生きていたペンダント

 暖炉になげこまれた昆虫標本こんちゅうひょうほんは、パッと燃え上がった。炎の赤い舌が白木の木箱の表面を黒くなめとり、中の虫たちをあらわにする。さえぎるものが無くなった虫たちへ炎は貪欲どんよくに触手を伸ばし、居間には虫が燃える異臭が立ち込めた。あっという間に、美しい立体図鑑だった昆虫標本は、みにくい消し炭と灰の集合体になった。

「ママ! ひどいわ! レーンが見たいって言ってたものを燃やすなんて!」


「虫なんて気持ち悪いもの、レーンに見せたらどんどん体調が悪くなるにきまってるわ!」


 ディアナとナオミの金切り声が居間に響きわたる。感情のままに叫びながら、ディアナの中に残った冷静な部分がなにかがおかしい、と告げていた。ママはレーンに元気になって欲しくて行動しているはずだ。でもそれは、現実のレーンを見て現状を分析しながら、レーンを元気にするための方策を探るのではなくて、レーンが元気になりそうだとママが思うことを片っ端から試しているだけで、レーンの事など見ていないのではないか。ディアナの背を、すっと冷たい物が走った。


「虫! 虫! 虫! ディアナはずっとそう。女の子らしいことを何にもしない。ディアナが良い女の子じゃないから、レーンだっていつまでたっても良くならないのよ!」


 わたしがいい子じゃないからレーンが良くならない? そんなこと、あり得ない。ディアナは切れた。


「違うわ! 怪しい事を散々試されてる今よりも、私と虫取りをしてたちっちゃい時の方が、レーンは元気だったわ! そもそも、良い女の子ってなんなのよ! ママは何も教えてくれなかったじゃない!」


 パン、と自分の左で大きな音がした。衝撃と熱が左ほおに伝わり、骨まで伝わった痛みによって、自分がナオミに叩かれたことをディアナは知った。


「親に口答えするなんて……本当に育てにくい子。どうしてこうなったのかしら。私は頑張ったのに、どうして上手くいかないのかしら」


 ナオミは鬼女のような目でディアナをにらみつけていた。それにも関わらす、ディアナはナオミが自分を見ているような気がしなかった。ナオミはディアナを通り越した、何かはるかかなたの物を憎しみのこもった視線でとらえていて、その視界に偶然ディアナが入ってしまった、という雰囲気があった。


「ナオミ様、授業の時間でございます。ディアナ様をお連れしてもよろしいでしょうか?」


「ああ、もうそんな時間。どうぞ」


 ブレナンの姿を見るや否や、ナオミは普段通りの不機嫌な様子でディアナを廊下につきだした。


「なにがあったんだい、ディアナ?」


「ママに、ママに昆虫標本を燃やされちゃった……」


 レーンの部屋に向かう間に、ディアナはブレナンに事のいきさつについて話した。レーンにの標本を見せようと思っていたこと。レーンの部屋に行く途中にナオミと出会って、箱の中身が昆虫標本だと答えたら、問答無用で燃やされたこと。


「そうか……レーン様には、私から話そう」


 ブレナンは沈痛ちんつうな表情で言った。

 その日の授業は、旧世界の物には悪魔が宿っているから注意するように、という内容だった。王都の王城の地下にはすべてを滅ぼす悪魔が封印されている、といったブレナンの解説に相槌あいづちを打ってこそいたが、ディアナの心には、燃え盛る標本箱しか映っていなかった。大切なものを壊された怒り。レーンと標本を見ながら話ができなかった不満足。そして――ペンダントの蛾がなんなのか、解明できていないいらだち。魔女の鍋のようにぐずぐずと暗い気持ちが渦巻く心を持てあましているうちに、講義は終わっていた。

 蛾と言えば、と最後にブレナンが唐突に切りだした。


「ノーデン次期領主からのお触れが出てるんだ。なんでも、白い蛾の首飾りを探してるそうだよ。なんだろうね?」


 そう言って、授業道具をまとめるとブレナンは部屋から出ていった。


「……ディアナ、あれどうしたの?」


「え、えーと、その、森の中で失くしちゃった」


 白い蛾のペンダントを渡したくない。ディアナはとっさに嘘をついた。レーンは澄んだまなざしでディアナを見据みすえている。ディアナは目をそらした。


「……見つけたら届け出なよ?」


「はーい」


 ディアナは生返事を返した。

 レミーからの贈り物のペンダントはすごく良くできていて、気に入っている。なにより、モデルとなった虫の正体を知りたい。それまでは手放すわけにはいかない。もう、私の物を奪われたくない。レーンの部屋をそそくさと去り、ディアナはペンダントを右手に握って屋敷の外へ駆け出した。

 森の中なら、いくつか物を隠せそうな場所がある。ディアナは人気のない森を急ぐ。あせりのせいで気がそぞろになっていたのか、ディアナは木の根に足を引っかけた。手をつく暇もなく、ぐるりと世界が回転する。気づくとディアナは盛大に尻餅をついていた。背骨までジンジンと衝撃が伝わる。


「痛っ!」


『きゃっ!』


 転んだ瞬間、知らない女性の悲鳴が聞こえた。もしかして、誰かを巻き込んじゃった? ディアナはあたりを見回す。午後の日差しにあたたかく照らされた森が広がっているだけだった。だれもいない。ディアナはほっとした。

 痛みが引き、ディアナは右手にぬめりを感じた。もしかして、硬いペンダントで手を切ってしまったのかも。ディアナは恐る恐るこぶしを開いた。そこにあったのは、赤ではなく白だった。

 ペンダントは無残に潰れ、普通の蛾を握りつぶした時と同じように、半透明の体液と体のパーツをディアナの手のひらに貼りつけていた。


「えっえっうそなんで、あんなに硬かったのに! 作り物じゃなかったの!?」


 混乱が去り、ディアナを喪失そうしつ感が包んだ。気に入ってたのに。標本も、ペンダントも私の好きな物は壊れちゃうんだ。ディアナはため息をつき、右手を顔の前に持ちあげた。次の瞬間、ディアナは目を疑った。

 手のひらについた蛾の体液らしきものが、ざわざわうごめいている。

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