1-3

カオリは二つ目の魔災現場へ向かうべくタクシーに乗り込む。

 

——噂が本当なら両親の不倫が不幸の原因?

 だとすれば、黒服の男は奥さんに旦那さんの不倫を密告したのかしら?

 それも、旦那さんの不倫だけ教えたわけじゃなさそうね。

 旦那さんの不倫だけを知ったなら、自分も不倫してると言う罪悪感から、家庭内の揉め事にしないよう言わずに胸のなかにしまったはず。

 夫婦間の仲が冷たくなってしまったと言うことは、不倫以外で旦那さんに知られたくないことがあった?

 

カオリはじっとタブレットを見つめていたが、ばっと顔をあげる。


——待って、問題はそんなところにないんじゃない?

 あの夫婦不倫しながらも不動産に幸せの判定を受けるほどだったのよね?

 両方とも不倫していたのになんで精霊が出るほどに幸せだったの!?

 不倫って家庭内に不満があるからしちゃう行為なんじゃないの……?

 

カオリは悶々と考えていたが、タクシーが次の魔災現場へと到着してしまう。

 

自分が雷に打たれて気絶した現場はまだ残っていた。

とはいえ、実際に目の前にあるのは粉状になった家の残骸だけである。

雷龍が自らの力で粉々にしてしまった。

粉は少しずつ風に運ばれてしまう。

今日にも回収業者が現れ、儀式を行い全て撤去してしまうだろう。

 

タブレットを開く。家の写真と家族の事柄が記載されている。


「購買ナンバー7982。オスロ・リー一家。幸せ度、A+。

 以前に住んでいた家で精霊が現れたことあり。

 事業拡大したいという夢のもと、繁華街への出店を決意。

 店舗と家を合体させたお店を経営」

 

カオリは次のページへ進む。


「経営状態もよく、オスロが立ち上げたブランド、『メゾン』は庶民的な派手すぎず、だが、

ワンポイントおしゃれをしたいという時にぴったりと人気を呼んでいた。

 来年には大手衣料品メーカーと合同で『メゾン』の全国展開を目指す……」

 

しかし、事実としてこの家は霊獣が出るほどの不幸状態にまでなってしまったのだ。

カオリは近くの家に聞き込みを行おうとするも、周辺の家はすでに空になっていた。

 

不動産のページに飛ぶと、空間の価値、いわゆる空価が下落していた。

それほどまでに、この空間の需要がなくなってしまっていたのだ。

空間の所有者もほとんどここを手放しているようだった。


「だよね……。霊獣が出た店の近くなんて不吉で嫌だよね……」

 

カオリはタブレットの情報の中に、魔災の後、住んでいる場所が示されていることに気がついた。

そこはここから少し距離があるが、今日中に行って帰ってこれる距離だった。


「よし」

 

カオリはタクシーに飛び乗った。

 

着いた場所は普通の住宅区画だった。

立方体の家々が所狭しと並んでいるところを見ると、魔災の延焼防止で設定された建ぺい率が義務化される前の建物なのだろう。

見回りでここに着たことはまだなかった。

しかし、古めかしい建物がぎゅうぎゅう詰めにされたこの地区は、間違いなく魔災の重要地区に指定されているはずだった。

 

示された住所に向かう。

インターホンを鳴らす。

ゆっくりと時間が流れる。

出直そうかと思い、踵を返しかけた時、中から男が出てきた。

オスロだ。

首にはネックレスによる火傷の治療のための包帯が乱暴に巻かれていた。

包帯を交換する時ムリやりはがしたのだろう。

新しい包帯に血が滲んでいる。

オスロは、真っ赤になった目をゆっくりと見開きながらカオリを見た。


「あ、あの時の消魔士さん……」

 

カオリは消魔士のカードを見せながら言う。


「このたびは……。消魔士のカオリ・ヨシムラと言います。

 レントくんは助けられましたが、エリちゃんの方は……」


「ああ、葬式も済んだ。せっかくなら祈ってあげてくれ」


「よろしいのですか?」


「もちろんだ……」

 

カオリは静かに家へとあがる。

レントくんはリビングで一人遊んでいる。

ままごとをしているようだったが、ままごとのおもちゃは明らかに二人分あった。

彼はそれを一人で使っている。

 

おもちゃのテーブルの上には食器が四つ並んでいた。家族四人分だろう。


「奥様は?」


「あの魔災の前から連絡が取れなくてな。

 警察に失踪届を出してはいるが……。

 望みは薄いそうだ。

 誘拐とかであればすでに死んでいる可能性が高いし、意志を持って失踪したのであれば俺に連絡先を教えられないんだとさ」


「そうでしたか……。失礼いたしました」


「いやいいんだ。ここだ……。祈ってやってくれ。あんたならきっとエリも喜んでくれる」

 

