2-7

形作られる体は真っ赤。

光を発し、団地の建物を溶かし始める。


「マグマだ……。これは……なんの精霊なんだ……?

 こんなやつ、消魔士のデータベースにすらないぞ……。

 俺たちの手に負えるのか……?」

 

カオリは目の前に現れたマグマの精霊の扱う魔力が自分とは桁違いであることを肌で感じていた。

三体分の魔力。


「あっ、いた!」

 

背中から羽が生え、ツノある悪魔のような姿になった霊獣の頭。

額のところにナディアを見つけた。

今はまだ、アスカがつけたシルフの魔力でギリギリ守られていたが、それももう限界だろう。

 

風の霊傑になったカオリですら、その暑さに耐えきれなくなりつつあった。


「急がなきゃ!」

 

カオリは空を蹴って、マグマの悪魔に一挙に近づく。



ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!


 

マグマの霊獣が雄叫びをあげる。

それだけで、大量の熱気が周囲の温度を上昇させる。

団地はもう原型がよくわからないほど溶けてしまっている。

近づこうとしていたカオリはその熱気で押し戻されてしまう。


「もう私じゃ、止められない……!!」

 

カオリはすぐに作戦を変更する。

 

——なんとか、霊獣を落ち着かせて対話に持ち込みたい!

 

カオリはヴィンセントの元へ飛び込むと、事情を説明する。


「はぁ!? 対話して帰ってもらう!?」


ヴィンセントは意味がわからないと言うように頭を抱えている。


「はい!」


「だが、あんなやつとどうやって対話すんだ!」

 

ヴィンセントは白目をむいて、反論する。カオリは落ち着いて言う。


「前のサラマンダーが現れた時、消える前に言葉が通じる時があったの。

 だから、このマグマの霊獣も勢力が抑えられれば対話の余地はあるわ!」


「対話の余地があっても、どうやって説得して帰ってもらうんだ?」


「その通りね。対話して帰ってもらえるなら、これまでの霊獣にもそうしてるわ」

 

分析官のロンとアスカの冷静な指摘にカオリは頷いた。


「それはそうね。

 でも、霊獣が出た時点で団地を潰すことは決まっているけど、風の精霊と契約した私でも、あのマグマを全部吹き飛ばすなんて無理。

 それにこのままだとこの辺の気温が上が続け、近くの家なんかは燃え始めると思う。

 どうなるかわからないけれど、それでも、チャンスがあるならやってみるないと」

 

すると、奥でん寝ていたギンガがあらわれた。

松葉杖をついて満身創痍の格好だが、それでも、表情を崩さず、毅然とした態度でカオリに聞く。


「どうすればいい?」


「四方八方から水をかけて、温度を下げでおとなしくさせて欲しい」


「わかった」

 

ギンガはそう言うとヴィンセントに現場の放水指示を任せて何処かへ歩いて行った。

ヴィンセントはハァとため息を吐くと言う。


「やるしかねぇ。放水するぞ!」

 

ヴィンセントの指示で全員はテキパキと放水の準備を開始する。


「オンディーヌ!」


「はいは〜い! 私の番ね!」

 

カオリ以外の全員が、放水用のバズーカ砲を装備。

一斉に放水を始めた。



ウォォォ!



霊獣は困ったように体を捻って放水を避けようとする。


「いいぞ! 嫌がってるわ!」

 

アスカが興奮気味で叫ぶ。

その行為に霊獣は目をつける。



ヴォォォォォォォォォォォォォォォォォ!


 

いきなり、霊獣の悪魔はマグマの塊をアスカに投げつけた。

アスカの表情が固まる。

赤い光がアスカに迫った。


「危ない!」

 

カオリが止めた。

風の力を最大限使ってマグマを吹き飛ばす。

一瞬で冷却されたマグマは礫砂となって散らばる。


「また、助けられたね」


「気にしないで! とにかく放水を続けて!」

 

いつの間にか頼り甲斐のあるような発言をするカオリにアスカはクスクス笑いながら放水を続ける。

頼れる後輩もいいものだななどと考えていた。

 

そんなアスカとは裏腹に、カオリは焦っていた。

放水によって少しばかり霊獣の勢力が弱まったが、それでも、効果があまりなかったのだった。

カオリは唇を噛む。

これまでか。

近くの家はいつ発火してもおかしくないほど真っ赤に照らされていた。

 

——大規模魔災は避けられない…………………………!!


 

バシャっ!


