ギブアンドテイク

 沈黙はしばらく続いた。正気とは思えない膨大ぼうだいな寄進を行ったことに対して、誰しも言葉を失って当たり前だ。ディアナはそう思う。ただ、セリカのように、長時間凍りついたように動かないのは、少し大げさ過ぎるように思えた。


『なんてこと……むちゃくちゃじゃないの』


 セリカは開口一番にあきれを吐き出した。財産半分を寄進して絹のハンカチ一枚しか手に入れられなかった伯爵はくしゃくなのだ。セリカもむちゃくちゃだと思っていたんだ。ディアナはセリカと同じ気持ちだったことが、ちょっぴり嬉しかった。


「やっぱり、財産の半分を寄付するのはやり過ぎだよね?」


『いいえ。教会の方よ。聖歌隊の服、あれは絹なのよ。それだけ寄付したのなら、聖歌隊の服くらい渡したっていいじゃないの。本当にに強欲ね!』


「そうだね、セリカ。クェンタール家は名門だし。この国ができた時から王家に仕えてる、古い家なの。そうだ! 彼に絹づくり、手伝ってもらえるんじゃないのかな。財産半分を払ってやっと手に入れた絹を、身分の低い女の子が作れるって知ったら、きっと教会がどんなにばかばかしいことをしてるのか分かって、教会に対して怒ってくれるんじゃない?」


 セリカとディアナの気持ちは違っていたらしい。軽くディアナはがっかりしたが、セリカの言うことは公平で、筋の通ったことだった。大人ならきっとわかってくれるはず。ディアナは協力者として、ギャビン・クェンタールを挙げてみた。

 伯爵に呆れるより先に教会に対して怒るなんて、やっぱり悪魔だから教会が嫌いなのかもしれない。教会自体、女の子にひどいことをしていたらしいから、悪魔ではない普通の人でも嫌いになって当然だ。そんなことをディアナが考えていると、みるみるうちにセリカの顔が険しくなった。


『いいえ。それはありえないわ。ギ……なんだっけ? まあいいわ。彼にだけは絹を作っているということがバレたらいけないのよ。ディアナ。人は、自分が無駄なことをしてしまったことを認められず、現実を受け入れられずに、現実に対して怒ることが多いの。大切なもののために無駄なことをしていても、大切なものに対してはひどく当たれないから、現実に対して怒ってしまうの。古い家、ってことはそれだけ権力もあるってことでしょう? 素手で怒り狂ったクマを相手にするようなものよ。体の弱い皇太子が、かなう相手じゃない。彼に対抗できそうな後ろ盾を得ないと、絹を売ることはできそうにないわね』


 ディアナは驚いた。自分が無駄なことをしてしまったことを認められず、現実を受け入れられずに、現実に対して怒る。大切なもののために無駄なことをしていても、大切なものに対してはひどく当たれないから、現実に対して怒ってしまう。そんなばかばかしい事があるのか。それは、冬にマルベリーの木に対してなぜ実をつけないのか文句を言うようなものだ。あまりにもばかげている。

 そのような人間の存在を信じられない一方、大切なもの、と聞いてディアナはレーンのことを思い出した。ママはレーンに、あなたが大切だ、と言っていた。そう言ってナオミがレーンに飲ませた薬のせいで、レーンは死んでしまったのだ。もしかしたら、ママはレーンの為にしていることが無駄かもしれないと、心のどこかで気づいていたのかもしれない。だからこそ、ディアナにきつく当たったのかもしれない。そう考えて、ディアナはぞっとした。これじゃまるで、ママが私のことを愛していないみたいじゃないの。きっと偶然の一致だ。ディアナはなんでもないふりをした。


「そっか。じゃあ、彼とは協力するどころか、いつか喧嘩けんかになりそうね。でも、家柄がある人に対抗するって、どうするの?」


 セリカはにやりと笑った。


財力ざいりょくよ。絹を売って財力を手に入れて世界を変える、って言ったでしょう? それと一緒よ。あなたが後ろ盾に選ぶべきなのは、身分は低いけど、財力なら家柄だけにしがみついている古株ふるかぶ貴族よりもずっとある人。誰かうわさに聞いたことはない?』


「え、でも貴族社会で一番ものをいうのは、家柄だよ?」


『家柄なら、あなた皇太子じゃない。最高の家柄よ。世界を変えるために社交界を渡っていく上で、あなたに足りていないのは財力なの。家柄が欲しい新興しんこう貴族と、財力が欲しいあなたとの間には、お互いに後ろ盾になれる関係ができるの。わかる?』


 予想外のセリカの言葉に、ディアナはあっけにとられた。


「……私が、後ろ盾に、なるの?」


『ええ。こういうのはギブアンドテイクよ。与えないと、何も始まらないの。新王子を応援するして甘い汁を吸いたい貴族なら山ほどいるだろうけど、バカを選んじゃダメ。共倒れになるから。下手に信仰心があるのもダメ。絹のことを教会に密告するかもしれないから。利益だけで動いてくれそうな貴族、誰かいないかしら?』


「セリカ、ずっと私と一緒にいるのに、なんで召し使いの噂話を聞いてないの? セリカだって、貴族の噂話も聞いてるはずなのに、話題にしたことないよね?」


『悪魔と人間の言葉は違うのよ。人間の早口すぎる話は聞き取れないの』


「そっか」


 ディアナは考えてみた。バカじゃなくて、信仰心がなくて、利益だけで動く人。


「エドガー・キーツ、かな」


『どんな人なの?』


「家柄は騎士。一番低いし、その地位も、生活に困ったキーツ家の家柄を、金で買い取ったものなの。貴族の地位は神様か、その代理として王様から授けてもらうものだから、非難轟々なんだって。でも、地位を買い取れるくらいの大商人だから、私たちが組むには最適だと思う」


『最高じゃないの! エドガー・キーツと組むわよ、ディアナ』


 協力者は決まった。ディアナは具体的な交渉について煮詰めることにした。


「どうしたら、彼は私たちと協力してくれるだろう? 彼を説得する方法、なにか思いつかない?」


『説得、って言うくらいだから、得を説くのよ、ディアナ。彼に実際に絹糸を見せて説明するのが1番でしょうね。あと、一体誰に売るのか、ということも』


 二人のひそやかな会話は、夜明けまで続いた。


『だいたい決まったわね! じゃあ、早速絹糸を紡ぐわよ!』


 朝日がマゼンタ色に染めた部屋から、金色に満たされた廊下へディアナは一歩踏み出した。少女の小さな一歩だったが、それは間違いなく新グレートブリテン王国の未来を変える大きな一歩だった。

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