2 霊傑

カオリは久しぶりの直射日光を、眩しそうに手で遮った。

それでも走り抜ける車からの反射がきつく、思わず目を閉じてしまう。


「はぁ、どうしよう」

 

まさか、病室を朝一で追い出されてしまうとは思っていなかったカオリ。

大慌てて荷物を整理し、病室を出てきたはいいものの、これからの予定など何もなかった。

 

そこへ、一台の大きなファミリーカーが目の前に滑り込む。

助手席の窓が開き、運転席にナディアが見えた。

ワンピースを着た私服姿のナディアは単純に綺麗だった。

普段の消魔隊の時のような抑えめのナチュラルメイクではなく、自分の美を意識したメイクも相まってモテる女の雰囲気だった。


「あなた、家に帰っても一人なんでしょ? せっかくならうちに来ない?」


新手のナンパのようなセリフに、カオリは少し遠慮したが、結局ナディアに押し切られる形でお邪魔することにした。

ファミリーカーの助手席にお邪魔したカオリは少し強い冷房を調節する。

走り出した車の中でナディアはカオリに聞く。


「そういえば、カオリは、憧れの消魔士がいるって言ってたけど、どんな人なの?」


「よく覚えてないのよ」


「あら、そうだったの? なんか、印象とかないの?」


頭に手を当て、しまいこんだ記憶を引き出すカオリ。


「黒い耐魔服を着ていて」


「消魔士だったら誰でも着てるわね」


「うーん。筋骨隆々で」


「消魔士なら普通ね」


「黒髪長髪」


「割と多いわね」

 

カオリは黙ってしまう。ナディアはふふふと笑ってしまった。あまりにも手がかりがない。


「あ、それと、首の後ろに十字のマークがあったわ」

 

ナディアは目をひんむいたような表情を浮かべている。


「十字のマーク! そんなものがあるとしたら、それは消魔士の中でも相当なエリートね」


「そうなの?」

 

ナディアはちょっと驚いたような顔をする。


「あら? 知らないの?

 そっか、それなら教えてあげる。そのマークは精霊と直接つながることができるマークなのよ」


「直接?」


「そう、消魔士は普通、耐魔服に書かれた魔法陣で精霊と繋がり、消魔活動を行うでしょ?

 でも、時々、精霊と直接契約を結んでその力を十二分に引き出すことができる人がいるのよ。

 そういう人のことを、精霊との繋がりが優れていることから『霊傑』って呼ぶのよ。

 あなたを助けた人はきっと、霊傑だったのね」


「霊傑………」


「どうやって、精霊と契約するのかは知らないけど、この国に十人といないみたいだから、相当難しいんでしょうね。

 精霊と仲良くするって言う感覚もよくわからないし。

 でも、これで相当探しやすくなったんじゃない?」


「探す? いや、私は特に探すつもりわない」

 

ナディアは驚く。

自分にもしそんな人がいるとしたら絶対に探して会おうとしてしまうなぁと思っていたため、カオリの言葉に驚いてしまった。


「会ってみたくないの?」


「いや、特には。私はその人の憧れて消魔士になったし、今でも目標だけど。

 会いたいとは思わない。

 私はその存在になりたいのであって、その人に会ってどうこうしたいわけじゃないし」


「そ……っか。カオリってクールよね」


「えっ? そう?」

 

なぜかちょっと嬉しそうなカオリにナディアはあははと笑ってしまう。

考え方が大人びているのか単純にクールなのか。

ナディアには判断がつかなかったが、カオリが独特の感覚を持っていることだけは分かった。

そして、その雰囲気がナディアにもしかしたらと思わせた。

 

ナディアの家はいわゆる集合住宅と呼ばれる建物だった。

正方形の大きな建物の中に五十世帯が住めるようになっており、それが何棟も連なっていた。

空間階層的にあまり上の方ではなかったため、上空にある家のおかげで日当たりがあまりよくなかった。

 

それでも、団地の中には楽しそうな声が響き渡り、中庭ではすでに屋台が準備を始めていた。

焼きそば、お好み焼き、焼き鳥。いろんな料理の屋台が建てられている。


「すごい、大掛かりだね」


「うちのところでやる精霊祭りは団地に住んでる人たちみんなでやるからねぇ。

 近所に住んでいる人たちもみんな来てくれるし。カオリ、こっちよ」

 

ナディアの家は団地の最上階の五階。

他の部屋より少しばかり広めに設計された部屋に家族六人で住んでいた。

部屋の前でナディアはカオリに簡単に説明する、


「OLやってる姉と会社員の兄は今いないけど、弟が一人と妹が一人部屋にいるから仲良くしてあげてね。

 あとは母がいるけど、耳は聞こえるんだけど喋れなくて筆談で話しかけてくるからうまくコミュニケーションとってね」


「あ、はい」

 

カオリは頷いた。小さい子の相手なら養護施設で死ぬほどやった得意分野である。


「じゃあ、どうぞ!」


「お邪魔します」

 

