第4話

いかに歪な人間関係の環境に置かれているのかと気づくのは、ちょっとした出来事で足りるもので、蝉の幼虫が夜の平和公園の銀杏の樹皮を登っていて、ふと手で掴むと、抜け殻ばかり見ていた記憶とは違う生きた手足のばたつかせが必死な生命を感じさせ、いくらも手足を動かしていない抜け殻の自分を見た。


暑い暑いと皆が言い、今でもエアコンはつけないのかと訊かれ、その質問は、昨年も一昨年も同様で、答えは変わらず、質問となる動機も変わらず、どれも発展がないのは、本当は関心がなく、機械的に質問しているようで、人はそれぞれだから、本人の感覚をそのまま他人に移しても、全く意味がない。


気が沈む、自信がない、暑いのが好きだから夏バテではないが、腹の調子が優れないから、なんだか気力が出ない、いつものこの時間は元気に動けているのに、なんだか頭がぼーっとして、やけに打たれ弱い、なんて日の夜に思いきり足をぶつけると、なぜかハサミが出ていて、親指のつま先から血があふれる。


血が止まるか、病院で縫ったほうがいいのか、これでは仕事に支障をきたすのでは、などと心配して一日経てば、血は止まり、絆創膏で傷口は済んでしまう。こうなると元気が出る。ちょっとした傷は、刺激となり、逆に元気が出ると笑いも出る。


西瓜が小分けされて用意され、一人の男は喜んでいただき、一人は無言で首を横に振って食べず、一人は嫌いだからと言って食べず、一人は食べるのが面倒くさいからと言って食べなかったなかで、魚の骨じゃないのだから、食べることを面倒がっていては、生きるも面倒でしかたないだろう。


今日の自分は、憂鬱で誰とも話したくない、そんな自分だと認識している外では、近寄りがたい雰囲気を大袈裟に拡大して、自分が思う何倍も不機嫌な人だと周りの人は思っているのだろう。


新聞でコンサートを知り、歓喜し、チケット発売日の購入を嫁さんに頼み、結局自分で買いに行き、前列の席を買い、喜び、その日を何度も想い、曲を夜に幾度も聴き、思い描いていた日の前日を迎えれば、当日の夕飯をどうするか嫁さんに話す始末だ。マーラーは痴呆に素早く盗まれた。完全に忘れていた。


期待に違わない素晴らしいコンサートに陶酔した今日は、その一定の時間に一日における幸福が集中したようで、朝も、昼も、夜も、どの時間も限りなく憂鬱な気分に支配されるも、一時の感動の為ならば、望んで気鬱を得んとするだろう。


毎日の生活で、自分の頭の中の話題はどうしたって職場のことになり、いかに人生というかけがえのない時間を無為にしているのだと嘆いてしまう。雇われではなく、自営業だったらと考えれば、やっぱり少し違うだろう。しかし今の環境を選んだのは自分でしかないから、徹底して自分を責めて虚しくなろう。


ほんの小さな好印象という評価によって自信を失うのは、無理になでつけた自信のポマードがわずかな水しぶきで剥げてしまい、吠えていた子犬がひるんでしまうのと同じ道理だ。


乾燥した涼し気な夜に騙されそうになるも、また暑い日々がやって来ると天気予報は言う。風が木木を揺らし、虫の音は空気に合わせてしんみりするようだ。夕刻に一匹元気なアブラゼミが鳴き、寂しげに感じる。嫌々言っていたものを恋しくなるのが、贅沢な人の感性の虫の良さだ。


頭がすっきりせず、仕事でも慣れない時にしでかすような間違いをして、体は重く、憂鬱で、どのように調子を上げればいいかなどと考えるも、そんな気は本当はなく、台風が近づくせいで心身が安定しないからと、こんな調子を受け入れて酔うべきだが、やはり快活でいたいと思うのは、きっと嘘だろう。


世界は、後ろ向きな、否定的な、厭世的な者に容赦なく襲いかかり、先月のことが、なぜ、今になって自分にぶつかってくる、それもこんな時期に、ミスはさらに重なり、反省と変化を促し、煩いけれど、このままでは悪くなるだけだと、知っていたけれど、塞いだ者は簡単には笑いはしないが、もう負けだ。


月曜日は元気でいられるから、この曜日の様子があとに続く数日にも同じ気概を与えてくれると過信してしまうから、夜更かしをしたくなる。まるで命のずっと続くように、体調も変わらずにいるのではと思うも、ニュースや人の話で、当たり前なことがどんな事実であるかを、平然とした事象で見つめさせる。


しなければならないことはあるが、手は動かず、まして頭はもっと働かず、目が重たくなって、理性が退けて欲に釣られるも、やましさは残り、このままでは良くないと思うも、思うように抜け出せないなら、まず、小さいことでよいから、できることを探し求め、それが糸のようでも、しがみつくがよい。


屋内から、熱く照りつける砂漠の陽光のアスファルトの通りを見ると、扇風機だけの音がする中を、静かに、半透明のビニール袋が風に転がり、都会のタンブルウィードは狂った気候に合わせて、不気味に踊り去って行った。


いざ休日になると、平日に感じていた欲望が暴発して、あれをしよう、これをしようと頭の中の考えとは裏腹に、体はなぜか動こうとせず、気だるさが先走り、動かないことに焦りを感じてしまう。ふと、欲がたくさんあるのではなく、義務に変わってしまっているのだと、昔のある日の日曜日を思い出した。


たったの二時間の昼寝と酒により、なんと未来が明るく見えることか。


その対象が新奇であるから、初めはどれも新鮮に映り、感心していくのだが、ある程度慣れると、ありきたりのつまらなさが始まり、気づけば虚無へと近づき、あれほど面白みを感じていた物は、ただの無関心として距離を確立していたのは、その対象に、なんら深みがないからだ。


素直とムラっ気、何の解決も見つからない。

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