カオリは祭壇に飾られていたエリちゃんの写真に向かって両手を組んで祈った。


「今日は、どんなご用件でしょうか?」

 

オスロはテーブルについたカオリにコーヒーを出すと、すぐに切り出した。


「はい。実は少し、伺いたいことがあって……」


「それは仕事?」

 

カオリはオスロの顔を見る。

しかし、カオリはベテランの刑事などではない。

ただの新人消魔士だった。

腹芸など全くできない。

嘘をつくことなく正直に話すことにした。


「いえ、仕事とは直接関係ありません。

 実は私、まだ新人なんです。

 命を救いたいと思って消魔士になりましたが、実際にはそんな単純な話じゃなかったんです。

 何も考えず命をかけることなんてできませんでした。

 今は先輩を真似してがむしゃらに人を救おうとしていますが、このままだと本当に命の選択をしなければならないという時に迷いが生じてしまう。

 消魔士として命をかける以上、助けた相手がどんな人たちなのか。 

 霊獣が出るような不幸せとはどんなものだったのか知りたくて来ました」

 

オスロはじっとカオリの話を聞いている。


「ですので、答えたくないのであれば、そうおっしゃっていただいて結構です。私は帰ります」

 

オスロはカオリの表情に何をみたのか。自分の息子であるレントの方をみた後、言う。


「………一つ、教えて欲しいことがある」


「はい。なんでしょう。私に答えられることだといいのですが……」


「エリの最後の言葉、聞いたか?」


「いえ、私は聞いていませんが……。一応、記録として残してあります」

 

カオリはタブレットに目を落とす。

タブレットの情報にはしっかりと記載されていた。


「そっか、よかった。俺は取り乱しててな。

 ギンガとかいう消魔士が俺に教えてくれようとしたんだが、全然聞く気にならなくてな。

 後悔してたんだ。教えてくれ。

 エリは最後になんて?」

 

カオリはすっと息を吸い込むと静かに呼んだ。


「娘さんは最後、心臓も止まっているような状態でこう言ったそうです。

 『弟は助けてくれた? それなら私は幸せだなぁ』と」

 

ぼたぼたとオスロの目から涙が溢れた。

自分の最愛の娘が最後に残した言葉。

それは自分じゃない人間を心配する言葉だった。

オスロは溢れ出る涙を止めようとすることなく、そのまま流し続ける。

顎から涙が滴る。


「馬鹿が……。人の心配してないでさっさと逃げろよ……。

 いつもは兄弟喧嘩ばかりだったのに、なんでそんな時だけ弟優先なんだよ………。

 姉らしくしろって確かに言ったさ!

 でも、あの時じゃない。

 命が脅かされている時は自分を優先しろよ……馬鹿が……」


馬鹿が……馬鹿が……。

オスロは繰り返し繰り返しエリの行動を詰(なじ)り続ける。

カオリはそんなオスロに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

もっと早く着いていれば、自分にもっと技術があれば……。

 

後悔の念は次から次へと押し寄せ止まることはない。

過去を振り返り、一つ一つが間違っていたと否定され、こうすればよかったとできもしないことをできたと思い込む。

そして、思考は現在に至る。

今頃どんな生活をしていただろうか。

一緒にご飯を食べているだろうか。

学校に行って。

家族四人。

いつものように騒がしい家の中。

生きていれば結婚して、孫ができただろうに。

そんな未来があったはずだった。

 

エリの行動を一つ一つ思えば思うほど、涙が止まらない。

嗚咽が止まらない。

拳に込める力が抜けない。

オスロは自分の膝が真っ赤に腫れ上がるほど叩きつけていた。

 

日が少し傾き、曇り空を赤く照らし始めた時、オスロはようやく少し落ち着いた。

ティッシュで目を乱暴に拭くと言う。


「カオリさんって言ったか?

 あんただよな?

 二階から顔を出して俺の娘を助けに行くって言ってあの龍のはらわたに飛び込んで行ったのは」


「…恥ずかしながら、その後感電して気絶してしまいましたが」


「感電して意識を飛ばすほど、命をかけてくれたのか」


「それほど深くは考えていませんでしたけど……」

 

オスロはじっとカオリのことを見ている。

あまりにもじっくり見つめるのでカオリは徐々に顔が赤くなってしまう。


「俺は難しいことがよくわからん。

 だが、すでに俺の娘を命懸けで助けに行ってくれた消魔士さんが命をかける理由を探していると言う。

 なら、俺は答えないわけにはいかない。なんでも聞いてくれ」

 

オスロはその風格に似合わぬ穏やかな表情でそう言ってくれた。


「ありがとう……ございます…」

 

カオリは頭を下げて精一杯の謝意を示した。

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