2 暗雲立ち込める

形がはっきりしない灰色の雲が空に寄り合いバスのごとく詰まって、多重の層を構成する。

三次元直交に連なる家々に影の差がつきづらいこの天候は人々の遠近感を狂わせ、自分たちが生きてこの場所にいるという現実味を薄める。

 

ウェンディの死から三ヶ月。

カオリは消魔士としての仕事より、新人としての研修で忙しく、ウェンディの死を悲しみ続ける余裕がなかった。

しかし、そうして仕事に邁進することで余計なことを考えなくて済んだとも言えた。

 

カオリは三ヶ月の間に、消魔署のメンバーとその仕事を把握した。

署に詰めているのは基本的に11人であり大体3人ずつが持ち回りで当番だった。

しかし、非番の人間も魔災のひどさによっては召集されることがある。

カオリも非番の日に一度だけ召集された。

だが、その時は駆けつけた時にはもう消魔が終わるような簡単な事件だった。

念のための召集だった。

 

そしてカオリは、今日、ついに消魔署内における新人研修を終え、半人前の消魔士として見回り任務に参加していた。

 

運転手は黒い肌にスキンヘッドのボブ。

黒い消魔車に黒い肌。

正面に座る彼はどう見ても黒い消魔車にミラクルマッチしていた。

何しろ、目以外が保護色になっているのだ。


「どうだ、カオリ。見回りに出て見た感想は?」

 

ボブは前後左右上下の六差路の信号を待っている間、助手席に座っているカオリに話しかけた。

カオリは正面の広いフロントガラスから見える町並みや太古の契約により風の精霊(シルフィリア)の力を借りて空中を歩く人たちを、まるで通り魔事件の不審者を探す刑事のように見つめていた。

 

街は次の休みに行われる精霊祭りの準備で、人々が忙しく動き回っていた。

家を飾りつけたり、屋台の準備をしたり。

街の中心街でもセールや花火まで打ち上がる。

人々はあちこちを目まぐるしく動き回っていた。

 

カオリはため息をつくと背もたれに頭をつける。


「ダメ。人が多すぎて何を見て回ればいいのかまったくわからない」


「へぇ? そんなこともわからないのかい? 女新人くん?」


「トーマス先輩。それなら、先輩は何を見ているんですか?」


カオリは眉を八の字に後ろに座る四角い黒縁の眼鏡をかけた男に聞く。


「僕?

 僕はね、もしもの時に使う魔力をためた貯魔槽の位置や状態、それとの距離感、そこまで伸ばす魔力吸引のホースの伸ばし方、避難誘導の仕方なんかを意識して見るんだ。

 ま、女の君にそれほどの情報をいっぺんに見れるとも思えないがね」


「じゃあ、今は?」

 

トーマスはふんと馬鹿にするように鼻を鳴らす。


「君が自分自身で考えたまえ」


「トーマス先輩って私に話しかけてくるわりには、結局何にも教えてくれないんですよね」


「ちっ。バカが。自分で考えろって言ってんだよ。

 女だからって媚びれば何でも教えてもらえると思うなよ」

 

カオリは眉をひそめてトーマスのことを見る。


「女であることそんなに関係ありますか?」


「あるね。いざって時に使えねぇから」


「そうですか。先輩も私より一年だけ先に入っただけだと思いますけど。

 私とそんなに差があるんですか?

 まぁ、それならいざって時に頑張りますね」

 

カオリはきっぱりとそう言った。

カオリにはトーマスが渋すぎる渋柿でも食べたかのような表情を浮かべている様子が容易に想像できた。

カオリは運転席の方を向く。


「ボブは何を見てるの?」


「俺は基本的に運転と現場での消魔車の操作が仕事だからな。

 そこの家で魔災が起きていたら俺はどこに車を止めるべきか。

 空路の広さや車通りの多さ。

 横断歩道の位置、信号の有無、飛行許可がある場所なのか。

 それに加えて私有空間だと気をつけなきゃいけない。

 うっかり入ってしまあとから料金を請求されたりするからな」

 

カオリはぎょっとして驚く。


「命を救うために急行して、少しの間停車しただけなのに料金を請求されるの?」


「土地を私有している人と救われる人の命には何ら関係がないからな」


「そ、そう言うものなのかな………」


「いずれ分かるさ。人の不幸せは蜜の味だったりするのさ」

 

カオリの心には魚の小骨が胃に刺さったかのような変なむかつきが残った。

 

青に変わった信号。滑るように前に進み出す。

平常時のボブの運転で酔う人間は車に乗れない才能があるから誇っていいとはギンガの言葉である。


「カオリちゃん。あまり思い悩まないことだよ!」

 

後ろの方でアルミのような軽い金属を叩いたかのような男の声が聞こえる。

パウロだ。絵に描いたような女好き。

ナディアなど女職員に常に声をかけている。

それでも細く小さい顔、バランスのとれた顔のパーツの配置、長髪の金髪。

街中を歩けば声をかける女の子は多い。


「パウロは見回りの時、何を見てるの?」


「ボクは、住んでいる人たちの表情かな。

 会話しているかどうか。しているなら笑顔か?

 人々の暮らしを見て聞いて。

 要するに幸せの度合いを見るためかな」


「幸せ度合い………………」


「何、ちょっともっともらしいこと言ってんの?

