25 その出会いは偶然か必然か
「ヴェガ・ダーツェット・クローエンシュルツと申します。本日はわざわざ私のために剣の御指南を頂けると聞き参上致しました。宜しくお願い致します」
「貴方がヴェガね。私はアレクサンドラ・ヴェルザンディ・オーウェン。今日はよろしくね」
「はい」
アルメニア王国、王都の西にあるオーウェン公爵邸。
俺はこの日、叔母であるオーウェン公爵夫人に稽古をつけてもらうため公爵邸に足を踏み入れていた。
この日初めて会った叔母――オーウェン公爵夫人アレクサンドラは南方の血を濃く受け継ぎ、褐色の肌に銀に近い白髪、紅玉のような赤い瞳を持つ女性だった。
現役時代は王妃警護の近衛騎士に在籍し『白百合の氷姫』としてその異名を騎士団中に轟かせていたとか。
外相であるオーウェン公爵と結婚して以降も時々指南役として騎士団に顔を出しては厳しい訓練と模擬試合で団員を泣かせていると聞く。
ヴェガとして代々騎士を輩出する名家、クローエンシュルツ侯爵家に生まれた俺は強さを求め、日々修行に励んだ。
全てはいつかこの世界に俺と同じように生まれてくるであろう『彼女』のために。
あんな思いは二度と味わいたくない。絶対に繰り返さない。
彼女を守り通すためにひたすら強さを求め鍛錬をし続けた俺は十歳ながらにその能力を認められ、騎士団員見習いとして騎士団に出入りすることを許されていた。
そこで女性ながらに無類の強さを誇る叔母のオーウェン公爵夫人のことを知り、こうして直接稽古をつけてもらうことにしたのだ。
オーウェン公爵夫人は快く引き受けてくれて、騎士団に出向いてくれるとまで言ってくれたが、夫人には今年で三歳になる娘がいて、絶賛子育ての最中である。
乳母を雇うことなく自らの手で子どもを育てるのが信条だという公爵夫人からしてみれば、まだ三歳の娘は手がかかる頃合いだろう。
指導を願ったのはこちらからなのだから自ら出向くのが礼儀であると判断した俺は、公爵夫人に許可を取り公爵邸の訓練場を使わせてもらうことになっていた。
「さぁ、こっちが訓練場よ」
アレクサンドラ夫人に手招きされるままに俺は訓練場に入る。
騎士団の訓練場と比較しても遜色ないほどの広さを誇る訓練場に俺は思わずパチリと目を瞬いた。
前世で言えばグラウンドのような場所に近い。
長方形に整えられた訓練場は四つ仕切られ、普通の土で固めた地面のエリア、草が生い茂った芝生エリア、足場が悪い大きな岩や石が転がる岩石エリア、沼を思わせる泥にまみれた水場エリアに別れていた。
様々な場面を想定しての訓練ができるようになっているのだろう。私的な訓練場と聞いたから勝手に空き地のような場所を想定していた俺は思わぬ光景に硬直してしまう。
おっかなびっくりで訓練場の中に足を踏み入れた俺に公爵夫人は刃の部分が潰れた模擬用の剣を渡してきた。
「さぁ、早速だけどまずは実力を見たいから私に打ち込んできて頂戴」
「はい、分かりました」
剣を手にし構えるとすうっと頭が冴えていき、視界が標的のみに注がれる。
「行きますッ!」
俺は高らかに宣言すると、アレクサンドラ夫人に全力で斬りかかった。
*
三時間後。
「――うん、アルメニア流剣術はきちんとマスターしてるみたいだけど利き手に重心を傾け過ぎる癖があるわね。もう少しバランスを取るように心がけるといいわ。筋はいいから努力次第で素晴らしい騎士になれるわよ」
「……はい。ありがとうございました」
衣服の乱れすらなく優雅に腰の帯へ剣を収めたアレクサンドラ夫人が俺に向かってアドバイスしてくれる。
その朗らかな声を俺は地面に大の字に転がったまま聞いていた。
衣服に汚れひとつない夫人に対し、俺は全身ボロボロだった。服は汗と埃にまみれ、もう立ち上がる気力すらない。
あれから三時間、俺はひたすらアレクサンドラ夫人に向かっていき、転がされ続けた。向かっては転がされ、向かっては転がされ。それをひたすら三時間。
全く歯が立たなかった。夫人はひたすら俺を転がし続け、ニコニコと微笑んでいた。
あまりにもにこやかに転がされるものだからこの人はドSな性質があるのではないかと疑いを持ち始めたくらいだ。多分間違っていないと思う。
「でもヴェガ君は本当に根性があるわね。騎士団員なんて一回でも訓練してあげると私の顔を見る度に顔面蒼白になって逃げていくのよ? 騎士の癖に情けないわよね!」
「え、えぇ……。そうですね……」
百戦錬磨の正規の騎士が逃げ出す訓練……。どんな地獄の特訓メニューだったのか気になるところだが突っ込まない方が良さそうだ。
俺は曖昧に相槌を返し、ようやく地面から起き上がる。
よいしょ、と上体を起こした所で、こちらを覗き込む小さな少女に気がついた。
淡いピンクのレース生地のドレスを身に纏い、ふわふわとしたプラチナブロンドを可愛らしいリボンでツインテールにしている。クリクリとした紅玉の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめ、ぷっくりとした薔薇色の頬が可愛らしい、実に可憐な女の子だった。
「あら、アリーシャ」
アレクサンドラ夫人の声にぱあっと顔を輝かせた少女は「かあしゃま!」と舌足らずな声を上げて夫人の方へ走っていく。
夫人は全力で突っ込んできた少女を容易く捕まえると、その手に抱き上げた。
「まだ紹介してなかったわね。この子はアリーシャ・ウルズ・オーウェン。私の娘よ。アリーシャ、自己紹介できる?」
「んー? うん。アリーシャです! おにーしゃん、よろしくね!」
夫人に抱かれたままぴょこりと顔をこちらに向けて挨拶してくるアリーシャという女の子。
キラキラとした視線と目が合った時、俺は少女を見つめたまま硬直してしまった。時が止まったかと思うくらい微動だにできなかった。
あの時の衝撃を、俺は今でも忘れない。一生忘れることはできない。
――
ほぼ直感だった。何か根拠があった訳ではない。強いていえば
前世の彼女とは違う姿、形、声。顔だって違うし、目と髪の色も違う。
けれど。
紛れもなく『彼女』なのだと、俺は実感した。
アリサが――彼女が、目の前にいる。転生した姿であっても、今現実に目の前にいる。
あの時腕に抱いていた死して冷たくなった彼女ではなく、姿形が変わって尚、生きている彼女が今ここに、自分の目の前に存在している。
――彼女が、生きている。
その事実が、どうしようもなく嬉しかった。
今目の前にある現実が、どうしようもなく嬉しかった。
その喜びを実感していると不意に視界がボヤけ、不明瞭になった。
何故だろう、何故まともに視界が映らないのか。俺は不思議に思って目を瞬かせる。
すると何かが頬を伝い落ちた感覚がした。
「おにーしゃん、どうしたの?」
「!」
いつの間にか夫人の腕から降りたらしい彼女が俺の目の前に立っていた。
紅玉の瞳を真っ直ぐに俺へ向けて、少女は俺に問いかける。
「ねえ、なんで泣いてるの?」
「……泣いてる?」
少女の問いかけに俺は自分の顔を触る。
そうして濡れてしまった手を見て、自分が泣いているのだということに初めて気がついた。
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