国王崩御

「国王陛下が、亡くなった――?!」


 ディアナは耳を疑った。


「先生、王様の先祖は天使なんだよね? なのに、なんで王様は死んじゃうの? 天使は死なないのに」


「ディアナ、王様は確かに天使の血筋を引いている。でも、神様が天国からこの国の王として選んだ天使は、人間になったんだ。だから、王様も死ぬんだ」


「そう。そうなんだ」


 国王崩御ほうぎょをうけて、世の中は穏やかではなくなった。葬儀に伴う出費の為の増税が課されたせいか、民衆がいつもにもまして熱心にキノコや食べられるものを森で集めるのをディアナは見かけた。

 ディアナの生活にも変化があった。新王即位のための人出が必要とされ、召使が数人やめた。

 ゼントラムからの貴族が何人もディアナが住む屋敷を訪ねてくるようになったのは、それからしばらくしてのことだった。ごてごてと飾り立てられた馬車が何台も平野の方からやってきて、毛皮のマントを羽織り、女のように顔を化粧した男が何人も屋敷に集まってきた。ナオミは彼らと応接間で夜遅くまで話し込むことが増えた。低い声で交わされる会話の内容は分からなかったが、彼らは何度もレーンの名前を口にしていた。

 男たちが帰った後、ナオミは前にもましてレーンを元気にさせようと必死になっていた。レーンの部屋には、今までの倍以上に怪しげな祈祷師や薬師、整体師が出入りするようになり、ディアナはレーンと会えなくなってしまった。ブレナンの授業もナオミが止めさせてしまい、ブレナンもレーンと顔を合わせることができていないようだった。ディアナはレーンがどうなっているのか、何度かナオミに尋ねようとしたが、ディアナが話しかけても、ナオミはディアナを無視し続けた。ナオミの目には、レーンと貴族たちしか映っていない。鳥狂いが鳥と、鳥狂いの仲間しか相手にしないように。ディアナの日々の楽しみは、復活と死を繰り返す不思議な蛾を眺める事だけになっていた。

 そろそろクリスマスが近づいてきたある日、ブレナンがディアナの部屋を訪ねてきた。ディアナは蛾を入れた小箱を隠し、ブレナンを迎えた。彼の表情は今までに見たことが無いほど深刻な顔だった。


「ディアナ、来年の1月1日に、新国王として、亡くなった王様の弟、アルス様が即位なされる」


「なんでそんなに困った顔してるの、先生? 王様の事なんて、私たちには関係ないでしょ?」


 王様が変わったらレーンが元気になる、というのなら関係はあるかもしれない。でもご先祖様が天使とはいえ、王様は人だ。奇跡を起こせるとは思えない。ディアナがそういうと、ブレナンは苦笑いした。すぐに彼の顔から微笑みは消え、部屋に入ってきたときよりも真剣な色が彼の目に灯った。


「……夜にお客さんがたくさん来るから、そのときに詳しく話す。レーンも同席だよ」


「でもレーンまだ寝込んでるよ?」


「大事な話だから、ね」


 ブレナンはディアナの部屋から出ていった。何なんだろう。王様と私たちの関係って。ディアナはいろいろ考えてみたが、全く心当たりがなかった。彼女の物思いは、ブレナンの悲鳴同然の絶叫でかき消された。


「ナオミ様、それは、それはおやめください! ヘーゼルナッツだけは! レーン様が動けなくなったのは、ヘーゼルナッツがきっかけなのをお忘れですか!」


 レーンがどうかしたのだろうか。ディアナはブレナンを追った。レーンの部屋の前で、ブレナンがナオミと言い争っている。ナオミが持っている茶碗には、茶色と緑を混ぜ合わせたような、川底の泥のような色をした薬湯やくとうが、不気味に湯気を立てている。

 形容しがたい青臭いにおいがディアナのところに届く。言われてみれば、薬草の鼻をつくにおいの中に、ナッツの香ばしい香りがするような気もした。しかし何とも胸がむかついてくる。レーンは毎日こんなのを飲まされてるのか。ディアナはレーンがかわいそうで仕方がなかった。


「あれは小さな子供だったからよ! レーンは病弱とはいえ14歳。女なら結婚してもいい年だわ! 男でも14歳になれば、成人を認められる者もいる。ちゃんとレーンは世継よつぎとして成長しているわ!」


「だとしても、ヘーゼルナッツ抜きの薬湯を作るように命じてください! ヘーゼルナッツだけは、レーン様の口に入れてはなりません!」


「駄目。大樹のように立派に育つように様々な薬草を混ぜ合わせて、計算しぬいて作られてるの。魔よけの力を持つハシバミの実ヘーゼルナッツは、絶対にはずせない要素なの!」


 ナオミはブレナンを振り切り、レーンの部屋に入った。ブレナンとディアナも彼女に続く。


「レーン様、どうか、どうかその薬をお飲みにならないように!」


「ブレナン! あなた、レーンがどうなってもいいの?!」


「レーン様を思うがゆえの忠告です!」


 部屋ではちょうどナオミがレーンに茶碗を渡した所だった。また細くなった。久しぶりに見たレーンの姿は、やせ細り、皮膚ひふはもはや青白く、まるでガラス細工だった。ディアナは言葉を失った。再燃した言い争いに対して、レーンはあくまでも穏やかだった。


「先生、心配してくれてありがとう。でも、僕薬湯を飲むよ。ママが僕が元気になるように、僕のためを思って、せっかく用意してくれたんだもの。悪い事なんて、起きるはずないさ」


「そうよ。その通りよ。あなたが大切だから、準備したものなの」


 ナオミは激しく頷いた。ディアナは、レーンとナオミがどこか遠くの世界の住人のように見えた。十歩歩くか歩かないかで近づけるところに二人はいるのに、その二人の周りに目に見えない壁があって、ブレナンとディアナはそれを乗り越えることがどうしてもできないような気がした。

 レーンは茶碗に口をつける。細い喉がこくこくと動く。薬湯をレーンが半分ほど飲み干した時、異変は起きた。


「うっ―――――――」


 突然レーンの手から茶碗がこぼれ落ちた。レーンの顔色も、尋常じんじょうではない。

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