2-5
男はじっとカオリを見つめていたが、すっと自分の体に目を向けた。
そして納得が言ったかのように目を細めた。
「それで……。そうか、下半身に力が入らないのはそのせいか……。
もう存在してなかったんだな」
カオリは男が全てを諦め、目を閉じてしまうのを見た。
カオリはどうしても、その男の生き様が気になった。
目の前で死んでしまう男は幸せだったのか。
死ぬ間際の男に人生で幸せだった瞬間がどんなものなのか。
「助けられなくてすみません。よければ、死ぬ前にあなたのことを教えてくれませんか?」
男は目を開く。そして、自分の死を直視するかのように目を閉じ祈った。
「構いませんよ? 何が聞きたいんですか?」
「ここにある写真は全てあなたのものですか?」
「そうだ。私が一枚ずつ写真を撮って素性を調べたものだ」
「幸せ期待値ってなんですか?」
「幸せ期待値はその人が将来幸せになるかどうかの評価だよ。
その評価が高ければいずれ幸せになって家に精霊を呼び出すようになるんだ」
「あなたが、幸せにするんですか?」
「ああ」
「あなた、もしかしていつも黒いスーツを着て回ってたりしない?」
「ほお? 私の勝負服だな。スーツは良い。仕事をする幸せをかみしめることができるのだから」
「あなたが……。ヴィンセントやリーといった名前に聞き覚えは?」
男はニヤリと笑うと言う。
「ああ、ヴィンセントさんにリーさん!
覚えてますよ。なぜあなたがご存知なのかわかりませんが。
どちらも幸せに真摯に向き合い、私にどうしたら幸せになれるかどうか、聞いてこられました」
カオリは目の前の男がどこかの誰かと重なるような気がしていた。
だが、うまく思い出せなかった。
「幸せコンサルティングってわけですか」
「おお、それはとても良い表現ですね。
理論上、幸せの50の約束さえ守れば私たち人間は幸せになれる。
私はそれに従って人々に助言をするんです。
あなたが幸せになるにはどうしたらいいかってね。
でも困ったことに、うまくいかなくてね。
なぜか不幸せになってしまったんだ。
きっとどこかで約束を破ってたんだと思うんだけどね」
カオリの脳内に雷が落ちたかのようだった。
知らぬ間に潰れていた養護施設。ほ
とんど仲の良い人間などおらず、その後どうなったかも気にかけたことがなかったが。
こんなところで再会するとは思っていなかった。
「院長……」
男の表情がガラリと変わる。
先刻までのプライドのたかそうな表情とは打って変わって、傷ついた男の顔が姿を現してた。
「その呼び方…。 ……君は、もしや」
「ええ、養護施設にいました。カオリです」
「ああ、懐かしいな。それもしっかり覚えているよ。
あの養護施設は私の汚点だ。
何もうまくいかなかった。
精霊が出ることは無く、補助金の話も無くなった。
最初に私に寄ってきた人間はあっという間にいなくなり一人になった。
そうか。そこの出身だったか君は。
だとしたら私の教えた幸せの50の約束は守っているだろう?」
カオリは首を振った。
「なぜだっ! きちんと守りなさい。それさえしていれば幸せになれるのだから……」
男の目が急にトロンとした。
「終わりが近いようだ。
最後に君にこうして私のことを話せたこと。
嬉しく思う。君の中に私の一部が残ったのだからな。
ぜひ、幸せになってくれ……」
院長が目を閉じようとしたとき、男の頭の横に緑色の魔力が集まった。
そこには幼い女の子の格好をした風の精霊(シルフィリア)が立っていた。
「ははははは! これは……大きな…餞別を………いただいた……」
院長は事切れた。
だが、その表情には満足げな表情が浮かんでいた。
その院長の顔を精霊はじっと覗き込んでいた。
カオリは信じられない思いでいっぱいだった。
院長の家に幸せを表す精霊が現れてしまったのだ。
カオリは裏切られたような気分になった。
「ねぇ、あなたはどうして出てきたの?」
カオリはとげとげしい声で精霊にそう聞いた。
精霊はカオリの耐魔服を通じて答える。
「もちろん、彼が幸せだったからよ」
「彼は他人の幸せを奪い不幸せのどん底に叩き落とすような真似をしていた男なんだよ?
あなたたち精霊が出るべき相手じゃないわ」
カオリはそういうが精霊は困ったような顔をする。
「それはあなたが判断することじゃないと思うのだけれど。
君の考える幸せと彼が考えていた幸せは別のものじゃないかしら」
カオリは首を振る。
「こんなストーカーまがいの行為なんて幸せじゃないわ!
