不思議な蛾
うそでしょ。作り物のはずだったのに。あんなに
ペンダントの残骸は
そして白い蛾は、何事もなかったかのようにディアナの手のひらの上で
・
マルベリーの樹皮は梨の皮のようにざらついている。老木のマルベリーなら、もはやヤスリのような鋭ささえ持っている。ディアナは靴紐と、
ペンダントが復活したあと、温室に行って白い蛾とよく似た薄い灰茶色の蛾――クワコと会わせた。
驚いたことに、白い蛾とクワコは普通に尾と尾をつなぎ合わせ、文字通り交尾した。そして、白い蛾はクワコと同じように卵を産んだ。これによってディアナは白い蛾がメスだと知った。
オスを受け入れたことからも、クワコと白い蛾は近い種類だと言えるが、生態は大きく違うようだった。産卵のさまが全く違うのだ。バラまくようにちびちび卵を産み付けて歩くクワコと違って、白い蛾は飛びも歩きもせず、卵を敷き詰めるように生んだ。
わけわかんない。一か所に一気に卵を産んだら、まとめて鳥に食べられちゃうのに。白い蛾に対して感じたふがいなさを思い出し、ディアナはむしゃくしゃしてきた。ナイフをもう一振りする。ばさりと音を立てて若枝が地面に落ちた。
ディアナは産卵を終えた白い蛾をじっくりと観察し、口が無いことに気がついた。このままだと、白い蛾は
幸か不幸かディアナの心配は
卵を生み終わった白い蛾は時が戻るように
ディアナは自分の目が信じられなかった。自分が夢を見ているのではないかとさえ思った。自分が目を覚ましていることを証明するために、ディアナは蛾の変容の全てをスケッチし、絵に描ききれないところはメモを取り、記録を残した。
しかし、そのことさえも夢ではないのか、とディアナは疑ってしまうことがあった。自分以外誰もいないはずのスケッチをしていると、不思議な声が聞こえたのだ。
『上手い! 点描使いこなしてるし、メモの内容も的確……ケンキュウシツにほしい……』
ディアナはとっさに辺りを見回したが、誰もいなかった。記録を取ったノートも、ちゃんと存在していた。しかし、ディアナには不思議な声の主を探す余裕はなかった。
白い蛾とクワコの間にできた子供たちが卵からかえり、彼らの食欲は庭に植えてあるマルベリーを丸裸にしかねないほどなのだ。もしそんなことになれば当然マルベリーの木は枯れ、マルベリージャムが大好物のナオミが
レーンの祈祷がうまくいかなかったのは明白だ。レーンは祈祷の後、回復するどころか、ベッドから起き上がることさえできなくなっていた。それでもナオミはあきらめず、レーンに怪しげな薬を飲ませたり、正体が定かでないまじない師をレーンの部屋に入れたりしていた。ナオミの様子は、まるで品評会に出す血統書付きの鳥を美しく保とうとして、鳥を鳥籠から出すことなく様々な餌や止まり木をとっかえひっかえする鳥狂いに良く似ているとディアナは思った。鳥狂いの目には鳥しか映っていないように、今のナオミの目にはレーンしか映っていない。しかも話題が、蛾だ。また暖炉で燃やされてしまうのがオチだ。
ぼんやりしていたせいか、ディアナは重心を崩し、左足が幹からずれた。とっさにナイフを離し、右手で枝をつかむ。
『きゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!』
絶叫。もしかしたらナイフが誰かに当たってしまったのかもしれない。ディアナは慌てて桑の老木から降りる。予想に反して、ナイフは森の柔らかなコケに深々と突き刺さっているだけだった。もちろん、人影などない。ディアナには訳が分からなかった。
・
季節は巡り、マルベリーの葉も落ちて十一月になった。子供たちは死んでしまったのに、白い蛾は食べ物が無くなっても成体とさなぎと幼虫の三つの姿に変容することを繰り返していた。
この蛾はものすごい発見だけど、あんまりすごすぎて、人に話してもきっと信じてもらえない。目の前でこの蛾を叩き潰したりしたら別だろうけど。やっちゃおうか。ディアナがそう思った途端、燃え盛る標本箱が脳裏をよぎった。よみがえると分かっていても虫を傷つけたくはない。そもそも、誰に見せたらいいのだろうか。ママは蛾を見る事さえ嫌がるだろう。
いつもディアナの話を聞いてくれる優しい大人の、ブレナン先生に見せるのもなんだか怖かった。白い蛾の不思議な様子を見ていると、この蛾は実は旧世界の遺物で、悪魔が宿っている、と説明されたらディアナは信じただろう。そして、ブレナン先生にこの蛾を取り上げられてしまうかもしれない。もう自分の物を失うのは嫌だ。部屋の小物入れに隠した白イモムシを見ながら、ディアナはため息をつく。
レーンが元気だったら、相談できたかもしれない。ママに気づかれないよう、どうレーンと会おう。ディアナの考えは、勢いよく部屋に入ってきたブレナンに
「ディアナ! 大変だ!」
「なんですかブレナン先生? もしかして、レーンが……」
ブレナンの真っ青な、血相を変えた様子にディアナは弟が最悪の状態になってしまったのではないかと覚悟した。しかし、ブレナンは首を横に振った。
「違う。国王が――国王陛下が、亡くなった」
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