19 第七皇女と騎士の誓い

真摯な光を宿した公爵の瞳にギクリと身を強ばらせる。何故、泣いていたことがバレているのだろう。

隠していたかったのにあっさりバレていたことに驚き、身を引こうとするが公爵にしっかりと手を掴まれていて身動きが取れない。



「な、泣いてなんか、いません……」

「頬に泣いた跡がありますが?それに先程あなたの精霊が話していたことは?」

「あ」



そう言えば、セイルとの会話は公爵にもばっちり聞かれていたのだった。うっかりしていた。全然バレているではないか、私の馬鹿。

公爵には泣いていたことは気づかれたくなかったのに。



「私が遅れたことは申し訳ないと思っております。ですが、あなたはそれだけでは泣かない方でしょう?……話して下さいませんか?私では、頼りになりませんか?」

「あ……」



こちらに向けられる黄金の双眸はただ真摯で。私をただひたすら案じているのだと理解できた。

だからだろうか。公爵は信用できる人物だと思うことができた。彼は、私の味方になってくれると。そう思うことができた。彼なら、真剣に私の話を聞いてくれると。だから。



「……聞いてくれますか?」



私を見つめる公爵を見つめ返すと、黒髪の青年は嬉しそうに黄金の瞳を細めて頷いた。



「ええ」









ヘルゼンブール帝国の第七皇女で「帝国の白雪姫」である私は国内最強の魔力持ち。

私が「前世持ち」であることは一定の人に知られている。


けれど、私の前世について知っている人物は少ない。

ひとつは、「前世持ち」は無闇やたらとそれを公開したがらないからである。

並外れた魔力と前世より持つ知識はいつの時代においても強力な武器となる。当然、その力を狙うものは少なくない。

自分の身を守る為にも当然の対処と言えるだろう。

メルランシアお姉様のように大っぴらに公開している方が珍しいのである。


それも私が前世を明かさない理由の一つであるが、一番大きな理由は私自身が「エレスメイラ」であった頃の記憶をあまり思い出したくないからだ。

エレスメイラの最期はもちろん、エレスメイラでいた頃は楽しいと言える記憶が殆ど無かった。


母親である側妃と共に寂れた離宮に追いやられ、その存在をないもののように扱われた日々。

母親が亡くなってからは正妃の指示で日々行われる嫌がらせに耐える日々。

父である王は私の存在などとっくに忘れていたようで助けてくれる人物などいなかった。

まだ小さく、非力な私は味方などいなかった。誰も頼れない状況でただ耐えて生き抜くしかなかった。


そんな時に離宮でボロ雑巾のような服をまとい、空腹でろくに動けなかった私にパンを与えてくれた人物がいた。その青年は、王宮で迷っている時にたまたま離宮に入り込み、そこで倒れていた私を見つけたらしい。

