2-2

「ねぇ、君たちは休憩かもしれないけど僕は休憩じゃないんだからね!?

 いつもなら3人の見回りが4人になってしまって、支えるの大変なんだから!」


「精霊が疲れることなんかねぇんだよ! 黙ってろよ!」

 

トーマスが何気なくそう呟いた。

シルフは指をトーマスの方に掲げるとパチン! と鳴らす。


「ふん」


「うわぁぁぁぁぁぁ!」

 

トーマスが急に10メートルほど落下した。

カオリはそれを見て足がふわりと浮く嫌な感覚を得る。

何度となく高所作業の訓練を行っても、足がふわふわしてしまうその感覚だけは取り除けなかった。

カオリにとって信じがたいことだったが、消魔士にはその感覚が好きな人間が多くいる。

 

するとシルフがじっとその顔を覗き込んでいた。


「やっぱり、君、幸せじゃなさそう」

 

シルフはそう言い残して消えてしまった。

だが、カオリは困った顔をする。


——どうやったらたった今、幸せになれるのよ。

 人が目の前で急に落下した時、幸せだって感じる人間なんかいないわよ。

 

トーマスを無視しようとしたカオリの脳裏に黒く大きな人間がフラッシュバックする。


『家族は仲良くなくちゃいけない。助けあえ。手を差し伸べろ』


「ぐっ」

 

カオリは軽く頭痛を感じる。大きく息を吸って吐くとトーマスの方へ近づく。


「トーマス先輩。大丈夫ですか?」


「ウルセェな! 大丈夫に決まってんだろ。女が男の心配なんてすんじゃねぇ」


「大丈夫なら良かったです」


「けっ。ったく。女の力なんて借りねぇよ。

 それに精霊は疲れることなんかねぇんだ。

 疲れるための体がねぇんだから」

 

カオリは頷く。

トーマスはお前に同意される必要はないと言わんばかりにカオリを無視してファミレスに向かう。

 

ファミレスコーニン。コーニンという海の向こうの人間が初めたチェーン店。

海洋風のソースをふんだんに使った魚料理が売りのレストランだ。


「ねぇ、ボブ。それ全部食べるの?」


「当然。朝ごはんから六時間も経ってる。補給しなきゃ」

 

ボブの前には今、6皿ほど並んでいる。

さっきまで並んでいたのと合わせて15皿にはなるだろう。

代わりに魚、肉から野菜までしっかりと配分されており、こんな食事でも栄養のバランスを考えているようだった。


「で? なんで筋肉恐怖症になったの?」

 

アスカはどうやら、相当気になっているらしかった。

人にはそう言う話題に突っ込むなと言っておきながら、自分は突っ込む。

呑気なものである。

 

カオリは甘い良い香りのする野菜スープを少しずつすくって口に運ぶ。

いろんな野菜を長い時間をかけてゆっくり煮込んだらしく、柔らかい舌触りのスープはカオリの体を暖かさで満たしカオリの口を軽くする。


「私、実は憧れてる人がいて」


「そうそう。そういえばあなたを昔、助けてくれた人がいるんだって?」

 

アスカがそう聞くとパウロが口を挟む。


「その人は男? 女?」


「女」


「素晴らしい」「けっ」

 

パウロとトーマスで明らかに反応が真逆だった。

パウロはトーマスに、トーマスはパウロに遠慮してなのか、それ以上の追求はなかった。

アスカが続きを促す。


「それで?」


「うん。昔の私の家で魔災が発生したの。

 もう何が何だかわからなくなって、気がついたら閉じ込められてて」


「へぇ?」


「なんで逃げなかったんだ?

