1-2
示し合わせたかのような雨。
強い風に乗った雨粒は窓に当たって時々、音を立てる。
ぱちっと目を開いたカオリは、周囲の様子を確認する。
白い天井。
うす緑色のカーテン。
明らかに自分の服ではない繊維の感触。
横に人の気配を感じて目をやると赤い燃えるような髪が見える。
「あ、起きた?」
「アスカ……?」
「はぁい、お馬鹿さんが起きましたよー」
アスカは携帯端末にメッセージを打ち込むと発信する。
カオリは起き上がろうとするも、全身が痛む。
身体中に有刺鉄線を仕込まれたかのようだった。
「いたたた……」
「当たり前でしょ。全く。
あんたほどのバカは見たことないわ。
消魔士にとって二次災害が一番最悪なんだよ?
消魔学校で習わなかったの?」
カオリは舌をぺろっと出して言う。
「ちょっと忘れちゃってたわ」
わざとらしいひょうきんな表情を消してカオリは言う。
「あの女の子は……?」
「…………ダメだったわ。あなたが駆けつけた時にはもう、亡くなってたわ」
「そっか………」
「カオリ、何であの時、勝手に突入したの?」
「家族は一緒にいないと幸せになれないから。
女の子が一人いなくなってしまうだけであの家族がダメになっちゃうと思って」
「それはそうかもしれないけど……」
アスカはカオリの意地を張る頑固な表情を見て諦める。
「はぁー。なんか、変な新人、入ってきちゃったな」
「ごめんなさい」
「謝ることないよ。
ま、職務を放棄するやつよりは何千倍もましだからね。
あいつ、一体なんのつもりだったのかしら」
そこへ、ギンガが走り込んで来る。
ギンガはどすどすとまっすぐ、カオリの方へ向かう。
怒られると思っていたカオリはギンガのその表情を見て、むしろ惨めな思いになる。
ギンガはカオリをじっと見つめると、言う。
「お前を助けてくれた人はこうやって死なせるために助けたわけじゃないだろ。
もう少し、自分の命、大事にしてくれ。
それに、わざわざ触らなくたって、扉を開ける手立てはいくらでもあった。
もっと冷静に消魔活動できるようになってくれよ」
カオリはしょんぼりする。
ギンガの言う通りだった。
急いでいる時こともっとも確実な方法を取るべきだったのだ。
「あと、ヴィンセントがブチギレていた。
説教する気満々だから、後であいつのところへ行くように」
カオリは顔色を悪くする。どう考えても厳しく叱責されるに決まっていた。
「そんな顔をするな。俺も一緒に怒られるんだから」
バチーンとウィンクを決めたギンガはそう言うと部屋を出ていく。
アスカは苦笑している。
「ふふっ。『もっと冷静に消魔活動に当たれ』って。
その言葉、ギンガ自身にも言えるんだけどな。
自覚してるのかな」
カオリは変な形になりそうな口を隠すべく布団の中に顔を埋める。
ギンガの優しさはとてもくすぐったかった。
「ねぇ、アスカ」
「んー? 何?」
「霊獣って、その家が不幸せだと現れるんだよね?」
「そうだよー。あー、そっか。カオリは霊獣が現れるような魔災しか経験してないのか。
随分運が悪いもんね。
これからカオリが当番の時には警戒度を一段階あげとかないとダメかもね」
「そう言うことじゃなくて。二つの魔災にあった家族の資料が見たいんだけど」
アスカは怪訝そうな表情でカオリのことを見る。
明らかに、賛成していなかった。
「あんまりいいもんじゃないよ?
