28 緑の巫女の糾弾に第七皇女は、
悲痛な叫びを上げた少女――ナスターシャは怒りを顕にした表情で依然として私を睨めつける。
私は糾弾された言葉を噛み締め、伸ばしかけた手を引き戻し、きつく握りしめることしかできなかった。
確かに私はウォルフロム領が占領された時、何もせずに皇都でいつものように過ごしていた。
その気になればアイルメリア軍からウォルフロム領を取り返すことも可能であっただろう。前世から引き継いだ強大な魔力を待ち、精霊を使役する力を持つ私なら、それが可能であったはずだ。
私が皇都で平穏に過ごしている間にウォルフロム領の民は傷つき、領主一家は無惨に殺され、ナスターシャは
私は人の上に立ち民を守る皇族でありながら、力を持ちながら何もしなかった。彼女の言葉は最もである。責められても仕方がない。
「あっ……」
私の反応にナスターシャは一瞬ひどく動揺したように琥珀色の瞳を揺らめかせた。しかしそれはほんの刹那のことで、すぐにまた憎悪の色に染まった瞳を私に向け、言葉を重ねる。
「私は許さない! お義父様を見殺しにしたあなたを許さない――……!」
ナスターシャはそう叫ぶと、憎悪の炎をともした双眸を輝かせ――その瞳が何かに侵食されるように色を変えた。
琥珀の色を宿していたはずだったその瞳は、どす黒く変色していた。
漆黒よりも深く暗い、この世の絶望や負を詰め込んだ色。この世界で忌避される『魔』を連想させるその色。
「ナスターシャ!?」
明らかな異変に私は彼女に呼びかけるが、彼女は返事をしなかった。ナスターシャは何かに取り憑かれたようにギョロリと目を動かすと、こちらに向かって歩を進める。
「許さない……許さない……ユルサナィイ……!」
不気味なほど暗い闇を宿した黒へと変貌した瞳を爛々と輝かせ、私に近づこうとするナスターシャ。うわ言のようにそれだけを呟き、身体をふらつかせ覚束ない足取りで歩く姿はまさに異様としか言いようがない。
これは……まさか。
ナスターシャの異変に私の脳内でとある嫌な予感が脳裏をかすめた。
『――レス! 魔の気配がするよ! 気をつけて。その子、魔に取り憑かれてる!』
「やっぱりそうなの!?」
私の予感はセイルのその一言によって現実のものとなる。
魔と契約した人間ならともかく、耐性がないものが魔に取り憑かれて無事で済むはずがない。一刻も早く彼女から魔を排除しなければ。
「ジャスリート! 彼女から魔を引き剥がして!」
『分かった! おねぇちゃん!』
咄嗟の呼び掛けにすぐに反応したジャスリートは黒蝶の姿に変化するとナスターシャに向かって飛んでいく。ナスターシャは抗うように手を動かして、
「だめっ!」
私の叫びに反応したナスターシャの動きが一瞬鈍くなり、迫る手を間一髪で避けたジャスリートが彼女に近づいた。ナスターシャにジャスリートの翅が触れ合った瞬間、鈍色の光がジャスリートから発せられ、ナスターシャの身体が崩れ落ちた。
床に倒れ込んだナスターシャの身体から分離するように一匹の黒蛇が現れ、この場から逃れようと部屋の扉の方へと這っていく。
『引き剥がしたよ、おねえちゃん!』
「ありがとう!」
くるりと回転して幼女の人型に戻ったジャスリートの声に労いの言葉をかけると、私は公爵の静止を無視してよろめきながらベッドから抜け出し床で蠢いていた黒蛇を素手で掴んだ。
途端に蛇が逃れようとして私の手に絡みつき、ぬるりとしたなんともいえない感触が手に伝わって思わず鳥肌がたったが、唇をグッと噛むことで気持ち悪さに耐えた。
「くっ、この……!
魔力を込めた言葉で命令すると黒蛇は抗うように等身をくねらせて身体を硬直させる。しかしさらに睨みつけて魔力を加えると抵抗も虚しく蛇はすぐにその身を粉塵へと変えた。
サラサラと砂になって流れていく蛇だったものにはもう目もくれない。まだ私にはすることがある。ろくに魔力が回復していない身体で無理矢理魔力を行使したことで悲鳴をあげる体に鞭打ち、床に崩れ落ちたナスターシャの元へ這う這うの体で向かう。
「身体は……大丈夫そうね」
魔を無理矢理引き剥がされた反動で気絶したらしいナスターシャは見たところ異常はなく、呼吸で上下するその身体にも目立った外傷はない。
一安心してホッとしたのか、身体から一気に力が抜けた私はその場で脱力すると倒れ込み、意識を手放した。
*
自らも魔による侵食を受けて魔力を根こそぎ奪われた状態で、無理矢理ナスターシャに取り憑いていた魔の浄化を行った私はそのまま三日間眠り続けたらしい。
たっぷり休んで心底スッキリした気持ちで目が覚めると、般若のような顔をした仁王立ちのお姉様と口には優雅な笑みを浮かべながら、しかし眼は決して笑っておらず密かな怒りを灯した公爵に待ち構えられ、私は二人に挟み撃ちにされてこっぴどく叱られた。
せっかくいつになく清々しい朝を迎えたはずなのに、二人に烈火のごとく怒られ意気消沈した私はメルザに慰めてもらいながら正装に着替えた。
「それほど心配なさっておられたのですよ」
「うぅ……それは分かるけれど酷くないかしら……?」
メルランシアお姉様が珍しいことに真面目に姉らしく叱っていたかと思えば、公爵はにこやかな笑顔のままお姉様の横に立ち、決して表立っては私を叱らなかったが要所要所で毒を含んだ言葉を投げかけてくるのだ。
しかもこちらの心を的確に抉ってくるような言葉ばかり。そしてそれが分かっている癖に憎たらしく優雅な笑みを浮かべたままなのだ。時々意地悪なことをしてくるなとは常々思っていたけれど、今回のはあからさまだった。やはり公爵はドSに違いない。
そりゃあまぁ……心配をかけたのは悪かったと思ってはいるのよ? 勿論反省もしているわ。それなのにいつまでもネチネチと……。散々謝罪したのだから許してくれてもいいじゃない?
