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誰の口からも否定の意見が出なかった。

つまり、ここにいる全員がそうだとわかっていながら消魔活動を行なっていたことになる。


「あのお母さんは、メイルちゃんのことを見ようともしなかった。

 さらに、メイルちゃんが助かったとわかった時、燃え盛る家の中に入ろうとした。

 それは、つまり、メイルちゃんから逃げようと、殺そうと思っていたと言うことだ」


「えっ……」

 

カオリは驚く。


「そのことは火の精霊(サラドフィリア)が現れたという事実からも推測できる」

 

そこへ、警察への報告を終えたロンが車に乗り込んできた。

全員の視線がロンに集中する。

 

ナディアはロンに一言言ってやりたそうにしていたが、その言葉を飲み込んだようだった。


「ボブ、出してくれ」

 

ロンはつぶやくように言った。


「了解」

 

車は緊急時の躍動を失い、後ろに引っ張られているようにゆっくりと走り始める。

低速で走る車の微細な振動が尻を揺らす。

ギンガはカオリの顔を見て話を続ける。


「精霊が実態化して現れる。

 それもバケモノの形をして。

 それは最悪の事態だ」

 

ロンは話の内容を把握したのか頷くと、タブレットを開いて今日のデータを整理している。


「精霊は人の住処に現れる。

 そして、魔災が起きた時そこに住む人間が“幸せ”なのか“不幸せ”なのか。

 それよって現れ方が異なってしまう。

 もしも、“幸せ”な家ならば家がどんな魔災に襲われようとも精霊が家族を守る

 精霊は家族の無事に満足したらそのまま消える」

 

カオリは思い返す。

二匹の巨大なトカゲ、霊獣サラマンダー。

その行動は凶暴そのもの。

手当たり次第に自らを生み出した家を破壊し、その家に近づく人を食った。

あたかもその家が無かったことにしたいように。


「だが、逆に“不幸せ”な家ならば……」

 

ギンガはその先を言えなかった。

ぐっと唇をかみしめている。

ロンはギンガのその様子を見て、フゥと息を吐くと、彼が言葉を繋ぐ。


「住んでいる人たちが自分たちのことを不幸だと思っている家。

 そんなとこに現れるのが、今日のような精霊。

 霊獣とも言うけれど。

 一説によると家人の自分たちは不幸だと考える負のオーラがそこに住む精霊に流れ込んでしまうことが原因と言われている。

 実際にはよくわかっていないがな。

 そんな風に負のオーラを溜め込んだ霊獣は、有事の時、獣の姿となって現れるんだ」

 

ロンは眼鏡を持ち上げるとカオリを見る。


「今日のあの母親は確実に子供を殺すつもりだった。

 そこまでして子供を殺そうとしたんだ。

 相当に不幸を溜め込んでいたんだろうな……」

 

ロンはため息をつくと言う。


「最近、そういう事件、増えてきているんだ。

 母子家庭だったり、仕事が忙しいのに子供を作ってしまったり。

 両親共々、子育ての責任を取りきれないのに何も考えずに子供を作ってしまって、いざとなったら邪魔だなと考えて排除しようとするような事件」


「子供を殺すつもりだったとしたら、あのお母さんは……」

 

カオリは小さな声でつぶやく。


「ああ、放魔犯として逮捕されることになった。

 メイルちゃんは養護施設に入ることになる。

 気の毒なことだが、父親の方も望みは薄いだろう。

 霊獣が出るような家にはよくあることだが」

 

そんな……。とカオリは口の中でつぶやく。

そんな身勝手な家庭の事情でウェンディは死んでしまったのか。

しかし、カオリはその思いは口にできない。

それこそが、人の死に価値を求めると言うことなのだから。


「あの家では幸せになることを何にもやってなかったの…………?」


「違うと思うな。幸せになろうとしたから、あんな風にこじれてしまったんだと思うよ」


「……どういうこと……? 幸せになろうとすると不幸せになるの?」

 

黙ってしまったカオリを見てナディアはため息をつくと言う。


「ロン、カオリに話すのが早すぎるわよ」


「そんなことはない。

 どんな新人でも乗り越る壁だ。

 いや、乗り越えなければならない壁だ。

 それが早いか遅いかの問題。

 自分の命の使い方。自分の幸せ。

 その覚悟を決めるのも新人の大事な仕事だ」

 