 

精霊の頭に水が降ってきた。

 

上の階層を見ると、オスロとその子供の姿があった。

二人はぐっとサムズアップを構えて、カオリのことを見ていた。


「カオリさん! 応援に来たぜ!」


「来たぜ!」

 

二人でおなじように手を上げてこちらに、手を振っていた。

そして、すぐにバケツで水をかける人は十人百人と増えた。


「すごい……」

 

カオリは驚いていた。

どこからともなく集まって来た人たちが、次々とバケツリレーに加わり、一つ上の階層から、雨のように霊獣に水をかけていく。

 

ギンガがカオリの横に現れた。


「ギンガ隊長……!」

 

ギンガは頷いた。

彼はこういう時のために町内会を把握し、いつでも住人の協力が得られるように準備していたのだった。

カオリは自分の未熟さを改めて思い知らされた。

そして、今自分がやるべきことを再確認する。

 

カオリは気流を操作し、マグマに当たって蒸気となった水を回収、冷やし、液体に戻し、霊獣へと再度、水をかける。

 


ウォォォォォォォォォォ………


 

霊獣の動きが鈍くなる。

カオリは少しずつ水をストックしておいたところから、一気に霊獣に水をかける。

霊獣の纏っていたマグマはいっぺんに温度が下がり、全身を黒くして動きを鈍らせた。

カオリはここだ! と霊獣の顔の位置まで一気に近づく。


「ねぇ、どうやったら、あなたには帰ってもらえるの!?」

 

カオリは叫んだ。霊獣からの返事はない。

それでもカオリは霊獣の顔をじっと見つめ続けた。

目をそらしてしまったら、もうチャンスはないような気がしていた。

霊獣がカオリの方にぐっと顔を近づける。

 

周囲でカオリを見ていた人たちがひっと息を飲む。

しかし、カオリは動かなかった。

水をかけ、温度が下がっても近づかれればそのとてつもない熱気に当てられ、全身が熱くなる。

次々と浴びせられる水に霊獣の悪魔の体は輝きを失い鈍く光るようになる。

 

霊獣はカオリの方を向くと大きく息を吸い込んだ。

見上げていたアスカはブレスが来るのかと思い、ぎゅっと目を閉じてしまった。

しかし、霊獣はその大きな目でカオリを見据えるだけだった。


「人は精霊の力を幸せのために使うと約束した。

 我々の力でお前たちの暮らしが良くなっているのにどうして不幸せが起きる!」

 

カオリは手を胸に当て、心の底からの謝罪を込めて一礼した。


「お答えいただきありがとうございます。

 そのことについて返す言葉もありません」


「やはりか。ならば私は罰を与えなければならない。

 我々の力を使ってなお不幸せな人間に」


「……どうして目先の幸せだけを評価するんですか?」

 

カオリは精霊に問いかける。


「今の不幸せは明日幸せに変わるかもしれない。

 どうして、単位時間での幸せだけを見るんですか?」


「ならば、貴様。貴様は今幸せか?」

 

カオリは顔を上げて、言う。


「今は! 幸せの一歩手前です。

 私は無理して自分でもよくわからない理想的な幸せがあるものだと思い込んでいました。

 でも違ったんです。

 幸せは自分で定義できる。

 いや、自分で定義すべきだったのです。

 そして、わたしはあなたの中にいる消魔士の仲間を助けることで真に“幸せ”になれます」

 

精霊はカオリの姿をじっと見つめると、言う。


「この女の家族は“不幸せ”だった。

 それも改善されると言うのか?」


「ええ。いずれ。人の感情は昔から変化してしまうところから変わっていないのです。

 ですが、人は考えることができます。

 変わることができます。

 物事を悪い方に捉える人もいるでしょうが、物事を良い方に捉えることもできる。

 

 あなたが言うように幸せに迷う人もいると思います。

 確かに精霊脈が滞っている時、その人は“不幸せ”かもしれない。

 でも、私たちはいつでも、どんな時でも“幸せ”になれるんです。

 自分さえ変われれば!」

 

精霊は訝しむ。だが、カオリは続ける。


「そして、私は変わった。なんの意味もない透明な幸せを追いかけるのをやめた!

 私は消魔士の一員としてこの地域に住む人たちに幸せを維持してもらうために今後も活動する!

 それが私の幸せなのだから!!!!」

 

マグマの霊獣は目を閉じ頷く。

じっと考え込んでいた。

誰もが口を開かなかった。

目の前にいる霊獣がどんな結論を導き出すのか固唾を飲んで見守っていた。

 

そして、霊獣はカオリを見据えると言う。


「お前、精霊と契約しているな」


「はい」


「ならば、我はお前を見続ける。

 お前が死んだ時、お前の生きた時間に感じた“幸せ”の総量が“不幸せ”の総量に負けていたならば、地獄へ叩き落とそう」


カオリはニヤッと笑うと宣言する。


「望むところよ」


「ならば、我を消すがよい」

 

カオリは頷いた。

カオリは精霊と魂の契約をした。

口約束だが、破ることはできない。

霊獣の言った言葉は世界の理りとなる。

カオリは死んだ時、その契約によって裁かれる。

 

カオリは自分と契約した風の精霊(シルフィリア)の力を借りて、魔力を集める。

そして、溜め込んだ魔力を一気に解放する。

霊獣を暴風が取り巻く。

融合してしまった精霊たちを一体ずつ引き剥がし霧散させる。

 

