26 その剣は誰がために

 

 ついに『彼女』と再会することが出来た。

 エミュローズとかいうこの世界の女神の言葉を疑うわけではなかったが、実際にこの目で確認するまで心休まる時はなかった。


 果たして彼女と再会することはできるのか。

 このまま一生出会わないのではないか。

 無事に転生してくれたのか。

 ――幸せに暮らしているのだろうか。


 最早自分のことなどどうでもよかった。

 彼女アリサを守り抜くことができなかったかつての自分タツヤに、彼女と未来を共にする資格などない。

 ただこの手、この視界に入る中で自分という存在を知らずに生きてくれればいい。

 あんな悲惨な過去のことなど、彼女は覚えていなくていい。


 ただ、生きてさえ居てくれれば。

 それだけが俺の願いだった。

 その答えが、目の前にあった。


 ――アリーシャ・ウルズ・オーウェン。


 彼女の今世での名前。

 俺は声を上げて泣きながら、その名前を胸に刻んだ。

 もう二度と失わせない。もう二度と無惨にその命を散らせない。

 彼女を守るためだけに、俺は剣を振るう。


「……おにーしゃん? 悲しいのなら笑うといいよ! そしたら悲しいことなんて吹っ飛ぶよ!」


 目の前までやってきた少女がこちらを覗き込んで、笑った。

 傾けた首に合わせるようにして揺れるプラチナブロンドのツインテール。キラキラと輝く紅玉の瞳。

 その姿は前世の彼女とは似ても似つかず、かつての彼女の面影は全くと言っていいほどない。

 しかし俺はその姿にかつての彼女が重なって見えた。


 いつだって元気いっぱいで人懐こい笑みを浮かべ、沈鬱そうに浮かぶ雲すらも吹き飛ばしそうな溌剌とした表情を絶やさなかったかつての彼女は、確かにこの少女にも受け継がれていた。


 俺は流れ落ちそうになった涙を拭い、立ち上がる。

 そして目の前で微笑む少女の頭に恐る恐る手を伸ばし、触れた。

 ポン、と手を当てると軽やかな羽毛のような髪の感覚が、掌に伝わってくる。


 実在している。血の通った彼女の感覚は確かに此処に在る。

 俺はそのことにまた泣きそうになりながら、目の前の少女を心配させまいとしてぐっと涙をこらえた。

 そして、に視線を合わせて、にっこりと微笑んでみせる。


「……違うんだ。目に砂が入っただけだよ。でも心配してくれてありがとう」


 そのままグリグリと頭を撫でてやれば、アリーシャはくすぐったそうに笑い声をあげた。

 その声を、表情を頭に焼き付けながら、俺は再度誓った。

 アリーシャは俺が守る。今度こそ守ってみせる。


 俺はより一層の決意を胸に立ち上がり、更なる稽古に打ち込んだ。



 *



 そうして数年が過ぎ、ヴェガとして転生して19年の歳月が過ぎた春季。

 俺は騎士団に在籍しめきめきと頭角を現し、その名を国中に轟かせつつあった。

 そんなある日、俺は国王に突然呼び出された。


 クローエンシュルツ侯爵家に突如送られてきた王家の紋章入りの手紙。

 その宛先は俺、ヴェガ・ダーツェット・クローエンシュルツとなっていて今日中に王宮に赴くようにとの王の勅命が書かれてあった。

 さらに不可解なことに手紙の最後には国王の直筆のサイン入りである。


「お前何かしたのか!?」


 顔面蒼白の父に突然呼び出されたかと思えば襟首を掴まれて揺すられ詰問されたが、さっぱり心当たりがない。

 困ったことに全く身に覚えがない。ここ数年は騎士団に出入りしてひたすら任務に打ち込んでいたし、王家の不興を買うようなことをした覚えはないのだ。


 寧ろ勤勉に任務をこなし、誰よりも成果を出していたはずである。騎士団長に呼び出されて「少しは休め!」と肘鉄をくらい怒られる程度には任務に打ち込んでいた。


「まぁまぁ、行けば分かるわよ。貴方が真面目に騎士団で働いていた事は周知の事実だもの。陛下は悪いようにはしないはずだわ。とりあえず行ってきなさいな」


 そう言ってほんわかと笑う母親に、俺は正装の騎士服に着替えてリーキュハイア宮殿に赴いた。


 門番に手紙を見せればあれよあれよという間に案内され、気づけば謁見の間の目の前。


「入れ」


 重厚な声が響くと共に謁見の間の扉が開かれ、俺は初めて国王陛下を間近で拝謁した。

 その顔の全貌を確認することなく素早く騎士の礼をとり、膝を着いた俺に玉座から声が掛かる。


「おもてをあげよ」


 許しを得て目線をあげれば、玉座に腰掛けた国王の姿が確認できる。

 頬に刻まれた優しげな皺。緩やかな弧を描く柔らかな眉毛に、垂れ目気味の目元。

 口元は親しげな笑みを浮かべ、こちらを歓迎しているような印象を受ける。


 初めて見た国王陛下は、実に好好爺のような容貌を持つ優しそうな王だった。

 そんな国王は、開口一番こんなことを宣った。


「うん、回りくどいことはせぬ。率直に用件を言おう。私はお前を気に入った! その力是非我が元で発揮して欲しい。ヴェガ・ダーツェット・クローエンシュルツを特務騎士団員に推薦する!」