カオリは部屋の中に入った。

住んでいる人が多い家に特有の靴が入りきらない靴箱。

外で使う遊び道具が部屋の入り口には積み重ねられていた。

それでも、スコップやバケツには砂一つついておらず、しっかり洗ってからしまっているのがわかる。


「おかえりナディア! あれ、えっと……お客さん?」

 

制服姿の女の子がカオリに話しかける。

ナディアに似た雰囲気だが、こちらの方がだいぶ落ち着いた雰囲気だった。

カオリは自分から目線を合わせて自己紹介する。


「初めまして。消魔士のカオリよ。あなたは?」


「初めまして。ジェシカ。高校二年生よ」

 

ジェシカに隠れるように現れたのは男の子だった。


「僕はアレックス……。よろしく」


「よろしくね、二人とも」


ナディアはくすくす笑いながらアレックスを見ている。お姉ちゃんらしくからかう口調で言う。


「アレク? なに、今日は随分しおらしいね? 綺麗なお姉ちゃんが来たから緊張してんのかな?」


「そんなんじゃねぇよ」


アレックスはちょっと顔を赤くして言う。カオリはふふっと笑うとアレックスに聞く。


「今日は何を手伝えばいいかな?」


「俺たちは、にいちゃんが帰って来たらすぐに屋台の運営ができるように準備するんだ。

 店の飾り付けを手伝ってほしい」


「了解!」

 

カオリはちいさく敬礼するとジェシカとアレックスに連れられて飾り付けを手伝うことにした。

彼らはどうやら特製のレモンジュースを売るらしかった。

お店のネームプレートやメニュー表、飾り付けのためのリボンなどを作るのは意外に難しく、カオリはジェシカに教わり、アレックスに手伝ってもらいながらなんとか仕事をこなした。

 

準備がひと段落し、テーブルに座ったカオリにナディアはお茶とケーキを差し出す。


「はいこれ、ささやかだけど退院祝いね」


「わぁ! ありがとう!」

 

カオリはケーキなど食べるのは随分久しぶりだった。

生クリームの舌触りの良い滑らかな甘さにカオリは顔がとろけてしまうようだった。

食べ物は美味しく食べることこそ幸せなのだ。

 

そこに喋れないと教えられていたナディアの母親が現れて席についた。

カオリはぺこりと挨拶をする。

その表情は随分疲れた表情だったが、カオリに笑顔を見せるとメモに何かを書いてカオリに渡した。

達筆と呼べるであろう綺麗な字が並んでいる。


『娘のナディアがお世話になっております』


「いえいえ! こちらこそ、お世話になりっぱなしで……!」


『ナディアは昔から大雑把で適当だから職場でうまくやってるか不安でね。

 あなたが初めてよ。わざわざうちに招待した職場の人は』


「そうだったんですか」


「ちょっと、お母さん? 余計なこと話さなくていいからね!?」

 

ナディアがプリプリしながら席に着いた。


『まぁ、気兼ねなくゆっくりしていってね?』

 

すぐに母は立ち上がって自室へと引き上げてしまった。

アレックスやジェシカも席に着くとため息をつく。

甘いケーキを食べても笑顔にならない二人を見てカオリは声をかけた。


「どうしたの?」


「最近、お母さんの元気がないんだ」


「ちょっとお疲れのようだったけど、何かあったの?」

 

カオリはさっき見た母親の表情を思い出してそう言った。ジェシカは悲しそうに言う。


「最近、私たちに触れてくれないんだ」


「えっ、触れる?」

 

カオリは驚く。

触れることなんて簡単なことができないのかとカオリは疑問に思った。

ナディアは苦笑しながら言う。


「お母さん、喋れないから。

 筆談で限界のある感情的なコミュニケーションはどうしても物理的なものになっちゃうのよね。

 でも、叩かれた時の痛みや抱きしめてもらった時の暖かさで私たちは育って来た。

 最近はそういうの全くなくなっちゃって。歳かなぁとは言ってるんだけどね」


「歳なのかな……」

 

カオリはそう呟くが、ナディアたち三人は不安そうな表情だった。


「どう言う感じで触って欲しいの?」

 

カオリはジェシカにそう問いかけた。

すると、その横にいたアレックスが黙って携帯端末を差し出す。

そこには、アレックスが襖の後ろから隠し撮りした様子が映っていた。

 

ジェシカが机に座っている。

その正面に母親が座っている。

母親はものすごい勢いで紙に何かを書き殴っていたが、バンっと机を叩くと立ち上がる。

そして、ジェシカの脳天に拳を振り下ろしていた。

 

カオリはいやいやと頭を振った。


「これがふれあい?」


「うん」

 

アレックスは頷いた。


「こういうことをして欲しいの?」


「これだけじゃないけど。そうだよ」

 

カオリはナディアやジェシカの表情を見るも、二人とも悲壮な表情だった。

嫌がっている雰囲気などは微塵も感じられなかった。


しかし、カオリから何かを言うことはできなかった。

彼女が見た動画では明らかに『暴力』があったように見えた。

彼女は『暴力』でつながる親子関係を理解できなかった。

カオリは最後に残ったイチゴの酸っぱさに顔をしかめた。

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