2-6
カオリは精霊が小声で言った言葉を聞き取れず、聞き返す。
「えっ?」
「いや。こっちの話。ねぇ、君は仲間を助けられたら幸せ?」
「えっ、どうだろう………。
精霊は幸せを見抜けるんでしょう?
私は幸せそう?」
「まぁ、私たちは人の精霊脈の流れがスムーズかどうかを見ることでその人が幸せかどうか見分けることができるわ。
でも、他人から言われた幸せに意味はないわ。
あなたが自分自身の心に問いかけなきゃ」
「私の心に……」
カオリは胸に手を当てて、考える。
果たして自分の“幸せ”とは。
これまでの人生で意識なんてしたことなかった事柄を改めて考えて見る。
自分が嬉しかった時は?
自分が悲しかった時は?
自分が楽しかった時は?
自分が信頼しているものは?
カオリの脳裏にはすぐ、消魔隊の仲間たちの顔が浮かんだ。
ロン、アスカ、ナディア、ヴィンセント。
憎たらしいトーマス。
そして隣の部屋で怪我しているギンガ。
そして、改めて訪問した時の被害者たちの表情。
悲しみの中にも、消魔士への感謝の表情があった。
助けられなかった命はとても悔しいが、助けた命はとても誇らしかった。
——ああ、私、消魔署が案外好きになってたんだなぁ。
カオリは少し悔しそうに、でも晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。
「仲間を助ける。
それは私の“幸せ”の一つよ。
私は人を助けるために消魔士になった。
私が人を助けたいと思ったから!
だから、私は人を助けることが“幸せ”であり、私はそのために命を使う!」
精霊はニンマリ笑ってカオリに言う。
「そっか、そこたどり着くんだ。
今の君ならできるかもね」
精霊の言葉を理解できなかったカオリは黙って、精霊のことを見返す。
「ねぇ、私と契約しない?」
「あいつらは大丈夫なのか……」
ヴィンセントは隣にいるボブに声をかける。
ボブはじっと見上げている。
目の前の団地では亀の姿をした水の精霊(オンデフィリア)、サラマンダーの火の精霊(サラドフィリア)、そしてライオンとワシのキメラの形をした土の精霊(ノルフィリア)が争っていた。
お互いの体を攻撃しあって魔力を削り合う。
その度に周囲には衝撃が広がっていた。
水の精霊(オンデフィリア)である亀が火の精霊(サラドフィリア)であるサラマンダーに噛み付く。
それだけで水蒸気が莫大な水蒸気が生まれ周辺はサウナのように暑くなる。
時に熱湯が飛んでくる始末だった。
そんな怪獣たちの戦いを見つめながらボブは言う。
「ヴィンセント、落ち着け」
「ボブ……。なんでそんなに落ち着いていられるんだ?」
消魔車の上に座ってタバコを吸っているボブ。
その表情は硬いが魔災をじっと見つめていた。
「ふふ。俺はいつもこうさ。
こうやってみんなの仕事を見るだけな時が多いからな。
待つのには慣れてる。
ヴィンセントこそ、落ち着けよ。
これは霊獣が出るほどの魔災だ。
それもみろ。三体の精霊が争ってる。
正直、俺は今、半分諦めてる」
「ボブ……」
「ヴィンセント。俺は基本的に運転手だ。
そして車は消魔士にとっての生命線。
傷つけるわけにはいかないから、俺は必ず安全圏から消魔している様子をただ見るだけになる。
死んだやつをたくさん見てきたぜ。
最初は自分の不甲斐なさを申し訳なく思ったけどな。
最近、思うんだ」
ヴィンセントはボブをじっと見つめる。
ボブの目線の先には水の精霊がいる。
「こうして、消魔士の戦いを見続けるのが俺の役割なんじゃないかって。
そして、俺は消魔士一人一人の働きを記録する。
消魔士たちの働きを後世に残す。それが俺の幸せになりつつあるんだ」
ヴィンセントはボブの目を見る。
その目はやはり精霊の方を見続けている。
一つとして見逃さないようにしていた。
「……今できることをやるよ………」
ヴィンセントはシルフを呼び出すと、その力で団地を包んだ。
衝撃がこれ以上広がらないようにしていた。
水の精霊(オンデフィリア)はぐぐぐっと体に力を込めると、口から圧倒的な体積の水を放出する。
火の精霊(サラドフィリア)のサラマンダーも体に力を込めると口から火を吹き出す。
土の精霊(ノルフィリア)のキメラも力を込めると、上から何トンにもなる土を叩きつける。
「やばいっ!」
ヴィンセントはシルフの力を最大限発揮させて周辺の建物に影響が出ないようにしている。
「あああああああああああああああああああああああ」
亀に取り込まれたトーマスがその中で発生する巨大な水流に巻き込まれてシャッフルされている。
ヴィンセントはそこから思わず目をそらす。
水の精霊(オンデフィリア)は被害者をゆっくり殺す。
耐魔服を着て息が続いてしまうトーマスの苦しみはなおさらきついものだった。
「くそっ、俺にこれ以上できることはない…………みんな無事でいてくれ………!!」
ヴィンセントは心からそう祈った。その時だった。
ボコォォォォォォン!