「お断りします」


 間髪入れずに答えを返した俺を、意外そうにぱちくりと瞬きをして見返す国王。

 しかし次の瞬間ニヤリ、とした笑みを浮かべた。実に楽しそうな、そして実に意地が悪そうな笑み。

 俺はこの時直感した。


 なるほどこの国王、こちらの方が本性らしい。

 直々の推薦という栄誉を足蹴にしたことを責めもせず、寧ろ面白そうに首肯したあと、再びこちらに問いかけてきた。


「ふむ、それはなぜだ?」


 実に楽しくて仕方ないといった問いかけに、俺は本心から答える。


「私は確かに騎士団に在籍してはいますが、それは心に決めたただ一人を守るため。我が剣はその者のためにのみ捧げます。国王陛下に畏敬の念はあれど、忠誠を尽くしている訳ではありません」


 それは、ともすれば国王への不敬にあたる言葉。

 不敬罪で首を跳ねられてもおかしくはない文言でもあった。

 しかし言わずにはいられなかった。


 特務騎士団は近衛騎士団に並ぶ国王直属の部隊のひとつ。

 国王に仕え、忠誠を尽くし王族を守るという点では近衛騎士と同じ。

 近衛騎士が〝表〟の警護を司るなら、特務騎士は〝裏〟の警護を司る。


 陽の光を浴びぬ夜闇に生き、人知れず国王の脅威となるものを遠ざける隠密、情報収集に長けた集団。

 時には暗殺も担当する汚れ役。圧倒的な実力を誇り、尚且つ王家に絶対の忠誠を誓う精鋭の騎士団。


 国王への絶対忠誠が条件な特務騎士になど俺はなれない。

 俺がその身と剣を捧げると誓ったのは陽だまりで笑う一人の少女。

 転生して尚、その魂の本質は変わることなく自分を照らしてくれる俺の唯一存在。

 彼女アリーシャだけだ。


 決して変わることのない決意を胸に、いっそ馬鹿正直に本心を告げた俺に国王はキョトンと目を丸くすると――


「ぶわっはっはっはっ!!」


 豪快に笑い出した。

 俺がぽかんと口を開けて驚く中でひとしきり笑い、涙が滲んだ目を拭った国王は「いやー愉快愉快」と上機嫌で口を開く。


「その真っ直ぐさと馬鹿正直さは確かに特務騎士には向いていないな。いや、悪かった。見極められなかった私のミスだ。……だが益々気に入った。是非とも私の元で働いてもらいたい」

「はぁ……」


 直々の推薦を拒絶しといてなんだが、この国王色々大丈夫だろうか。

 困惑してなんとも気の抜けた返事をすると、上機嫌なままの国王はこんな提案をしてきた。


「守るべきものがある者は強くなれる。お前はその者のために変わらず剣を振るうがよい。そして提案だ。私と〝取引〟をしないか?」

「取引、ですか……?」

はこれまで通り、自分が剣を捧げた相手のために振るえ。そして私はそれを承知した上で、そなたを近衛騎士に推薦したい。近衛騎士として守るべきもののために振るう剣を極めるがよい」

「守るべきもののために振るう剣……」

「そうだ。近衛騎士はまさにそれを体現した職種だろう? あ、あとこれは好奇心だが……因みに私にそなたがそうまでして守りたい者が誰かを教えてんかの?」

「……は?」


 内緒にするから、と小声でこちらに寄ってくる国王。

 威厳溢れた態度とはあまりにもかけ離れた子どものような姿に毒気を抜かれ、吹き出した俺は『彼女』の名を告げる。


 王はその名前に目を見開く。

 当然だ。アリーシャは第一王子の婚約者なのだから。

 このことを聞いた時驚きはしたが、同時に安堵もした。

 俺に彼女を幸せにする権利などない。前世で彼女の想いに答えることなく死なせてしまった俺は、彼女の手を取ることは許されないのだ。


 けれど。側で陰ながら守ることだけは譲れない。

 だから決めた。王の申し出はこの際有難いことだ。

 彼女が、将来王妃になるというのなら。

 俺はその隣で近衛騎士として君を守ろう。


 王家に忠誠を誓うことはないが、それが結果的に彼女を守ることに繋がるのだから。

 この剣は未来永劫、ただアリーシャのために。


この〝取引〟は無事に成立し――、俺はこの年アルメニア王国で最年少の『近衛騎士のヴェガ』となった。



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