他人の不幸せをほじくり回すことになっちゃうし。
それに、魔災の内容に価値を求めちゃダメだよ?」
「それはわかってる。ナディアやギンガにも言われた。
私が知りたいのは多分、そう言うことじゃない……と思う」
「……何か、知りたいことがあるのね」
「うん」
アスカは悩んだ。
しかし、相手は新人。
それも、一度目の魔災では先輩を失い、二度目の魔災では目の前まで迫った被害者を助けられなかった。
カオリ自身が魔災がどんなものなのか、自分の命をどう使うか考える上でも、魔災の詳細を知ることが必要なことのように感じられた。
「わかった。後で持ってきてあげる」
「ありがとう、アスカ」
いえいえと頷いたアスカは病室を出て行った。
カオリは暗くなった窓にうっすらと映る自分の姿を見つめながら、自分の気持ちを探っていた。
翌日。久しぶりに雲の隙間から陽が差し込んでいた。
光は雲から水晶のように地面へと伸びている。
こうして隙間から差し込む光は天使の階段と呼ばれるらしい。
天界の入り口へ向かうための階段。
死者が魂だけの存在となった時、精霊の導きによって天に登るための道筋。
「ウェンディ。そして、助けられなかった女の子。どちらも天に行けたかな……」
カオリは両手を組み合わせ、空を見上げると祈りを捧げた。
カオリは病院でタクシーを手配すると、自分が最初に関わった魔災の発生現場へと向かった。
現場はすでに片付けられていた。
チリ一つ残ってはいなかった。魔災が発生した家は精霊を収める儀式を行ったのち、空中にある家の掃除はシルフの力でゴミを一箇所に集め回収する。
それだけだ。
「なんにもないか……」
カオリはじっと空間のある一点を見つめていた。
ウェンディが最後に立っていた場所。
土のある地面だったら何か残ったかもしれないが。
空間にはなんの跡も残らない。
カオリはため息をついてタブレットを開く。
タブレットには家の写真と、それに付随して家の情報が並んでいた。
購入時期や購入時の家族関係、状況それに、不動産による家庭の『幸せ度』調査の結果まで載っていた。
この不動産の幸せ度調査は保険の申請やローンを組む際にも参考にされてしまうほど信用がある。
「購買ナンバー8862。ヴィショップ家。
主購買者。ブライアン・ヴィショップ。幸せ度、A+……。
家族状況は優秀。精霊が現れる可能性もあり……」
カオリが初めて関わった家族、ヴィショップ家は幸せだと判断されてあの家を購入していた。
ところがそのような評価を受けるほど、幸福な家が魔災になった時には、霊獣の現れる不幸せな家となっていた。
「購入日時は…? えっ、まだ買ってから大して時間が経ってないじゃない。
たった三週間であの魔災が起きたの……?」
三週間という短い時間で一つの家族が幸せの絶頂から不幸のどん底まで落ちている。
そんなことが起きうるものなのだろうか。
不動産会社の幸せ度の調査ミスじゃないだろうか。
カオリはタブレットの画面を食い入るように見つめてしまう。
「もし、本当に幸せから滑り落ちたとしたら、一体どんな理由で……?」
カオリはとりあえず、隣にある家の前に立つと深呼吸を一度。
そして、インターホンを鳴らすと若い女の人が応対してくれた。
家事の途中だったのだろう。
長めの髪を後ろにまとめて作業しやすい格好をしていた。
カオリは消魔士を証明するカードを見せながら言う。
「すみません。消魔士のカオリ・ヨシムラと言います。
ちょっとお話を伺いたいんですが、お時間よろしいですか?」
「え? ええ、まぁ、精霊祭りの準備なんで、まだ全然急いでませんし、構いませんけど。
消魔士さんって聞き込みなんてするの?」
「はい。今回は少し複雑な事情がありまして」
「まぁ、そうよね。あんな炎の化け物出ちゃったらね。
対応も大変よね。ご苦労様です。それで、何を話せばいいの?」
どうやら、勘違いしてくれたらしい。
本来であれば消魔士が聞き込みをすることなどない。
カオリは真剣な表情を崩さないよう心がけながら問いかける。
「魔災になってしまった家の方と面識はありました?」
「もちろん、あったわ」
女の人は親切に隣の家のことを教えてくれた。
新居を構えた後の挨拶にも家族三人で来たらしい。
その時には幸せいっぱいと言うような雰囲気で、なんだか自分まで気持ちの山に登ったような気分だったと言う。
いいご近所づきあいができそうと思ったそうだった。
「でもね、一週間くらい立った時かな。
私がスーパーに買い物しに行こうと思った時にね。
お隣さん、宗教勧誘みたいなのに引っかかってて」
「宗教勧誘……?」
「そう。なんかね、黒服のおっさんが一生懸命、奥さんを説得してたの。
私、心配になって声かけたわ。
そしたらその男の人そそくさと帰っちゃってね」
「男の人?」
「そう。なんか、真っ黒なスーツを着て、いかにも真面目そうなんだけどね。
笑顔で話しているのに、笑顔がまるで顔面パックで無理やり貼り付けたような感じのする人だった。
今思うと明らかに変だったわ」
「なるほど……」
カオリは聞き込みらしくメモを取る。
「その時の奥さんものすごい形相だったわ。
大丈夫? って声をかけたら正気を取り戻したように、大丈夫ですなんて言ってたけど。
ダメだったのね。その日からあの家族はバラバラになったみたい」
「バラバラ? と言うと?」
「なんか家の中で怒鳴り声が聞こえるようになったし、旦那さんが二、三日家を開けるなんてことザルになったわ。
いつの間にか帰ってこなくなったみたいだし。
その後のあの魔災だからね……。むしろ納得したと言うか」
「なるほど、黒服の男……。何か他にありませんか?」
カオリは女の人に聞く
「他に? そうねぇ……。
あ、あと覚えていることといえば、両親、共々不倫してたって噂があったっけ」
「不倫……?」
女の人は家事の続きがあると言って部屋の中に戻って行った。
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