ブツブツと一人で文句を言い続ける私にメルザは「はいはい」とおざなりに返事をし、テキパキとドレスを着せる。
幼少時から私の世話をしてくれている優秀な侍女は私の扱い方も見事に心得ており、私がひとしきり愚痴を言い終える頃には全ての支度を終わらせていた。
「レスティーゼ殿下、終わりましたよ。ご心配をおかけしたのは事実なのですから、お元気になられた姿を早く披露なさってはいかがですか」
「……もう、分かったわよ。朝食をとってくるわ。ありがとね、メルザ」
ぶすくれながら返答した私に、優秀な専属侍女はクスリと笑って応えた。
「行ってらっしゃいませ。レスティーゼ殿下」
メルザに見送られライオットを伴い、食堂に姿を現した私はテーブルに着くと先に席に着いていた公爵とメルランシアお姉様に挨拶する。
「おはようございます。お姉様……それにレイヴン様」
「おはよー」
一度怒ったことで発散させたのかいつものようにヒラヒラと手を振って明るく挨拶を返してくる二の姉様。
「おはようございます、レスティーゼ殿下。今日は一段と麗しいお姿だ。私の大事な婚約者が元気になってとても嬉しく思います」
今朝のことを根に持ってとってつけたように
黄金の瞳を柔らかく蕩かせ甘い声音で私の名前を呼び、所構わず気障な言葉を言う辺り本当に公爵はいい根性をしている。
絶対私が怒っていると察していて、わざと大仰にこちらを褒めているのだと分かっているはずなのに、世辞の言葉が嬉しくてついつい頬を緩めてしまうのは惚れた弱みと言うやつだろうか。
これが大人の余裕なのね、悔しい! でも嬉しいのも事実だから複雑だわ!
キリキリと歯噛みしつつ席に座り、運ばれてくる朝食に意識を向けたところでテーブルの隅にもうひとつ人影があることに気づいた。
「あの……」
「おはようございます、ナスターシャ様。無事だったようで何よりですわ」
「レスティーゼ殿下……あの、ごめんなさい……私、なんであんな酷いことを言ってしまったのか……」
ナスターシャは俯いたまま、震える声音で謝罪してきた。
やはりあれはナスターシャの意図することではなかったのか。私は密かに嘆息する。あの時のナスターシャは普通ではなかった。魔に侵食され、暴走しかけていたからそうではないかと思っていたのだ。
「いいのですよ、ナスターシャ様。謝罪すべきは私の方です」
顔を伏せて肩を震わせているナスターシャに優しく声をかけると、ナスターシャは顔を伏せたまま、涙声でひたすら謝罪を続ける。私は静かに首を振ると、席を立ちナスターシャの元へ歩み寄った。
「あなたが謝罪する必要はありません。私は民を守るべき皇族でありながら……ウォルフロム領で何が起きていたかを知りながら、何もしなかった。何もできなかった。私はヘルゼンブールの皇族で、強大な魔力を保持しています。ですが決して万能ではありません。私はまだ十五歳の世間知らずの小娘ですが、それでも皇族の一員です。だから私はここにその役目を果たしに来ました。ウォルフロム卿を助けることはできなかったけれど、ここをかつてのウォルフロム領に負けないくらいの領地にしたい。あなたのお義父様の遺志を継ぎ、発展させたい」
力がないことはもどかしい。力がありながら、それを思うように使えないのは悔しい。
エレスメイラだった時も、そしてレスティーゼである今も。
私は民のための国を作っていきたい。
最初は成行きで決まったミッドヴェルン領への同行。しかし今は心の底からこの領地を発展させたいと思った。
ここをかつての、いやそれ以上に活気のある領地にしたいと思った。
だからこそ、今の私にできる最大限のことを。
「そのために、あなたに力を貸して頂きたいのです。ナスターシャ様。私はもう無力なのは嫌です。誰かを目の前で失うのも嫌です。魔に暴走させられていたとはいえ、あれはあなたの紛れもない本音でしょう? 私はあなたに償いをしたい。ウォルフロム卿を助けられなかったからこそ、あなただけは救いたい。――あなたにかかってしまった
呪詛という言葉に肩をビクリと震わせるナスターシャ。
私はその肩を両手でゆっくりと包み込むと、その場にしゃがみこみ、ナスターシャに目線を合わせた。
「その目を治すためにも、地の精霊グウェンダルクの行方を探す必要があるのです。協力してくださいますか? ――ナスターシャ様」
しっかりとナスターシャを見据えたまま問いかけると、そこで初めてナスターシャがゆっくりと顔を上げた。
ナスターシャの両目は琥珀色ではなく――真っ黒に染まったままだった。魔に侵食され、暴走した証。私を呪い殺そうとして失敗した結果、彼女は呪詛返しを受けてしまったのだ。
ナスターシャは数分の逡巡の後、覚悟を決めたように唇を噛むと頷いた。
「はい」
しっかりした返事に私は笑顔になる。
ここから反撃開始だ。
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