23 忘れられた、その名

 「――それでは陛下、失礼致します」


 『貴婦人の手本』とまで呼ばれた彼女にあるまじき失態を侵したからか、少し顔を赤くしたまま謁見の間を去っていくアリーシャ。頬を赤くし、恥ずかしげな表情を浮かべ、年相当の少女のような反応をする彼女を見たのはいつぶりだろうか。


 そういう新鮮な彼女の反応を見ることができただけでも、あの場での発言の意味はあったかもしれない。俺の「着いていく」発言に彼女は慌てふためき、陛下も俺の同行をあっさりと承諾したため、アリーシャはさらに困惑していた。

 その様子を思い出して俺は少し愉快な気分になりつつも、去っていく彼女の姿を見送る。


 白金プラチナの髪を翻しながら毅然と去っていく彼女の姿を自然と目で追ってしまうようになったのはいつからだっただろうか。彼女とは従兄弟としての繋がりもあり、幼少期からの長い付き合いがある。しかし今思い返してみてもそれを意識したのがいつ頃だったか分からなかった。


 そんなことを考えながらドレスの裾を優雅に捌いて退室したアリーシャからようやく視線をはなすと、今度は面白そうにこちらを見る国王夫妻と視線がかち合った。


 陛下と妃殿下はまるで微笑ましいものを見るような面持ちでこちらに目を向けてくる。まるで子を見守る親そのものな生暖かい視線に、仕事中だというのに気を散らしてしまったことを半ば後悔しつつ、俺はいつものように無表情を保った。


「――して、ヴェガよ」

「はい、陛下」


 アリーシャに続いてセラーイズル殿下も退出し、この場にいるのは国王夫妻と近衛騎士である俺のみ。公式行事に使われる謁見の間とはいえ、この面子のみになるとそこは完全にプライベートな空間となる。


 玉座の背にもたれ掛かるようにして姿勢を崩した陛下は、立ったままの俺を見上げ、何が面白いのか子どものような無邪気な笑みを浮かべている。見た目は好好爺な陛下が笑うと、目の下にシワがよりなかなか愛嬌のある顔になる。


 しかし勘違いしてはいけない。ゼウス王は基本的に隙を見せるとそこにつけ込む油断ならない存在だ。いつだったかこの国王のことをアリーシャは「タヌキ」と評していたが、それは言い得て妙だと思う。


  「これで“取引”は成立だな。どうだ、お前の望みは叶いそうか?」


 笑ったまま問いかけてくる陛下は、やはり面白そうに口元を歪めている。声音も弾み、揶揄を含んだ口調。こちらの事情を全て知っていて、敢えてこのような問いかけをしてくるのだ。

 どうせ、俺のことをからかって遊びたいだけだろう。全く以ていい迷惑である。

 内心で忌々しく思いながらも、決して顔には出さずに俺は淡々と問いに答えた。


「ええ、

「ほほ、そうか。それならよかったぞ」


 返答に含んだ仕返しの皮肉も見事に笑って受け流される。本当にこの御方は厄介だ。

 近衛騎士として感情を殺す訓練をしていたお陰で顔には出ていないはずだが、陛下はそれすらも見抜いているというように言葉を続けた。


「お前を手放すのは正直惜しいが、お前ほど彼女を任せられる存在もおるまい。存分に務めを果たすがよい。彼女は聡すぎるが故に隙も多い。さすがの私もアリーシャ嬢が神籍の真意に気づくとは思ってもみなかった」

「……そうですね」


 あれは確かに驚きだった。神籍の真の意味を知る者は少ない。トップシークレットとでも言うべき情報をアリーシャは独自に突き詰めたのだ。陛下が驚くのは無理もない。


 メサイア神――アルメニア初代国王のメサイアは女性だった。男尊女卑の風習が主流だった当時、女性が王になるということは通常有り得ない、あってはならないことだった。

 それは魔王フェリクスを封印した聖乙女メサイアであっても例外ではなく、当時の国内情勢はかなり不穏な雰囲気の只中にあったという。


 戦争が起これば負の力が蔓延する。それは魔王にとっては力の糧となり、復活を早めることになる。それを阻止したかったメサイアは聖乙女という立場を最大限に活かし、信仰をもって国をまとめようとした。