こんなことが幸せになってたまるものですか!!」
カオリはすぐ近くに貼り付けてあったナディアの写真を取り外し精霊に見せつける。
その写真の表には注釈が書かれている。
ナディア・イザベラ・ボス。
28歳、独身。
五人兄弟の真ん中として成長。
母子家庭で喋れない母親から常に暴力を受けている。
そして裏面にはナディアの母親のプロフィール。
そして、母親に対して行ったカウンセリングの内容が示されていた。
『暴力』は良くないということをわからせる面談を一ヶ月ほぼ毎日行っていたようだった。
カオリは精霊に言う。
「確かに、この人はこうして他人を幸せに導くと言う一見正しい行為をしていたかもしれないけど!
それでも、他人の家にこうして介入しその人たちを不幸せにする行為を幸せと感じるなんてありえないわ!」
精霊はニヤリと笑うとカオリのことをじっと見つめる。
「君が言った通りだよ!」
カオリは急に顔を覗き込んで来た精霊に恐怖を感じ、後ずさってしまう。
「君が言った通り、他人の幸せに介入するなんてことよくないことよね!
だとしたら、君がこの男の人の幸せを否定することもできないはずよね!?
逆に聞くけど、君がこれまで出会って来た人たちの中で、君が真の意味で共有できる幸せが一つでもあったかい!?
君が思う幸せと全く同一の幸せがあったかい!?」
カオリはあるわよと反論する。
「少なくとも、消魔隊の人たちと家族感では同意したわ!
仲の良い家族の方がいいって言う結論でね」
だが、精霊は呆れたような頭を振って言う。
「いや、それも厳密に言えば違うわ。
君が望む家族の幸せは両親と自分が一つの家の中で暮らすことでしょ。
でもナディアが思っているのは母親の愛情がストレートに伝わる家庭よ。
アスカは祖父母まで一緒に暮らしたいと思っているみたいだわ」
「あっ……」
カオリは気がついた。
同じような価値感を持っていると思っていた相手でも、実は少しずつ違っていること。
そして、確かにナディアの家に来た時、ふれあいという名の『暴力』によって成立していた家族関係が理解できなかったことを思い出していた。
しょんぼりしてしまったカオリに精霊は追い討ちをかける。
「私たち精霊は人の幸せをずっと見てきた。
幸せはその人だけのものであり、本当は誰かと共有なんてできないんだよ。
一つの家族のメンバーでさえ、精霊脈に現れる幸せの度合いには違いがあるんだもの」
幸せは自分だけのもの。
りんご一個100円で購入した時、『100円しかかからなかった』と感じるか『100円もかかってしまった』と感じるかと言う違いがあるように、一人一人異なる幸せの価値観があるのだ。
精霊は耐魔服を通じて直接その相反する感覚をカオリに流し込んだ。
「君は幸せな人を助けたいと言っていたわ。
でも。君の言う幸せは君の世界での幸せであって、助けられる人の幸せじゃないわ。
さらに言うなら、君の幸せは定義すらされてないじゃない。
幸せという理想状態があるなんて思ってるなら、君の幸せは君が批判した男よりも自己中心的で欺瞞チックね。
少なくともこの男は押し付けたとはいえ幸せの形を定義していたのだから」
カオリは反論などできなかった。
精霊が言った通りだった。自分は幸せのために命を使うことこそが幸せと考えていたが。
その幸せそのものの定義から目をそらしているだけだった。
自分は幸せを探すと言う名目で、幸せから逃げていただけだった。
精霊は黙って立ち尽くしているカオリに声をかける。
「それで、君はどうするの?」
「わからない。
でも、とにかく今は………仲間を助けたい。
仲間がどうなっているかわからないけど、力になりたい」
カオリは消魔署のメンバーを思い浮かべる。
カオリのことを気遣ってくれるアスカやナディア
。厳しいがすべきことをきちんと教えてくれるロン。
怪我をしてまで人のことを助けようとするギンガ。
憎たらしいトーマス。
運転手として自分の役割を全うするボブ。
その全てがカオリの一部となっていた。
消魔署のメンバーが新しい家族であり、カオリにとって掛け替えのないものになりつつあった。
精霊はふぅと息をはく。
「……なるほど。彼が言ってた通りね。
しょうがない、手を貸してあげましょう」
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