 発生したらすぐに逃げればいいじゃないか」

 

トーマスの冷たい声。


「その辺はよく覚えてないです。突然でしたし……」


「突然なのは当たり前だろ。逃げろよ」


「子供なんだからしょうがなかったんです。

 でも、その時に、助けてくれた女の人。

 その人が瓦礫を吹っ飛ばして、私を引っ張り出して、外へ放り投げてくれたの」


「ここまでで筋肉の話一切出てこないわね」

 

アスカが片方の眉だけ下げて不思議がっている。

カオリはそんなアスカにちょっと待ってと言うような仕草をして続ける。


「放り投げられるまで、私、死ぬ覚悟だった。

 生きてもいいんだってわかった時、初めて涙が出てきて、恐怖の感覚が出てきた。

 その時恐怖という感情が一気に押し寄せてきて。

 最初に見ていたのが筋肉だったから」


「あははははは!」

 

アスカは気持ちいいくらいに口を開けて、机を叩いている。

ボブも大きな皿の料理を口に運びながら効果的に顔を隠しているが、どう見ても笑っている。

パウロはなるほどと言わんばかりにウンウン頷いている。

あの、トーマスですらカオリから目線をワザとらしく外している。


「そういうことなの!? 意外すぎる。ぷぷぷ。ああ、わらっちゃダメだよね……。ふふふふ」


「アスカ。全然抑えられてないよ。ふふ」

 

あまりにも気持ちよく笑うのでカオリもつられて笑いそうになる。


「それで、筋肉がトラウマになったの?」

 

ボブは心を落ち着けたのか真面目な顔してカオリにそう問いかけた。

いつの間にかボブの前に広がっていた皿は全て空っぽになっていた。


「うん、そんな感じみたい。自分でももうよくわからないんだけどね」


「カオリ、その、君の両親はどうなった?」


「両親はその時に死んでしまったの」


「あ、ごめん。笑いすぎた」

 

アスカはすぐに口を閉じるとカオリに謝罪し、頭を下げる。

だが、カオリは手で謝罪が必要ないと表明すると言う。


「まぁ、私の中で両親がいないことはもう消化されてるから別にいいよ」


「でも、それは、とても不幸せなことだったね」

 

ボブは黙祷を捧げるかのように目を閉じてそう言った。


「“不幸せ”………だったのかな……? 特に意識したことないからわからないけど……」

 

カオリは首をかしげる。

どうにも、その頃の記憶は薄れつつあった。

その後入った養護施設では自分と比べ物にならないほど壮絶な人生を送っていた子が多くいた。

カオリの思い出は大したことない部類に入っていたため、特段不幸せだと思ったことがなかった。

むしろ、その養護施設についての記憶の方がはっきり思い出せた。

カオリはつづけて言う。


「よくわからないけど……。とりあえず、生きてます。

 不幸せだったかどうかはよくわからないな。

 筋肉恐怖症も日常生活では不便じゃないし」


「けっ。消魔士としては失格だよ」

 

トーマスは心底嫌そうな表情を浮かべ、目の前のドリアを途中まで食べて食事を終える。


「そっか。ま、カオリ本人がそんな感じなら、不幸じゃなかったってことかもね」

 

アスカはあっさりとそう言うと、パセリを残したまま席を立つ。

カオリは野菜スープを全ての見切ると机の上を不思議そうに見つめる。


「食べきらないんですか?」


「えっ? 私は食べきったよ?」


「俺も食べきった」


「僕はもうこれ以上食べれない」


「そうですか……」

 

ズキっとカオリの脳内を刺激する声。


『食事は全て食べ切りなさい。出されたものを全て食べきること幸せなのだ』

 

カオリはその声を抑え込む。

頭痛はすぐに収まったが、どうにも言い表せないもどかしい感覚が彼女の体に残る。


「ごぎそうさまです、アスカ」


「いいってことよ! 新人はおとなしく奢られてなさい!

 その代わり早く一人前になって私の仕事を楽にしてね!」

 

ふふっとカオリは笑ってしまう。

いかにもアスカらしい発言だった。

赤いショートボブの髪がポンポン踊って会計のところへ進んでいく。

そのすぐ後ろにパウロがへばりついている。


「アスカの分も、ボクが払うよ!」


「あんたは黙ってな!」

 

パウロは拳で殴られる。

嬉しそうなパウロ。

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