第3話《消失現象》

 百四十七に及ぶ観測を行って僕は初めて、彼女の体に触れた。肩に手を置くと伝わる布の感触は間違いなく彼女がこの世の人であることを証明した。しかし不思議なことに、ざらざらとしたブレザーの感触は僕のものよりも手に触れた接触面が少なくざらつきが弱い。視覚的には彼女の体は幽霊のごとく半透明で、一階の階段奥にある薄暗い用具入れのロッカーが見えていた。

 いるはずなのに、いないかのように可視化されている。江尻は彼女に起きている不可思議な現象の前にぽつりとつぶやいたのだった。


「……超常現象なのか? 本当に消えている」

「私にもわからないの。けどいつの間にかこうなっていたの。半年前から、私の体は消えているの」


 半年。ちょうど僕が彼女のパンツを見た時期と重なる。しかし、僕が彼女に問いたいのはそんなことではない。

 

「聞きたいことがある。なぜ君が今日に限ってノーパン主義に走ってしまったのかを問いただしたい」

「ちゃんと穿いているよ! けど、今見たら穿いていないように見えているかも……」

「穿いているのに、穿いていない?」


 パンツとは穿くためのものだ。どんなスケスケパンティーやTバッグでも必ず陰影や紐が見えるはずだ。それが穿いていないように見えているだと? 矛盾している。

 確かめようにも、彼女は女性。これはパンツめくりになる。ダメだ、監獄送りだ。手を出しては危険であり二度とパンツを拝めなくなる。

 しかし、彼女は色素が薄いながらも淀んだ色を見せて手を後ろにやった。


「別に確かめてもいいよ。いつもパンツ君に中を見られているし、悲鳴とか上げない。それに誰も私のこと、そこら辺に落ちている石ころみたいに気にも留めていないもの」

「なっ……!」


 愕然とし、声が出なかった。僕にパンツめくりをしろというか? 誰も気にしないから? それは僕等が求めるものではない、僕等は自然なパンチラを求めている。自然の風が、偶然のイタズラで巻きあがったスカートのすそから見えるパンツは至上のものなのだ。そして恥ずかしがる女の子の多種多様の動きはマリアージュである。向こうから見せてくるというのは夢があるが、パンチラとは全く異なるのだ。パンツめくりも同音異義語、まったく違うのだ。

 

「誰も気にしない? それはおかしい、俺は君をちゃんと認識できているし、川尻も認識している」

「それは……たぶんパンツ君たちが変だから?」

「それは良いことじゃないか。変人は世界を変える。常人では、世界の変化もこうした超常現象も認識できない」

「パンツ君も変だけど、彼も十分変だね」

「良き同士だ」


 彼女は片側だけ口角を上げて乾いた笑いをする。そしてスカートの中に手を入れて携帯を手に取ると、残った焼きそばパンを口の中に押し込んだ。


「もう時間だから教室に戻るね。この変な現象はもう受け入れているから、もう私を探らないでねパンツ君たち」

「ちょっと待て、君はサボるわけでも家に帰るわけでもないのかい?」

「うん」


 僕は江尻と顔を見合わせると、彼の顔には僕と同じことを考えていることが書かれていた。なんてもったいないことを!

 だってそうではないか。透明人間、人に気付かれず何でもできる最上の特殊能力ではないか。それなのに、普通に学校生活を送るだなんて……

 もっとその能力を有意義に有効活用すべきであると彼女を引き留めようとしたが、彼女はもう暗がりから日差しのある中へと消えていこうとしている。彼女の体は太陽の下では完全に透明状態を保てるようだ。


「きゃっ!?」


 突如、突風が窓ガラスを小刻みに打ち鳴らしながら彼女のスカートをまくり上げようとした。結果を言えば百四十八回目の観測は失敗したが、その代わりに彼女の特殊能力の手がかりが見つかった。

 まだ暗がりにいた彼女は風がスカートをまくり上げた瞬間、スカート周りの臀部あたりを丸ごと完全消失させて中がめくれるのを回避させたのだ。

 僕は彼女に接近しようかと躊躇した。けどここでも江尻が先に彼女に手を出して僕の役目はなくなった。


「君、少しだけ止まってくれ。すぐに済む」


 江尻がポケットからチューブを取り出して、彼女のうなじにさっと塗った。

 ずるいな江尻。


「ひゃっつ!? なに!? なに塗ったの!?」

「ただのハンドクリームだ。だがこれで君と消失したパンツを再出現させることができるかもしれない」

「どういうこと?」


 彼女は自分の身に何が起こっているのか把握できていないようである。彼女のうなじの部分から上がすっぽり消失して、首なし人間状態だ。しかもスカートの周りがただでさえ暗がりの中でようやく見えるのに、余計な怖さが漂う。

 江尻の考察と僕の考察に相違がなければこうである。彼女は自身が嫌がることに対しての回避行動のために自身の姿を消失させる。そして悪いことに江尻は僕と同じ予想を立てていた。


「つまりだ。君の《消失現象》というべきか、その能力を解く可能性が出た」

「本当に? これを解くことができるの?」


 彼女が喜色を浮かべると、消失していた首から上の部分とスカート周りの色素が再出現した。けど僕は反対に色を失った。

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