プレゼンテーション
世界を変えてみないか、と精一杯の
『よく出来たわディアナ! 堂々とやれてたわよ』
セリカがほめてくれて、ディアナはすこしほっとした。人前で自分にしか見えない存在と話すわけにはいかないので、ディアナは小さく頷いてキーツを観察した。
現在、キーツが熱心に眺めている絹糸は、蚕とクワコの合いの子の
「これ見せたら絹が作れるって信じてもらえるよね?」
『そうね、プレゼンテーションでは実物があるってすごく説得力を持つわ!』
セリカはそういった。でも、本当にそうだろうか。ディアナが不安になってきたとき、キーツが顔を上げた。
「世界を変える、とおっしゃいましたな、皇太子殿」
「ああ、そうだ」
不敵に笑いながらも、ディアナの鼓動は激しくなる一方だった。
「そもそもの話、絹とはいかにして作るものなのかご教授いただけませんか? 商品の原料について把握するのは、商人の基本でございます」
「そうだな。まず、絹というものは虫の繭から作るのだ。ブレナン、追加の品を持って参れ」
ディアナは、虫の繭から絹を作ることは誰にでも出来ることだと見せるために、あえて
また、ディアナはブレナンに命じて、セリカと一緒に作った繭のスポンジ、化粧水をキーツに示した。絹織物以外の商品として、スポンジや化粧水など女が使うものを作るということ。女のための物だから、女という事を十全に発揮する娼婦たちの意見を取り入れた方が売れるものができるという事。そして、娼婦は学も信心も無い者が多いので、絹だと言わなければ、単に美しい布や美しくなれる化粧品としてこぞって買い求める。女向けの商品などめったに無いので商機は十分にある、とディアナは締めくくった。キーツは拍手した。
「皇太子殿、素晴らしい。不肖エドガー・キーツ、皇太子殿下の計画に出資をいたしましょう。きちんと誰に売るのか、という事も考えていらっしゃいますし、女向けの商品とは今までに考えたこともございませんでした。ただ、これだけはご了承いただきたいのですが、わたくしめは皇太子殿の召使いでございます。ですが、身銭を切ってお仕えすることとなります。ですので、それ相応の報酬をいただきとうございます」
ディアナとセリカは中空で顔を見合わせた。報酬って言ったって、今はキーツに見せている絹糸ぐらいしかない。
『仕方ないわ。将来の売り上げからいくらか渡すしかないわ。まだ具体的な値段を出せないから割合で指定するわ。出せるのは、1……2割ね。まずは1割って言って』
「今はすぐに渡せるものが無い。だが、絹製品の売り上げの1割をキーツ殿に差し上げる、これでいいだろうか?」
「あまりに少のうございます! 3割は頂かなければ!」
キーツは大げさなほど抗議した。駄目じゃないの。これじゃ取引がまとまらない。ディアナはキーツと自分の中間に浮かぶセリカをにらみつけた。セリカはにやにや笑っていた。
『予想通りね。3倍で要求してきた。ディアナ、娼婦たちの面倒は自分が見る事と、社交界で買収工作をやることをそれとなく言って2割に値引きなさい。譲歩した形を作るのよ』
「3割!? 娼婦たちの世話はこちらで見るから人件費がかかる。それに、皇太子から下賜された品だというだけでありがたがる貴族たちもいる。彼らに鼻薬をかがせる役は、あなたより私の方が適役だろう。しかし、出資を申し出てくれた者に1割だけというのも考えてみれば心苦しい。キーツ殿、ここは2割で手を打たないか?」
「では、その旨の契約書をしたためましょう」
キーツは自分の召使いに命じて契約書を二通持ってこさせた。キーツが保管する分と、ディアナが保管する分だ。
『よくやったじゃない! 世界を変える一歩を踏み出したわね。さあ、サインして、ディアナ』
セリカの声は明るく弾んでいた。ディアナは彼女に微笑みかけ、ペンを握った。署名欄にペンを走らせようとしたとき、彼女ははっとした。絹の工房を作るのは、皇太子とキーツの間の契約だ。ここにディアナが書くべき名前は【レーン】なのだ。ここで【レーン】とだけ書いてしまったら、ここには【ディアナ】がいないことになる。どうしよう。ディアナは顔を上げ、口が動くに任せてキーツに問いかけた。
「契約書についてだが、病気で死んでしまった妹の
「どうぞ。わたくしめの取り分が減るのでなければかまいません」
あっさりとキーツは了承した。死んでしまった妹、と自分のことを表現した時、ディアナは氷の剣で体を貫かれるような痛みを覚えた。でも、こうしないと【ディアナ】はこの世にあらわれることができない。まだ。
「ありがとう」
契約書に【レーン】【ディアナ】とサインするとき、ディアナは手の震えを文字に反映させないようにするので精いっぱいだった。峠を越して、時間差を置いて興奮や恐怖が体に下りてきたのだった。セリカの言ってくれた通りに行動したらうまくいった。
でも、まだ【ディアナ】はここにはいない。【ディアナ】として私が生きられる世界を作るのは、まだまだ先だ。
契約書が畳まれ、箱に入れられて双方に渡された後、具体的に絹を作らせる娼婦の選定の話に入った。年増がいいのか美しいのがいいのか、いろいろとキーツは提案してきた。ディアナは視線でセリカに助言を求めた。
『うーん、若いほうがいいけど、あんまり子供過ぎても困る……あと、字が読めれば教えるの楽なんだけど、このご時世でそんな子は身売りなんてしてないかしら』
「ある程度大人で、でも若い人間がいいんだ。字が読めればなおよしだ」
「字が読める娼婦? 皇太子様、字が読めるのは豊かな商人の娘くらいのものです。身売りをするような貧しい娘に、そのような者がおるとは思えませぬが」
『やっぱり無理なのかな。でも、十分その可能性はあると踏んでたんだけど……』
「従者殿、御心配なさらず。文字が読める娼婦に、一人心当たりがあります」
「本当か?」
ディアナは身を乗り出した。
「アルス王の新たな宮殿へと参上した際に、近道をしようとして迷い、治安の悪い道に入ってしまったことがありましてな。その時に、字が読める娼婦を見かけたのですよ。道をふさいで大喧嘩をしておりました。契約書に書いてあることと、実際の自分たちの手取りが違うと売春宿の主人に噛みついておりましたから、おそらく計算もできるのでしょう。目つきの鋭い女で、顔を見たらすぐ分かります。皇太子殿下のお望みの女ではありませんか?」
『最高じゃない! ディアナ、彼女をスカウトしましょう!』
キーツの言葉に、セリカが手をたたいた。ディアナはキーツとセリカに向け、皇太子としての威厳を見せるために、満足そうに笑って見せた。
「望み以上だ。さあ、彼女を迎えに行くぞ。キーツ、馬車を用意しろ」
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