最初に土の精霊(ノルフィリア)。

キメラの姿で現れすぐに姿を消した。

そして、火の精霊(サラドフィリア)。

トカゲは一瞬カオリを見つめたがすぐに消えてしまう。

最後に水の精霊(オンデフィリア)。

亀は体を振って自ら自分の水の魔力を吹き飛ばした。


「ナディア!」

 

瓦礫の山となった団地。

その真ん中にナディアが横たわる。

 

瓦礫の山は水の精霊が残した水でびちゃびちゃだった。

瓦礫のあちこちで水の滴る音がなっている。

 

カオリは真っ先にナディアの元へ飛び込んだ。

息をしている。

どうやら耐魔服のおかげで大事には至らなかったようだった。

だが、無事ではない。全身が真っ赤だ。


「カ……オ…リ……!!」

 

途切れ途切れの声でナディアはカオリを呼んだ。


「何? あんまり喋らない方が……」


「あり……がと…」

 

ナディアは気を失ってしまった。

だが、カオリはその一言で実感した。

突如、両の目から涙が溢れ出した。

カオリはすぐに自分の涙の理由に気が付いた。


「ウェンディ……! 私、今度はちゃんと仲間を守れたよ!!」

 

そこへアスカの叫び声が響き渡る。


「危ない!!!」

 

カオリは振り返る。

目の前に、水の鉤爪が迫っていた。

魔災の残存魔力が再燃してしまっていた。

水の鉤爪はカオリの胸にまっすぐ飛んでいた。

カオリは悟る。

自分の契約した精霊の力を使っても逃げきれないことを。

瞬時に後悔する。

魔災は再燃調査までして初めて沈静化したと宣言する。

それをわかっていたはずだったのに。

 

カオリはすぐに爪が絶対にナディアに届かないよう、かばい、その時を待った。

自分の体の中に水が侵入し、体を真っ二つに分断してしまう。

自分の首が転げ落ち、血の吹き出す自分の体を見上げる。

そこまで想像した。

しかし、いつまでたってもその時は訪れなかった。

 

カオリは気がついた。

さっきまで響いていた水滴の音がしないことを。


「おい。お前。いつまでそんな風にしている。さっさとそこから逃げないと」


「えっ?」

 

カオリは顔をあげる。

そこには現実だが全く現実味のない風景が広がっていた。


「嘘……こんなことって」

 

全てが静止していた。

空も雲も模型のように。

消魔隊のメンバーは恐怖の表情のまま。

そして、目の前の水の鉤爪はカオリの首にかかる数センチ手前で止まっていた。


「ほら、そこから動いた動いた!」

 

目の前にいる長髪で美しい女は、耐魔服を着ているわけでもない。

ただ、黒い消魔隊の制服をゆったりと着て、のんびりとそこに立っていた。

あんぐりと口を開けてその女を見つめるカオリは完全に固まってしまっていた。


「もしかして、そのまま切られて死にたいの?」


「そんなことありません!」

 

カオリはナディアを抱えて立ち上がる水滴ひとつとして彼女に付随するものはなかった。

彼女たち以外全て静止していた。


「いやぁ、最後まで傍観者でいるつもりだったんだけど、まさか、そこで気を抜くとはね」

 

カオリは穴があったら入りたい思いだった。

霊傑にまでなって、その上助けてもらうなんて。


「ま、君を助けるのはこれで二度目なのかな?

 気をつけてねぇ?

 いつも私がいるわけじゃないんだから」


「二度目……、もしかしてあなたが!」


「ふふふ。まさか、あの時の子が霊傑になるとは思わなかったわ。

 消魔士としての将来が楽しみね!」

 

女はパチンとウィンクすると指を鳴らした。

カオリの目の前から彼女は消えた。

 

そして、すべたが動き出した。

アスカが叫ぶ。

水の鉤爪は虚空を切り裂き、泡となって消えた。


「カオリィィィィィィィ、ィィィィィィ!!??」

 

彼女の声は前半悲壮感が10割だったが、後半になって疑問が10割になっていた。


「へっ? カオリ、霊傑になって瞬間移動できるようになったの……?」

 

カオリの元に駆けつけたアスカはカオリのぽかんとした表情を見ながらそう問いかけた。


「いや……私にもよくわかんない……」

 

カオリはじわじわと理解していた。

さっき現れた女の人。

その人こそが自分を助けてくれた人であること。

カオリは天に向かって叫ぶ。


「なんだか、わかんないけど! 一件落着よぉぉぉぉ!!!」

 

叫び声は広場に広がり、周囲にいた人に伝わる。

一人、また一人と歓声をあげて次第に街全体から声が聞こえるようになって言った。

 

カオリはその声を聞きながら、自分が今、“幸せ”に登りつつあることを悟っていた。

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