娘たちの章

商談

 エドガー・キーツの屋敷の応接間に通されたディアナは、財力を来客に見せつけるためにこれでもかとばかりに部屋中を飾る豪奢な絵画や彫刻を一瞥することさえなく、ビロード張りのソファに腰掛けるや否やエドガー・キーツに問いかけた。


「この世界を変えたい、と思ったことはありませんか?」

「世界を変える? 神様にお祈りすればよろしいと思いますが」


 皇太子の強い視線に射られ、エドガー・キーツは困惑していた。突然皇太子が押しかけてきたと思ったら、彼は世界を変える、などとのたまうのだ。体が弱く寝込んでばかりの少年だ。自分をあわれんでの発言だろう。子供のお遊びに付き合っている暇はないが、相手は皇太子だ。この国の最高権力者の息子、つまりはこの国で二番目に権力がある人間だ。商売を有利にするためにキーツが大枚をはたいて買った下っ端貴族である騎士の位を気まぐれに奪うくらいは楽勝だ。機嫌を損ねてしまうことは避けたい。さて、どんな贈り物をすればいいのか。


「神に祈る、とはいっても神にその祈りを取り次ぐ者がどうしようもなく腐敗していたら、どうなる? そして、その者達は神の言葉を歪め、不当に人々を搾取さくしゅしているとしたら?」

「中央教会の事をおっしゃられているのですか?」


 驚いた。国王家は既得権益きとくけんえきの側にいると思っていた。教会と組むことで神への信仰を利用し、権力基盤を盤石ばんじゃくなものにしている。王家は天使の子孫であると主張しているが、本当に天使の子孫なのかどうかも怪しいものだ、とキーツは思っていたが、そんな事を口にすればすぐに異端いたん扱いされて破門、そして絞首台が待っている。


「ああ。おかしいとは思わないか。聖書のどこにも、女は教会に入ってはならないと書かれてはいない」

「確かにそうでございますね。ですが、当たり前のことでございましょう?」


 キーツの言葉に、皇太子は表情を歪めた。


「コリント人への第一の手紙には、この世は、自分の知恵によって神を認めるに到らなかった。それは、神の知恵にかなっている、という言葉がある。誰しも人間である限りは神を知ることは出来ない、という意味だ。そうだというのに、聖職者たちは我らのみが神の御心を知っているとのたまって、好き勝手をしている。彼ら自身、神とはなんなのか分かっていないにもかかわらず、だ。あげくの果てには、財産半分を巻き上げておきながら布切れ一枚しか与えないという強欲さだ。その寄進を貧者に恵んでいる様子もない。富める者が天国の門をくぐるのはらくだが針の穴をくぐるのよりも難しい、と聖書にあるから人々は寄進を行うのに、聖職者はその寄進を隣人のために使うのではなく、自分が肥え太るためだけにため込んでいる。ただ寄進をしなければ地獄に落ちると人々を脅して金銭を巻き上げ、ぬくぬくと生きているものたちが、本当に神の言葉を理解し、人々を天国へと導けるとお思いでしょうか?」


「思えません。ですが、教会がクェンタール伯爵に授けたのは絹布です。神様が教会にお授けになった神聖な布でございます。ただの布きれではございません。その滑らかさは、天国のものです。そのような奇跡を手に入れるために財産の半分をなげうつ気持ちは分かるような気がします。人間は神を理解できません。ですが、神から授けられた絹を教会が持っているという事は、教会は私たちよりも神に近いところにいるというのは間違いないのではないでしょうか」


 皇太子のあけすけな物言いに、キーツはあっけにとられた。どうやって教会で女と密会するか相談されると思ったのに、とんだ神学論争だ。だが、神が与えた布である絹の存在は事実だ。聖書の記述はいくらでも解釈を変えることができるが、物の実在ならこの変人皇太子といえども否定できまい。皇太子はにやりと笑った。


「絹の実在が、教会が神と近い証拠、と言ったな? ブレナン! 例のものを持って参れ!」


「承知いたしました」


 皇太子の従僕が、机の上に白木の箱を置いた。ふたが開けられ、その中からつややかな糸が巻かれた糸巻が姿を現した。見たことがない艶だ。きっと高く売れる。一目見ただけでキーツの商人としての勘がそう告げた。


「手に取って確かめてみてくれ。それは、売れるか?」


「ふむ」


 キーツは糸巻を手に取る。艶やかで、春の月光を糸にしたような柔らかな質感。群れているかのように指先に絡みつくのに、べたりと張り付かず、不快感はない。

「売れるでしょうね。しかし、どうやったらこんな糸を作れるのですか? 羊毛でも木綿でも麻でもないように思えますが」


「それは絹糸だ、エドガー・キーツ」


「はい? 絹糸? まことでございますかあ?!?!?!?!」


 あまりにもあっさりと皇太子に言われ、キーツは現実を受け入れられなかった。教会だけ神が授けたはずの神聖な絹糸が、大して信心深くもない下っ端貴族の手の中にある。どうして。皇太子は目を白黒させるキーツをおもしろそうに眺めている。


「絹も、この世に存在する以上はただのモノだ。それに適当な伝説をでっち上げてありがたがっているのが、教会だ。教会の権威は人間を破門できることと、絹の存在だ。むしろ、絹の存在によって教会は神の実在を人間に信じさせ、破門された者を人間ではないものとして人々に扱わせることに成功している、ともいえる。そんなくだらない事にかかわずらなけらばならない世界を、私の絹とあなたの商才で変えてみないか?」

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