1-5
「はっ? 何言ってんだよ。
俺はお前より一年早く消魔署で働いてる。
どう考えても先輩だろ。それになんだ、その呼び捨ては。
俺のことはトーマス先輩と呼べと言ったよな?
全くこれだから上下関係のゆるいところから出てきたお嬢さんはダメなんだ」
メキメキっとアスカの椅子が鳴る。力一杯椅子を握りしめているらしい。
「いいえ。もう先輩じゃない。
あなたこそ、一年早く入った割には、魔災にビビって何にもしないし、それを人のせいにしてもなんとも思わないし。
恥ずかしいと思わないの?」
「はぁ!? 俺が一体いつビビってたって!?」
カオリはヒートアップする。
アドレナリンが大量に分泌され体の痛みなんてどこかに吹き飛んでしまった。
「
この前の魔災、お前何にもしてねぇだろ!」
「違う! あれは、俺が出るほどの魔災じゃなかった!
それに、新人!
お前が適当やるから俺は何もできなかったんだ!」
「新人がちょっと何かしただけで対応できなくなるようなやつが私に説教をするの!?」
「そうだ、俺が先輩、立場が上だからだ!」
「悪いけど、年齢が『上』、所属していた年数が『上』。
たったそれだけのことで私の『上』になれると思わないで。
過ごした年数だけで『上』になれると思ってるなんて、あなたの方こそ随分とぬるい上下関係の中で過ごしてきたものね!
私の『上』になりたいなら相応の実力を見せなさい! この役たたず!」
ゲホゲホと咳き込んでしまうカオリ。
しかし、その目はしっかりとトーマスのことを睨みつけていた。
トーマスはナディアやアスカに助けを求める。
しかし、二人ともトーマスに助け舟を出すことはなかった。
「けっ! 女はすぐそうやって徒党を組む。
はいはい、わかりましたよ。
男は退散しますよ。カオリ、今は怪我で弱ってるってことで見逃してやるがな。
戻ったら覚えておけよ」
トーマスは不吉な宣言をして去って行った。
アスカは大きくため息をついてバタンと閉められた病室の扉を見つめる。
「いるよね。ああして自分しか見えてないやつ。
それも、自分に都合の悪い事柄は何が何でも記憶から消して、相手にマウントを取ろうとする」
ナディアも自分の気持ちに困った表情を浮かべながらも、アスカに賛成する。
「ふふふ、ちょっとスカッとしたわ。カオリ、あなた、なんかすごいわね……」
「いや、あの人と今喋り続けると、それこそ私の内臓がやばそうだったから……。
それにしてもどうして、トーマスはあのままなの?
職務放棄で辞めさせられたりしないの?」
「そう簡単に切れないよ。公務員だし。
それに、確かに使えないからと言ってすぐ切り捨てるような職場もあんまり良くないと思うのよね」
「あ、そっか……」
カオリはふと、自分がまだ何もできない新人であることを思い出した。
その理論でいけば、意図的でないにせよカオリの実力もトーマスと大差ないのだ。
『何もできない』のと『何もしない』。
その二つに精神的な差はあれど結果は同じなのだ。
カオリの理論は盛大なブーメランとして、カオリの胸に突き刺さった。
カオリは少しばかり恥ずかしくなって小さくなる。
布団の中に全身を入れてしまいたかった。
アスカやナディアがカオリの乱れた衣服や布団を直してくれる。
カオリはそれよりも心配なことがあった。
「消魔署の精霊は消えたりしないですよね……?」
消魔署のメンバーは家族。
家族の仲が悪くなればそれは不幸せ。
精霊が消えてしまう条件は整ってしまう。
カオリは慌てる。
ナディアは優しく笑ってカオリの肩を叩いた。
「ああ、消魔署の精霊は大丈夫よ。
あれも一応、太古の契約の一部だから。
消魔署のメンバーの関係がどんなものでも消えたりしないのよ」
「そっか、よかった……。それにしても、無自覚に不幸を運搬している人っているんだなぁ……」
ナディアは難しそうな表情を浮かべている。
「そうね……。トーマスの場合は自分が幸せになるために周りを不幸せにしなきゃいけないからね」
ナディアは一度言葉を切って考え込むと言う。
「………こんなに真剣に幸せのことなんて考えたことないけど、もしかしたら相対的なものなのかもしれないわね」
ナディアの意見にアスカは質問する。
「つまり?」
「例えば『嬉しい』って感情、あるじゃない?」
「あら、偶然ね。私にもあるわ」
アスカがそう言うとカオリとナディアはふふっと笑ってしまう。
「たとえばいつも200円で買っていたリンゴ一個を500円で売ったとする。
これが売れると農家の人たちは『嬉しい』けど、消費者としてのわたしたちはあまり『嬉しくない』わ。
でも、リンゴ一個を50円で打ってもらうと消費者は『嬉しい』けど、農家の人が『嬉しくない』ことになっちゃう。
“幸せ”は“不幸せ”があるから成り立つのかもしれないわね」
アスカは頭をひねっている。
「じゃあ、私が幸せって思ったら誰かが不幸せって思ってるってこと!?」
「かもしれないって話よ。真に受けないで」
ナディアは慌ててアスカを抑える。
しかし、ナディアの話を聞いてアスカは別のことを考えていた。
「不幸せは幸せと等価交換?
