を、一つは日本と離れた人種を、当て嵌められて、からかわれるも、別の人は定型的に褒めるので、それがぶつかり、日が経った今も、トイレのたびに鏡を見て、ぼっとした電球色のなかで愉快にさせてもらえる。


外は雨に続く雨が降り、斜めに地面を駆ける雨脚は、去年の出来事を思い出させていると、ラジオは朝から昼に繰り返されて、煙に燃え、昇り、つい前に観た映画の、焼身場面が繰り返し呻き、意義が、意味が、あれは繋がるものがあったのに、これは、ただただ、胸を爛れさせるだけで、激しい雨を見るのみ。


秒ごとに変化する雨と風の勢いに、気を揉みつつ、駅への川辺に沿って歩き、橋を渡って濁りを見下ろし、強くなり、閉まっているスーパーの軒下で休み、駅で傘を振って久しぶりに電車に乗れば、見知らぬ乗客は何と新鮮にあるか、最終駅はどこか知らないけれど、そこまで行かないけれど、このまま乗ろう。


予報と異なり、乾いていくアスファルトを窓から外に眺めながら、やけにエアコンが寒い一階の広間の席に座り、余った時間をやり過ごす、赤茶のレンガ壁を、回廊状の二階を歩く人の列を見て、昼食後の働かない頭に、もっとうまく時間を使えたらと、促すも、あくびに次ぐあくびで、目をつぶり、傾げる。


仲入りに、足を動かし、二階の窓から外を用もなく見ていると、ブランコが揺れて、ピンクのヒジャブとメガネが振り子していて、ああぁぁ、と思うと、水色模様のヒジャブの女性が、自転車を笑ってこいでいて、つと、昨日に観たサウジアラビアの映画が、横顔が微笑み、ただ、チャリを走らせるのとは違う。

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