ナディアは黙る。

ロンの言い分の方が正しいと認めたのだ。

ロンはカオリの方を向くと、その表情に心配する感情が現れているものの、毅然として言い放つ。


「カオリ。僕は口下手だから、思ったことをオブラートに包んで言うことができない。

 だけど、今日の一件を受けてよく考えて欲しい。

 魔災を消すだけが消魔士の仕事ではないと言うことを。

 そして君がどんな消魔士になりたいのかを」

 

カオリは頷くことも首を振ることもできなかった。


「だが、今日の魔災は不自然だった。調査の必要があるだろうな」

 

ロンの独白は、もはや誰も聞いていなかった。

冬の日の大理石のような冷たく重苦しい雰囲気が車の中に鎮座していた。



風の精霊(シルフィリア)の力を借りて人類は空に近づいた。

しかし、どれだけ近づいたとしても天気を変えることはできなかった。

どれだけ厚い雲が立ち込め暗い闇が街を覆っているとわかっていても、どれだけの量の水滴が降り注ぐと分かっていても、人は雨を避けられない。

 

サラマンダーが二体も現れる前代未聞の魔災から一夜明けたこの日。

水を吸い普段より黒さを増した布がウェンディの家を覆い、雲より重い黒服を着た人々が一人、また一人と建物に入る。


「ウェンディの安らかな眠りをお祈りいたします」

 

消魔署北東支部を代表してギンガがウェンディの両親に挨拶した。

ショートヘアで明るく元気なウェンディ。

よく似た母親カレン。

正義感が強く先輩から可愛がられ後輩からの信頼が厚いウェンディ。

よく似た父親ヘンリー。

 

ヘンリーはギンガのおにぎりが三つ四つ入っていそうな腕をポンと叩くと涙を堪える。

その様子を見たカレンは堪えていたものが溢れてしまった。

嗚咽とも悲鳴とも取れるような泣き声が厳かな雰囲気の会場に響き渡る。

ヘンリーはギンガに言う。


「あまり、自分を追い詰めすぎるなよ。

 ギンガ君。私も消魔士の端くれだった身だ。

 いつかこういう日が来るかもしれないと覚悟していた………」

 

ヘンリーは思わず上を向いてしまう。


「だが、……早すぎる………!

 彼女が生きた人生より!

 私たちの残っている寿命の方が長いじゃないか!

 これから、こんな思いを背負って!

 生きなきゃいけないのか!?」

 

ギンガの歯ぎしりの音が、一番後ろにいたカオリにまで届いてきた。

ギンガは空を切る音が聞こえてきそうな勢いで頭を下げる。


「彼女は。消魔士としての誇りをかけて、仕事を全うしてくれました。

 命を救ったのです。

 彼女はきっと満足していたはずです」

 

ヘンリーはくわっと目を見開くと大粒の涙を撒き散らす。


「そんなことはわかってる!」

 

ヘンリーは大きな声でギンガを怒鳴りつけた。

そして、その声で自分を取り戻す。


「そんなこと………わかってる……。

 あの子は、優しい子だった……。

 そりゃ、満足だっただろうさ……!

 我が家は長いことうまく言ってなかった。

彼女が俺と妻の仲を取り持ってくれたから精霊が出るほどの家庭になれた!

 だがこれから、私たちは被害者の命を救った英雄(ヒーロー)の遺族として、笑顔で暮らさなきゃいけないんだ!

 それがどんな思いなのか、お前たちにわかるか!?」

 

ギンガたちは再度、残された二人に頭を下げた。

ギンガたちがこれ以上ウェンディの両親に言うべきことは何もなかった。

いや、何も言えなかった。

どんな言葉をかけても両親にウェンディが戻ってくることはないのだから。

 

消魔署のメンバーは一人ずつ静かに花を受け取って献花台にすすむ。

 

カオリは一礼して黙祷すると静かに、ウェンディの写真の前に進む。

棺桶は空っぽだった。カオリはウェンディのはにかんだ笑顔の写真を見つめる。


「ウェンディ……………」

 

カオリは思い出の中にいるウェンディに語りかける。


——ウェンディ……。消魔士の仕事ってなんだろうね……。

 私自身の命の使い方。

 ロンは考えるべきだって言ってたけど。

 そんな、簡単に結論出せないよ……。

 ウェンディはこんな風に使おうって決めてたの?

 本当に“幸せ”だった?

 

カオリは踵を返して両親に向かい合うと一礼する。

するとウェンディの父親であるヘンリーがカオリに声をかけた。


「君は、新人か?」

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