ねぇ、そう言えば、どちらの家でも『黒い服を着たおじさん』が家に来ると、なぜか急に不幸せになるって話あったわよね?」
カオリは頷く。
ヴィショップ家もリー家も、魔災になる前黒服の男と接触していると言う噂は間違いなくあった。
アスカは何かを思い出しタブレットを開き、消魔士のシステムを起動する。
以前、見回りの時、地図につけたマーカーを一つ開くとナディア、カオリにタブレットの画面を見せる。
「黒い服を着たおじさんって、カオリが見回りしてた時に見つけた人じゃないの?」
タブレットには黒服の男とはっきり書かれていた。
カオリはその時の様子を思い出し納得する。
「あっ、そっか、その人かもしれないな……」
「なになに? どう言うこと?」
カオリはナディアに自分の見た黒服の人間がどんな様子だったのかをナディアに説明する。
「へぇ、そんな人が……」
「その人と話した家族は必ず不幸せになってしまう」
アスカは両手を広げてわからないなぁとポーズをとる。
「そんな無茶苦茶なことがある?
会話するだけで不幸せになるってもうテロみたいなものよ?」
そんなアスカにカオリは眉をひそめて言う。
「でも、私、トーマスが来ると不快だわ。それって不幸せなんじゃないの?」
ナディアはその意見に頷きながら言う。
「そうねぇ……、つまり、カオリはそのおじさんがトーマス以上に人を不幸にすると?」
「ええ」
ナディアは少し考え込んでいた。
ある程度考えがまとまったのか、カオリの顔を見て、アスカの顔を見て、サイド考えてから言い始めた。
「でも、トーマスとそのおじさんじゃ決定的に違うことがあるわ」
「えっ? どういうこと?」
カオリは驚きの声をあげる。ナディアは顎に手を当て、考えを整理しながら喋る。
「つまり、トーマスは自己中心的で自分に都合の悪いことは認めないことで不快感をばらまいているけれど、そのおじさんは『不倫』や『喧嘩』で幸せと感じている人たちを、いわば『普通』に戻しただけなんじゃない?」
「『普通』に戻す……?」
カオリにはよくわからなくなっていた。
この世に幸せがあるとすれば、それはどれだけ幸せになるための行動をできたか、そして、理想とする状態にどれだけ近づいたかだと思っていた。
しかし、この二件の魔災の被害者はカオリの理想とは全く逆の方向で幸せを獲得していた。
病室はしんと静まり返ってしまった。三人が三人とも、幸せについて考え直していた。
ナディアはハァと息を吐くと言う。
「そんな簡単に答えが出る話じゃないわよね。追い追い考えていきましょ。それで?」
「えっ?」
急に話題を振られたカオリは驚いてナディアを見る。
「カオリは命の使い方を探してたんじゃないの?」
「そうだけど……。
元々は幸せな人を助けるために命を使いたいって思ってたのに、よくわからなくなってきちゃった。
ねぇ、ナディア、アスカはどう言う理由で命をかけてるの?」
カオリの前に座っている二人は顔を見合わせると、アスカがにこっと笑って言う。
「そうね。私なりの理由はあるわ。
でも、残念ながら、それは私だけの理由よ。
他人の命をかける理由なんて参考にならないわ。
これは自分で見つけなきゃいけないの」
カオリは布団の中に顔を埋める。
「自分で……見つけられそうにないですけど……」
アスカはため息を吐いて言う。
「そう言う人は消魔士を辞めて行くか、変なところで命をかけてしまって死んで行ってしまうかのどちらかね。
カオリが長く消魔士を続けたいならしっかりと理由を見定めなさい」
アスカとナディアはおやすみなさいと言って病室から出て言った。
照明を消してもらい、部屋の中は真っ暗になる。
カオリは窓の外をぼんやりと見ていた。
——幸せって一体なんだろう?
私は自分が助けた人が幸せであってほしいし、幸せな人を助けることに命をかけたい………。
やっぱりわからない。幸せってなんだろう?
ちょうど雲の切れ間からこぼれた月明かりが、カオリの病室を少しばかり明るくした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます