第6話

化粧でしみや皺を隠し飾るも、程度が過ぎて内の不細工を露呈するのは、品性がなによりも重要で、ブランドのバッグが安っぽい身なりと姿勢に質を落とされ、香り良いはずの香水も同様に、みすぼらしい見栄えに強く臭い、美味しい醸造酒やソースに無駄な香辛料や調味料を入れて、味わいが消滅するようだ。


上がり下がりは誰にでもあり、満ちたり引いたり、いつだって同じ場所にはいられないのに、なぜか最近は、ちょっと心の変化があったせいか、ずいぶんとひさしぶりに、躁鬱でいうなら躁でいて、こんな調子がずっと続くと錯覚してしまい、いずれ変わることを知りつつも、変わることがとても信じられない。


午前中に見たメール、しかし、昼に携帯電話がない、いつものポケットに、上着のそこにも、どこにも、電話を鳴らせば、ヴァイブレーターはどこにも響かず、耳を澄ますも、気配がなく、想像と困惑が膨らみ、どうせガラケーといわれるものだ、別に大したことはない、と気落ちすると、自宅のトイレになぜ。


これをしよう、これをしよう、決めていたのは昨日からのことで、予定では、予定を崩して開けた予定で埋まるはずだろうに、体というより、頭が言うことをきかないというより、いわず、昔のアルバムを、写真ではなく音楽によって、一枚一枚ひらいていき、これはきっと、これはしかたないのだと思う。


大型のダンボールを枠に透明のビニール袋がはめられたゴミ箱のそばに、ふと薄く茶色く丸まったものが見えて、おやと思って手に取ると、それは見慣れきったクラフトテープの剥がした残骸で、なぜこれが、今だけ、枯れた落ち葉のように見えたのかと、手にとって訝しく見ている一時に、ラジオが流れる。


楽しい時は早く過ぎ、毎日は楽しくなくても、歳をとると歳月は早く過ぎていくといい、実際日々はどんどん過ぎて夜の脅威は深まっていくばかりだから、早く過ぎるならもっと楽しい実感があってもいいものだと不平を言いそうになるも、何もないから、もしかしたら楽しい日々を過ごしているのだろうか。


生活に追われて、心身が疲弊しきってしまうと、目を奪われ、鼻がきかず、耳は塞がれてしまうのだと、しめごの、たらふくの睡眠で、まるでミイラのように体が動かず、棺桶の中から暗い天井と、斜めに射す隣の灯りを見たあと、むくっと起き、飲み、冴え、ヴァイオリンの音色を聴くと、すべてが蘇る。


珍しく、人の幸せを、心から嬉しいと思ったのは、なぜだろう、そんな疑問は照れ隠しだろうか、目頭が火照り、涙が垂れるわけではなく、みずから滅多にない感情にしんすいしたくて演技するのではなく、トイレに行き、ふと鏡を見れば、目が赤いと驚くほど、心から生まれた、本年の祝なのだろう。


昨日、平和記念公園でジョウビタキを見たから、今日は比治山に来たついでに、カメラを手に、耳をそばだて、午前の囀りを聴き分けて、枯れずにいる常緑葉と、黄色が垂れる梢を見やるも、小粒が通り、紛れて、とても収めることができず、望むと現さない小鳥に苦笑いし、立ち、歩き、どこから白檀が香る。


器用だけれど不器用、不器用だけれど器用、繊細だけれど鈍感、鈍感だけれど繊細、適当に言葉を配置しているようで、的確に性質が表れていると、あらためて話す。


つまらんものがおもしろく、おもしろいのがつまらない、まずいのにおいしく、おいしいのにまずい、人にあぶれて、いくつも積み重なるダンボールを前に、送り状の束をプレゼントのように、一枚一枚はがし、貼り、いったい何が変わるというのか、なにもなりはしない、かわりはしない。


アレクサ、サイモン&ガーファンクルが聴きたい、アマゾンミュージックでシャッフル再生します、そうですか、聴き慣れないが聞いたことのある曲を聴いていると、聴き慣れたイントロが、アレクサ、DJシャドウと間違えたか、昨日聴いたから、ぼけているな、と聴いていると、コンドルが飛んで、元ネタか。


ふと目を向けた窓の外に、何かの幕開けのように影と光に彩られた雲の旅団があり、建ちそびえるコンクリートとタイル群を眼下に、悠々動き、飛行機の窓から、人類の幕開けのような光景で輝く瀬戸内の海と島々の、あとに突き抜けて広がった雲海が見えれば、ベランダに来た雀が傾げてこちらを覗いている。


アレクサ! ブラック・サバス、マリリン・マンソン、レッド・ツェッペリン、ミッシェル・ガン・エレファント、ビースティー・ボーイズ、クラシックだけの生活は、ただ一台から繰り返されるエコーからレッスンとなり、気になっていた名が身近に寄せられ、叫び、ロックとギターが低いベースに荒れ腐る。


鬱屈した部屋の中で、思うようにいかず、いき詰まり、もうだめだと外に飛び出してみれば、なんておいしい空気が、これは、水を得た魚のように、ただちに想念が爆発し、前の公園のベンチに座り、書こうとしたら、メモ帳がなく、とまり、シュノーケルを忘れて、美しい海に漂い、呆然とするようだ。


カメムシ、おまえがなぜ香る、冬に、おまえがなぜ香る、映画館に、座席に集中している時に、その香でなぜ意識をそらす、カメムシめ、暗いなかに、見えない姿で、その香ではっきり存在して、恐怖を募らせる、ゴキブリよりも、臭いで攻める、カメムシめ、何度も何度も、揺れる波間のように、映画に臭う。


たまにはのんびりしたい、いつものんびりしているか、とてものんびりしていない、それほどせわしない生活をおくっているか、そうでもない、楽しんでいる、楽しんでいる、楽しんでいるさ、悪くない、だからもっとがんばろうと思わずにはいられない日があるのは、ふとした昔の自分の痕跡による、感傷だ。


二年半前に来たときは、フォカッチャ、ホタルイカ、鶏レバーのワイン煮がおいしく、今回は、ししゃも、イカ墨のライスコロッケ、いぶりがっこがおいしく、変わったのは周りの状況、話し、笑い、以前とは違い、周りに人がいる、ただ、それは自分が作り上げたものではない、それを勘違いしてはいけない。


久しぶりの長い睡眠が、自分も、他人も、すべてを許すようで、時間をしかと見つめ、無理に動き出していたリズムに修正を加えて、ゆっくり、トースターにパンを、牛乳を鍋に温めて、目の前に広がる朝の時間をつぶさに味わうよう始まったが、たった一人、生贄だけはいつもよりも許せずに一日が過ぎる。


日々のアルコール、日々の睡眠不足が身体を錆びつかせ、朝の目覚めに、スポーツ選手のような言葉を借り、寝起きはすぐに動けない、身体が可動するまでに最低5分間は要する、少しずつ油をさすように、そんな遅刻すれすれの出勤で、持っていた苺のスコーンを口にして、甘さに、気力と体力を取り戻す。

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