 エミュローズ神の使いである聖乙女は現人神も同然。それに加え魔王を封印した実績もあったメサイアはたちまち民に慕われ、メサイアを主神とするメシーア教という宗派が誕生するまでに至った。


 そうしてアルメニア国の民を信仰でまとめあげたメサイアは聖乙女の力を利用して名前を奉納することで悪意を弾く加護を与える制度――『神籍』を作った。闘争心そのものを奪うことで民の心を操作し、余計な争いを生まないようにしたのだ。

 結果、アルメニア王国は今に至るまで長きに渡る繁栄を続けている。


 しかし、悪意を無意識下で排除することは民の心を操っているということでもある。それゆえメサイアはこの事実を秘匿し、代々の国王と信頼ある臣下にのみその真実を伝え続けることとした。


 ごく一部の者ならば誰もが知っているではあるが、当然そんなことを一介の公爵令嬢でしかないアリーシャが知るはずもない。陛下はそれを悟られないよう、初耳を装ってわざと惚けてみせたようであるが。


「アリーシャ嬢は聡い。だからこそ一人で旅立たせる訳にはいかない。アリーシャ嬢はそれだけの価値がある存在だ。だから私は彼女を愚息の妃にしたかったんだがなぁ……」


 思い通りにいかないものよ、とボヤく陛下は言葉とは裏腹に楽しげな笑みを浮かべたままである。


「しかしそのお陰でお前はアリーシャを手に入れられたのだから嬉しいじゃろ? ん?」

「ええ、そうですね。そのお陰で、俺はアリーシャの側を独占できる」

「なんじゃ、否定はせんのだな。お前は本当に昔からアリーシャ嬢に関することだけは素直だったからのぅ」

「もう隠す必要もありませんからね。俺はアリーシャの側に居て彼女を守ることができればそれでいい」

「きゃー! 聞きました貴方!? かっこいい台詞! 私も一度は言われみたいですわ!」

「イザベラよ……私はそんなに頼りないか……?」

「女性は一度は男にそういうことを言われたいものですわよ!」

「そんなものか……?」


 首を傾げる陛下に、興奮して陛下の肩を叩きまくっている妃殿下。仲良く会話をする国王夫妻は、おしどり夫婦と言われるだけあって、今日も仲睦まじい様子で何よりだ。






『――今日から旅行だね! 楽しみだね!』


「――ッ!」


 ふと、妃殿下の楽しそうに話す顔がいつかのの顔と重なり、俺の胸が大きく高鳴った。

 ドクン、ドクンと不自然に大きく脈打つ心臓を思わず抑え、俺は静かに嘆息する。


 フラッシュバックしそうになる記憶を必死に抑え込みながら、胸に左手を強く押し付ける。ドクドクと脈打つ心臓に合わせるように呼吸が早くなり、顔から血の気が引いて体がふらついたが、既のところで耐えた。


 決して忘れることができないあの出来事。

 、あの事故で俺は、告白すらできなかった最愛の人を目の前で失った。


 それは、俺が『ヴェガ・ダーツェット・クローエンシュルツ』となる前の記憶。

 俺が彼女を守れなかった後悔の記憶。

 抱きしめたか細い腕。血の気を失った顔。血溜まりの中に横たわる彼女を腕に抱いたまま、天に向かってただ啼いた、無力だった自分の記憶。


 彼女を守れなかったが故に今度こそ彼女を守り抜くと誓い、守れなかった後悔と、その守り抜くという決意とともに決別するために捨てた、前世の名前の記憶。


 ――×××という男の、後悔の記憶。

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