16.蹂躙

その1

 その日の昼に、ルコは寛菜に招かれ、寛菜の執務室に招かれた。執務室と言ってもどこにでもあるような長いソファーと一人用のソファーが二組向かい合わせになっており、その間に背の低いテーブルが有り、執務用のデスクがあるだけのような質素な部屋で、あとは取り立てて多くのものがあるというわけではなかった。

 ルコと寛菜はテーブルを挟んで向かい合わせに座り、ルコは長いソファーに座っていた。

 余人を交えずにこういった会談の場を設けた寛菜の意図を察すると、ルコはこの都市に対しての危機感が嫌でも高まってきた。

 寛菜からは昨日の戦闘の貢献に対する感謝の言葉が述べられた後、現状に対する意見交換が行われ、次第に今後の話へと話題が移っていった。

「成る程、ルコさん達は自分達の世界に帰る方法を探しに行くという訳ですか、それは素晴らしい事ですね」

 寛菜はルコが自分達の目的を告げると、素直に感嘆の言葉が出てきた。これはやはり寛菜の誠実な人柄から出てくるものなのだろう。

「そう思ってくれてこちらとしても大変嬉しく思います。つきましては、この都市の皆さん全員で、研究所を目指しませんか?」

 ルコは思った以上に良い反応を得たので、そう提案してみた。

 寛菜は一瞬困った顔をしたがすぐにその表情を隠し、テーブルの上にあった2つの空のティーカップに目を留めた。

「ルコさん、紅茶のおかわりはいかがですか?」

 寛菜は答える代わりにそう聞いてきた。ルコの提案は即答できる類の提案ではなかったが、何だか言いづらそうな事を誤魔化している気がした。

「え、あ、はい。いただきます」

 ルコは予想外の言葉に驚きながらも寛菜の申し出を受け入れた。

「それじゃ」

 寛菜は立ち上がると、2つのティーカップを持って、執務デスクの横にあるシンクへと歩いていった。そして、ティーポットの横に置くと、ティーポットの出がらしの茶葉を棄て、一旦ゆすいでからお湯を入れた。

 ルコは黙って寛菜の行動を目で追っていた。

「この紅茶は口に合いましたか?」

 寛菜は火傷しないようにティーポットのお湯をティーカップに注ぎながら聞いてきた。

「え、あ、はい。なんか紅茶らしくないというか、紅茶だという主張がないというか……」

 ルコは別にグルメではなかった。ただ、紅茶の独特な感じが美味しいとは感じないようだった。

「そうですね。このニルギリはよく言えば、スッキリした飲み口が特徴ですが、逆に悪く言えば、特徴がない茶葉かもしれませんね」

 寛菜はちょっと笑いながらそう言って、茶葉をティースプーンで測るようにティーポットに入れ、お湯を注いで蓋をした。

「寛菜さん、紅茶にお詳しいのですね」

「詳しいというより、ただの紅茶好きですよ」

 寛菜は楽しそうにそう言いながら時計をじっと見ていた。そして、

「この世界は進んでますよね。こんな寒い土地で紅茶が作れてしまうんですから」

と続けた。正確には作るのではなく、合成するなのだが、話の筋には影響がないので良しとしよう。

「はぁ……」

 ルコは自分の提案に対して何の返答もないのに困惑していた。

 寛菜は茶こしを使いながらポットから紅茶をカップに注いで、ゆっくりとルコの方に戻ってきて、紅茶の入ったティーカップを2つテーブルに置いた。

「あのぉ、寛菜さん……」

 ルコは我慢しきれなくなったのか、先程の提案についての返答を聞こうとしたが、寛菜に手で制されたので、黙った。

 寛菜はソファーに座り、ティーカップを手に持つと、ゆっくり一口飲んだ。

 先程制されたのでルコは固まったまま一連の動作をじっと見ていた。

「先程の提案ですが、我々がルコさん達に付いていくのは不可能です」

 寛菜は返答に時間を掛けた割にはあっさりと申し出を断ってきた。

「何故です?先程も申し上げましたが、この城塞は決して鉄壁ではありません。ならば、ここにこだわるのは……」

 ルコが熱意を持って説得に取り掛かろうとしたが、またしても手で制されてしまったんので、口をつぐんだ。ルコの方も制止を無視して話し続ければいいと思うのだが、寛菜の様子を見ているとそれをやってはいけない気持ちになっていた。

「昨日の戦闘でお気付きだと思いますが、ルコさん達と我々では戦闘能力に差がありすぎます。我々が付いて行けば、必ず足手まといになります」

 寛菜は微笑んでそう言った。

 ルコはその微笑みを見て悟った。この人は自分達の最後を既に予感しているのだと。

「ですが……」

 ルコはなお一層熱を込めて説得しようとしたが、まだすぐに制された。

「ルコさん、こう考えて下さい。あなた方は帰る方法を探す。我々は一番生き残れる確率が高い方法でその報を待つ。ただそれだけの事なのです。もしかしたら、我々の方が楽しているかもしれませんが」

 寛菜はずっと微笑みながらそう言った。

 完全に覚悟を決めている寛菜を見て、ルコはそれ以上の説得の言葉が出てこなかった。

「最初にあなたのSNSに書き込んだ時はこんな話になるとは思いませんでした。ただ私の近い世界から来た人と直接話がしたかっただけなんです」

 寛菜は穏やかにそう言った。

 確かに文面にはSNSの存在を知っている同士、話がしたいと書いてあった。そして、そのまま滞在してもいいし、都市外に出ていって行ってもいいとも書いてあった。そして、書いてある通りの事を今まさに寛菜は実行していた。

「この都市を出ていったからと言ってルコさんが罪悪感を感じる必要はありません。むしろ、私は少し希望が持てるような気分です」

 寛菜はちょっと晴れやかな表情になっていた。

「希望が持てる?」

 ルコは寛菜の言っている意味が分からなかった。大軍が押し寄せるれば、ここは地獄絵図に変わるのは明白だったからだ。更に言えば、今まで猪人間達が大軍で攻めてこなかったのが不可解な事で、攻めてくる事はほぼ確実だろうとルコは考えていた。

「はい。あなた方が元の世界に帰る方法を見つけたら、我々にも知らせてくれるでしょ?」

「それはもちろんお知らせしますが……」

 ルコは寛菜と話している内に、寛菜自身元の世界に帰る方法が見つかるとは思っていないようだと感じた。また、それを見つけにいこうという術もない事も寛菜自身には分かっているようだった。ルコは寛菜のグループだけでも一緒に行くのはどうかという言葉を発しようとしたが、すぐに止めた。そして、このようにルコは色々考えたが、寛菜を見ているとこれ以上続ける言葉が見つからなかった。

「それなら我々はその報をここで待っています」

 寛菜はそう言うとニッコリと笑った。それは同時にこの話の打ち切りを宣言する笑顔だった。本当に覚悟を決めているようだった。

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