彼こそのちに宰相となり、私の婚約者となるラキウス・ベルトナット。

今思い返せば、あれが唯一私にとって「幸せ」と言えた記憶だろう。


彼はその日を境に定期的に私をこっそり訪ねては食料を持ち込み、様々な話をしてくれた。

離宮でひっそり暮らしていた私にとって彼の話は興味深く、食い入るように聞き入った。

やがて、彼が来る日が楽しみになった。


離宮に追いやられた側妃の子。正妃に疎まれた子。ラキウスは薄々私の正体に勘づいていただろうに詮索をすることも無く、ただ私に様々な話をしてくれた。

そして正妃に「醜い、汚らわしい娘」と蔑まれた私のことを「綺麗な黄金の髪と紫水晶の瞳を持った可愛い天使だ」と言ってくれた。

最初は憧れだったのかもしれない。けれど、それが恋心に変わるのは大して時間がかからなかった。

やがてラキウスと恋仲になり、精霊を操る力を自在に使えるようになった私はラキウス協力の元、這い上がるために努力した。


正妃を断罪し、父である国王に私の実力を認めさせ、ついには王位継承権を得た。

そして15歳の誕生日。私は王になるはずだった。

しかしその日、私は最も信頼し愛した男に裏切られた。



「エレスメイラとして死んで、レスティーゼとして生まれ変わって。私は今度こそ幸せになろうと思い、努力をしてきたつもりです。でも」



現実は残酷だった。

モースと婚約し、晴れて幸せになれると思っていたのに、あの日。

私はまたしても婚約者に裏切られた。

またか。またなのか。絶望し、この運命を与えた神を恨んだ。

そして、早々に今世を諦めた。

今世が駄目なら来世で。


だからせめて、裏切られた怒りと悲しみを晴らすために。

モースを断罪した。



「モースを断罪することを決意して、準備して。私はそれを決行しました」



結果、クロムウェル公爵家は取り潰し。ジークの処刑は確定だろうし、モースも無事ではいられない。私の「仕返し」は成功した。



「目的は果たしました。けれど、私はまた一人になった」



私は何故、繰り返すのか。

同じことを繰り返すのか。何故。



「何故私はエレスメイラの記憶を持って生まれたのですか。何故、前世を覚えているのですか?私は覚えていたくなかったのに……」



そうすれば、こんなに悲しくなることは無かった。

こんなにも苦しくなることは無かった。

同じことを繰り返しても、こんなに胸が痛くなることは無かった。

幸せになりたかっただけなのに。どうして。



「何故私は……愛した人に、二度も裏切られなければならなかったのですか!? 何故私は一人にならなければならないのですか!?」



気づくと私はまた泣いていた。

何故。何故。その疑問ばかりが頭に浮かんで。

悲しみと寂しさで胸の痛みは止まらず。

一人は、寂しい。嫌だ。嫌だ。



「もう一人は嫌なんです……! もう、誰にも……!」



誰にも裏切られたくない。愛した人に、裏切られるのは辛い。胸が痛い。苦しい。悲しい。

瞬きをすれば、新たな雫が零れ落ちる。

それを止めることもできず、私はこちらを静かに見つめる公爵に叫んだ。



「怖かったんです。公爵が来てくれなくて……また私は、裏切られたんじゃないかと……!」



また、裏切られるんじゃないか。

私を好きだと言ってくれた公爵。またいらぬ期待を抱いて、裏切られて、捨てられるのかと。

また一人にされるのではないかと。



「お願いです……。もう私を裏切らないで……。私を好きだと言うのなら、一人にしないで下さい……!」



もう同じ思いはしたくない。二度目までは何とか耐えられたが、もうこれ以上は耐えられない。

涙を流しながら懇願しひたすら公爵に叫ぶ。

涙で視界が潤んで、公爵の表情は分からない。

もしかしたら迷惑がっているかもしれない。突然こんなことを言われて戸惑っているかもしるない。


けれど、言わずにはいられない。

もう嫌だ。もうこんな思いはしたくない。こんな胸が痛いだけの思いは、たくさんだ。



「もう、一人は嫌です……」



呟くように言って、私はまた涙を流す。

溢れた雫が零れそうになり--

しかしそれは、公爵の手によって拭われた。



「イーゼルベルト公爵……?」



公爵を見上げようとしたところで--

私の体は黒い服を着た大柄な体躯に収められた。

肩口に顔が収まり、背中には手が回される。

抱きしめられているのだと、その時に気づいた。



「公爵……?」

「……ません」

「え?」



掠れるように呟かれた声は上手く聞こえず、困惑の返答を返す。



「絶対に、もう二度とあなたを一人にはしません」

「!」



ぎゅう、と。腕に力を込め抱きしめられる。

苦しくないように配慮されているが、力強い感触が決して私を離さないと言う意思を感じさせる。



「誓います。私は絶対にあなたを裏切らないし、一人にはさせません」

「公爵……」

「絶対にです」



重く決意するように、誓いを立てる騎士のように。

低く紡がれる言葉は誠意に溢れていて。

公爵に抱きしめられたまま、私は安堵の息を漏らす。

何故か、公爵の言葉は信じられた。

この人は私を大事にしてくれる。思ってくれる。

この人なら、信じられる。



「絶対に、ですよ?」

「はい。騎士の誓いですから。殿下は私が幸せにします」

「……はい」



プロポーズとも取れる言葉に静かな笑みを零しつつ、応える。



「……笑いましたね?私は真剣なんですが?」

「……ふふ、ごめんなさい」



当然のように守ると言ってくれたその言葉が嬉しかった。

絶対に一人にはしない。その言葉が嬉しくて。

この人なら大丈夫だと、自然と思えた。



「真剣なんですよ、は。なぜ笑うんですか」

「ふふ、なんでもありません」



私よりは歳上だというのに、ぶすくれたように頬を膨らませて子供のような反応を見せる公爵がおかしくて仕方ない。

そのまま暫くクスクスと笑い続けると、公爵にいきなり抱き上げられる。



「いつまでも笑う殿下にはお仕置きです」

「きゃあ!」



視界が高くなり、慌てて公爵に抱きつく。



「何するんですか!」

「いつまでも笑うからですよ」

「公爵の意地悪!」

「--そうやって、あなたは笑っていてください」

「え?」



不意に呟かれた言葉に、聞き返す。



「あなたには笑顔が一番似合います。俺はあなたの笑顔が好きです」



そう言って、公爵は静かに微笑んだ。

いつもとは違う見守るような雰囲気の笑みに思わずドキッとする。

不意打ちで好きですと言われ、どう反応していいのか分からない。

慌てふためいている所に、公爵が迫ってくる。



「レスティーゼ殿下」



低く艷めくように耳元で囁かれた声は甘く。

その声を聞いただけで体から力が抜けてしまった。

一瞬にして頬が赤くなる。

公爵は私の反応に満足気な表情で、顔を近づけてくる。



「殿下、キスしてもいいですか?」

「え、あ……」

「キスしたいです」



耳元に甘く囁くように呟かれて、心臓が持たなくなった。



「は、はい……」



公爵に抱きすくめられた状態で顔を真っ赤にする。

あのいつもの甘い笑みを浮かべた公爵がさらに顔を近づけてくる。

私は恥ずかしさに耐えきれず、瞼を閉じた。



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