と大音響が響き渡った。
団地の一角が突き破られ、そこから一人、女が飛び出してきた。
ボブやニヤリと笑うと呟く。
「カオリ……!!」
「カオリだとっ!」
ヴィンセントは飛び出した女を見る。
女は空を蹴りながら移動している。
争いを起こしている三体の精霊たちにもその姿は捉えきれていないらしかった。
女はまっすぐヴィンセントの方へ飛んできた。
「カオリなのか!?」
ヴィンセントは声をかける。
カオリは全身から緑のオーラを噴出していた。
耐魔服を着ていたはずのその姿は、もうない。
魔力で形作られた緑色の神官服に身を包んだ彼女はとても神々しかった。
「ええ。ヴィンセント、ギンガをお願い」
「ギンガ!」
カオリはシルフィリアの力を使いギンガを浮かべて運んできていた。
片足を失ったギンガはぐったりした様子でヴィンセントに引き渡された。
ヴィンセントはカオリの様子を見て気がつく。
「か、カオリ、もしや、霊傑になったのか?」
「はい。全員助けてきます」
カオリはそう言うと再度走り出した。
彼女は空中を走っていた。
団地の上で争っていた精霊たちもカオリの存在に気がついたようだった。
だが、カオリのスピードは彼らの捉えられるスピードではなかった。
団地を包む水を拭きとばし、あっと言う間に部屋の中に入ると取り残された人を担いで外に出る。
ヴィンセントの元には次々に被害者が集められていた。
その中に、アスカとトーマスもいた。
「アスカ! トーマス! 無事か!?」
ヴィンセントは声をかけた。二人とも、水でびちょびちょになっていたが、意識ははっきりしていた。
アスカは未だ飛び回るカオリの方を向いて一礼する。
「ありがとう、カオリ。
ヴィンセント、怪我人を消魔車の後ろに! 手当てする!」
「よし! トーマス、お前も手伝え!」
「は、はい」
ヴィンセントは素直なトーマスの返事に少し驚いたが、その表情を見て苦笑してしまった。
トーマスは霊傑になったカオリをぽかんとした表情で見ていたのだ。
彼にとっては自分が見下していた相手が、すでにはるか雲の彼方にいたことを思い知らされているところなのだろう。
——先輩風を吹かすことがこれまでの彼の幸せだったのだろう。
実力が伴っていないところがあったが。
これでようやく、彼は本来の実力相応の心持ちになれるだろう。
そうすれば、きっと彼はじ津力を伸ばすことができる。
彼が欲しかった栄光と言う幸せも手に入る。
ヴィンセントはそんな親心をすっとしまって、トーマスの尻を蹴っ飛ばした。
「ぼさっとしてんじゃねぇよ! さっさと動け!」
「は、はいっっ!!」
トーマスはわたわたと怪我人を誘導し始めた。
ヴィンセントはそれを確認して顔を上げる。
カオリは依然、猛スピードで走り回り、精霊を混乱させながら取り残された被害者を助けている。
カオリはまた一人ヴィンセントの前に人を運ぶ。
「アスカ! 要救助者は!?」
いつの間にかアスカがタブレットを持ってヴィンセントの横に立っていた。
「この人で最後! ナディアの位置がわからない!」
「わかった!」
そう言うとカオリは自分の運んでいた人の方に手を当てて言う。
「大丈夫です。私が助けてきます。お母さんは安心して待ってて」
ナディアの母親はカオリに深々と頭を下げた。
ヴィンセントは被害者に親しげに話しかけるカオリに問いかけた。
「この方は!?」
「ナディアのお母さん!」
「なんと!」
申し訳なさそうに頭を下げながら、母親はヴィンセントの前を通り過ぎた。
後悔と自責の念で押しつぶされそうな表情をうかべていた。
「ボブ! ナディアがどこらへんにいるかわかる!?」
「おそらく、精霊の中に取り込まれたままだ!」
「わかった!」
カオリは水の精霊が扮する亀を見上げる。
カオリが翻弄し続けたせいか、三体の争いはすでに終わっていた。
三体ともカオリのことを見つめていた。
「私に文句があるの!?」
カオリは叫んだ。
精霊からの答えはなかった。
カオリは対話を諦めて飛び上がる。
水の精霊の内部をよく見ようとした時。
ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!
水の精霊(オンデフィリア)が叫んだ。
その声は何キロ先まで届いただろうか。
周辺の家が揺れるほどの大声だった。
そして、水の精霊(オンデフィリア)の亀の姿がみるみる溶けてゆく。
それは火の精霊(サラドフィリア)、土の精霊(ノルフィリア)も同じだった。
どちらも、その姿がとろけている。
三体の精霊は姿を溶かしあって、徐々に混ざり始めた。
後方で要救助者の手当てをしていたロンが最前線に歩いてきていた。
「驚いた……。融合だ」
ロンが言った言葉がまさしく、今の状況を表現していた。
青、赤、茶の魔力は混ざり合い、一つになった。
徐々に周囲の温度が上昇し始めた。
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