 あんたが見てんのは女の子だけでしょうが」

 

アスカはフルートを奏でるような優しい声なのに、鋭いツッコミが両立する不思議を体現している。

燃えるような赤い髪をショートボブにして、手のひらでそれを持ち上げたり離したりしてポンポン踊らせている。


「アスカは?」


「私はこれまで言われてきたことに加えて、建物の名前や住んでいる人たちの家の形や色、近くにある魔力滝や濃密な精霊脈、名前のついた魔力溜まりとかね。

 住所がわからない人が通報し他時に近くにあるものを伝えてくれれば出動できるようにね」


「なるほど。すっごい量だね」

 

カオリは指折り確認しようとしていた手をパンパンと払って言う。


「ま、意識して見るものを何にするのか。

 優先順位をつけるしかないね。

 私は分析もするから、隊長に消魔の方針を提案する時に必要な情報を見ているし、ボブは車を運転するから車関係についてよく見てる。

 パウロは女の人優先」


「イエス! 見たいものを見ればいいのさっ!」


「あんたは、女の人を見ていると言われたところを否定しなさい!」

 

アスカの鉄拳がパウロに飛ぶ。


「ゴホービデース!」

 

嬉しそうなパウロ。そのままアスカの拳をなめてしまいそうだった。


「うわっ、気持ち悪りぃ! こっちくんな!」

 

アスカの男らしい悲鳴。

後ろで繰り広げられる漫談をカオリは無視し、じっくりと窓の外を見る。


「優先順位……」

 

顎に手を当てて考えているとパウロが後ろで声を上げる。


「女性は助けるべき対象だからね。

 カオリも困ったらボクのこと考えてくれればいいから!

 何なら、今日の夜どうだい!?」

 

バシッとその肩をぶっ叩く音が響く。


「ねぇ、カオリのトラウマ、知ってるでしょ。あんたになんかなびかないわよ!」

 

パウロはアスカに叩かれて嬉しそうな顔を浮かべているが、不快そうな表情を浮かべたトーマスは長い長い溜息をつく。


「それにしても、女の上に筋肉恐怖症って。

 どうして消魔士になったのか、そこから考え直した方がいいと思うんだけどな」

 

アスカはトーマスの頭をぶっ叩く。


「何てこと言うのよ。トラウマとなりたい職業に何の関連もないわ」


「そうは言っても、アスカ先輩。

 消魔士は筋肉があってなんぼです。

 太古の契約とは関係ない風の精霊(シルフィリア)に乗ってバランスを取る。

 水の精霊(オンデフィリア)による高圧放水の反作用に耐える。

 どんな動作にも健康的で強力な筋肉が必要です。

 なのに、筋肉を必要とする人間が筋肉恐怖症ってどんな冗談ですか」

 

けっと言う声が聞こえてきそうなほど、トーマスは先のセリフを言い捨てた。

アスカの可愛い顔が歪む。

しかし、その顔には一部、好奇心が含まれていた。

具体的には耳が動いていた。


「でも、聞いたことないわ。

 筋肉が恐怖の対象になるなんて。

 ギンガが抱きしめて気絶した時には何事かと思ったけど。

 まさか、筋肉が接近しすぎると気絶しちゃうなんて。

 カオリ、もしよければどうしてそうなったか聞いてもいい?」


「もちろん。知っておいてもらった方がいいから」


するとボブが周囲の様子を確認しながら車を空路の真ん中に止める。


「その話はご飯を食べながらにしようか」


「えっ、勤務中だよ?」


「そうだよ?」

 

カオリとボブは見つめ合う。

アスカははぁーやれやれといった風に言う。


「だからよ。ご飯食べて休憩しなきゃ私たちのコンディションがおかしくなるでしょうが。

 私たちの目的は魔災に巻き込まれた人を助け出すこと。

 見た目の体裁なんてどうでもいいんだよ」

 

ボブもニコッと笑ってカオリに言う。


「そうそう。元気な消魔士と元気じゃない消魔士、どっちに助けられたいの?って話だよ」


「それはそうだけど……。

 税金で賄われている車でご飯を食べに来るのってどうなんですかって言われそうじゃない?」

 

アスカは女貴族が庶民を笑うようにおほほほほと笑う。


「そんなくだらないこと気にしてる奴が収めてる税金なんてみみっちいもんよ。

 そいつのお金じゃ、消魔車一台買えやしないわ」

 

アスカはさっさと消魔車を降りると先に降りてファミレスに歩いていたボブの背中に抱きつく。

ボブはぐいっとアスカをおんぶする。


「ボブのおごり!?」

 

アスカはそう言う。すると、パウロが手をあげる。


「ボクがおごってあげるよ!」


「結構。あんたの金はどこかの女の子から貢いでもらったものを売り払ったものでしょ。

 いやよそんな金で食べるご飯。

 あんたの金には文字通り、『色』がついてんのよ」


「あははははは」

 

否定しないと言うことは本当にそう言うことしてんのかよ。

とカオリは心の中で突っ込む。

ふと、カオリは自分の財布の中身を思い出す。

今日は給料日前。財布の中は北風でも吹いているのかと思ってしまうほど寂しい状況だった。


「カーオリっ! 私がおごってあげるから! 心配しないで!」


「アスカ……!」

 

まさに渡りに船。

アスカの気遣いの素早さと言うか気遣いのアグレッシブ加減を、カオリは見習いたいと思い始めていた。

そこへ緑色の光を伴って風の精霊(シルフィリア)のシルフが現れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る