24 ×××

 忘れられない記憶がある。

 時には夢として、時には断片の記憶として、そして時にはまやかしのように幻想に顕れるこの記憶は決して忘れられるものではなかった。


 俺が――黒臣が彼女を愛し、そして失った前世の記憶。






 大切な彼女を守れなかった。誰よりも愛していたのに。そしてもう二度とその想いを伝えることが叶わない。こんなふうに無惨に失われていくことが分かっていれば、気恥しさや意地などは全て捨てて、彼女に気持ちを伝えたはずなのに。


 両想いであることは分かっていた。彼女は素直に好意を表してくれていた。俺もそれを好ましく思っていたはずなのに。

 彼女と想いを通じ合っていることに胡座をかいて大学卒業までに関係性がはっきりすればいいと、何もしなかった。

 俺はとんだ愚か者だ。いつまでも無条件にこの関係が続くと信じていた。それが当然だと信じていた。


 しかしそれは無惨にも終わりを告げた。

 結果、彼女は目の前で命を落とし、俺も死にかけようとしている。


 腕に抱いた彼女はもはや息をしていない。即死だった。咄嗟に庇って抱いたはずなのに、守ることはできなかった。

 俺自身も落下した際にどこかをぶつけたらしく、下半身の感覚がない。神経が麻痺でもしたのか痛みを感じないことが幸いと言えた。


 何も言わず目を瞑った彼女からはだんだん生気が失われ、もう二度とその目が俺を写すことはないのだと実感した。体はどんどん冷えていって、腕の中の温もりが失われつつあることに恐怖した。


 目の前で死に絶えた彼女を抱いたまま、俺はただ天を見上げて啼くことしかできなかった。この何処にもやりようのない思いを絶叫して発散したいのに、喉から漏れるのは今にも途絶えそうな呼吸の音。それすらもか細くなっていき、俺もこのまま彼女と同じように死んでしまうのだろうと、どこか他人事のように思った。


 もはや自分のことなどどうでもよかった。最愛の人を守れなかった自分の命など、価値も無いに等しいとしか思えなかった。


 俺にもっと力があれば。彼女を守るだけの力が欲しい。もしも来世というものがあるのならば、今度こそ彼女を守りたい。

 この腕に抱いた彼女を、今度こそは。来世でもし出逢えたならば、その時は自分の全てをかけて――。


「必ず、守ってみせる……アリサ」


 その言葉を最後に、『俺』の意識は永遠の眠りについた。



 *



 この決意をして黒臣タツヤとしての生を終えた俺は気づけば見知らぬ空間に立っていた。


「とこだここは……?」


 死んだはずなのにどうして生きているのか。不思議に思いながら首を傾げると不意に女性の声が頭の中に響いた。


『――お前は確かに死んだ。生まれ変わる前のお前の魂を私がここに召喚したのだ。ひとつ頼みたいことがある。どうか私の話を聞いて欲しい』


 突然聞こえた不審な声に、戸惑いながら俺は応えた。


「頼みたいこと……?」

『――そうだ。お前に頼みがある。まずは私の名を名乗ろう。この世界において私は女神エミュローズと呼ばれている。今からお前が転生する世界は私の世界というべきもの。お前と共に亡くなった他の三人も同じ世界に転生することになる』

「そういうことをわざわざ本人に伝えるのか……? よく分からないが、転生すると前世の記憶は消えるものじゃないのか?」


 困惑する俺に女神エミュローズと名乗った声はさらに続ける。


『――お望みなら前世の記憶は消して転生させることもできるが……』

「いや、まだそれはいい。取り敢えずその頼みとやらを聞かせてほしい」

『――う、うむ。お前と共に亡くなった三人のうちの一人……アリサという名の少女だったか。その者が次に転生する人生は、なかなか波乱に満ちた未来でな。是非守ってやって欲しいのだ』


 女神エミュローズが唐突に告げた彼女の名前に俺は思わず反応した。


「アリサに危機が及ぶのか!?」

『――未来での出来事になる故、詳しいことは言えぬ。だが、このままでは彼女に平穏な未来はないであろうということは断言できる。あの者は我が愛し子となる才覚をもつゆえ、そなたに守ってもらいたいのだ』

「アリサを……」


 守る。それ自体は願ってもない事だ。来世でも彼女の側にいることができるのなら俺にとってこんなに嬉しいことはない。

 黙ったままの俺に、断られるとでも思ったのか女神エミュローズは慌てたように言葉を重ねた。


『――も、もちろんタダでとは言わん! 何が望みがあるのなら、私に叶えられる範囲でなら……』

「それなら、三人の記憶から俺の名前を消してくれ」


 即答で答えた俺の望みに女神エミュローズが驚いたような気配があった。


『――それは容易いが……そんなことでいいのか? 名前を消すだけで?』

「俺の名前を覚えてもらう資格なんぞもうないからな」


 肝心な時に助けられなかった自分タツヤの存在など、覚えておいてもらう資格などない。そんな男の名前は彼女に覚えてもらう価値はない。

 この名とともに、俺は過去と決別する。


「そしてその頼みだが、引き受けた。寧ろ俺にとっては有り難いくらいだ。俺は彼女の側に居て守り続ける。あんな思いは……もうたくさんだ」

『――お前は本当に彼女のことを愛していたのだな……。しかしそれでは前世の記憶を保持し続けるというのは辛くないか? 目の前で愛しい人を失った記憶など……。お前が望むのなら転生する際に忘れることもできるぞ?』

「……いや、やめておく。俺は前世の記憶を持ったまま転生する。どうせなら俺以外の三人の記憶を忘れさせてやってくれ。その方がいいはずだ」

『――分かった。その通りにしよう。それでは頼んだぞ』

「了解した」






 その言葉を最後に、俺の意識は再び眠りの底に沈み――目が覚めた時には俺はヴェガ・ダーツェット・クローエンシュルツとして転生していた。


 そして『ヴェガ』として過ごすのにも慣れてきた数年後。

 俺はオーウェン公爵邸で、『彼女』と再会することになる。

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