20 第七皇女は困惑する
目を閉じても心臓の高鳴りまではどうすることもできない。バクバクと爆音を立てて全身に血が巡っているし、心臓の役割的には絶好調かもしれない。
オマケに頬は真っ赤になっている。
目を閉じたままでも公爵の息遣いや気配で何となく様子がわかってしまう。
どうしようもなく緊張して、手に汗が浮かんできた。
「殿下……」
とてつもない色気を帯びた声が耳元で囁かれ、ぞわりと肌が粟立った。
何、なんなのこの色気の塊は。色気だけで人を孕ませられるんじゃないのかこの人。こんな声を耳元で囁かれて無事なわけがない。
焦りと羞恥とその他諸々で体がブルブルと震える。
腕を手繰り寄せられ、厚い胸板に自分の体を預ける。緊張が今までにないほど高まり、ぎゅっと瞑った目に力を込める。いよいよか。
恥ずかしさで今なら死ねる--と思うもいつまで立っても口付けは降りてこない。
「……?」
疑問に思って目を開けると目の前の公爵は困ったように眉を寄せて苦笑していた。
「そこまで緊張されなくても……」
「だ、だって……」
「可愛いお方だ。顔が真っ赤ですよ?」
「か、からかわないでください!」
「すみません、つい」
こっちは始めてて緊張しているというのに、と憤慨すると公爵は柔らかく微笑み、さっと屈み込むと私の額にキスを落とした。
軽いリップ音の後に、唇が軽く触れる感触。
「え?」
これだけ?
戸惑って公爵を見上げるとまた公爵は困ったように笑っている。
「あなたは可愛らしすぎる。本当はキスするつもりはなかったのに、あまりにも可愛すぎて。だから額で我慢します」
「我慢……?」
本当にキスするつもりはなかったのか。なんだ。
悲しいような、安心したようなよく分からない気持ちになって私は目線を落とした。
私の反応に今度はおかしくなったのか、公爵は口元を抑えて笑っている。
笑ったり困ったり、忙しい人ね。
「殿下は本当に可愛らしいですね……」
「何がですか?」
「いえ……」
訳が分からず首を傾げるも、公爵はなんでもないというように首を振るので分からずじまいだった。
会話が途切れ、あたりを静寂が包む。
人気のない夜の庭は、そこにいるはずのない人々の声を風に乗せて運んできた。
「そこでキスを躊躇うとか……公爵も意気地なしね」
「二人のペースというものがあるのだろう、メル」
『押せばいけるんじゃないかなぁ?』
「ああー、妄想がはかどるわぁ……」
「なんじゃつまらんなぁ。もう少しイチャイチャしてくれんと楽しくないじゃないか」
「あらまぁ、初々しくて可愛いらしいじゃないですか、あなた」
「公爵……僕の可愛い妹に何を……」
「グレイヴ、剣を握るな」
「グレイヴ、シスコン?」
「まあ可愛い妹の成長と思えば。ね、兄様?」
「さすがにまだ15歳に大っぴらに手は出せねぇよなぁ……」
『公爵って案外むっつりなのかなー』
「……」
ガッツリ聞き覚えのある声達が聞こえてきて、公爵がでてきたあたりの薔薇の茂みを風魔術で激しく揺らす。
途端、その場所から悲鳴や怒声が上がった。
ぎゃあぎゃあ喚く声を全力でスルーして私は茂みの傍まですたすたと歩く。
そのまま声を張り上げた。
「何してるんですの!!夜会はどうしたんですか!!」
「あ、バレた」
メルランシアお姉様がポツリと呟く。
茂みからわらわらと出てきたのはあろうことか我らがヘルゼンブール皇族一家とプラス加護精霊だった。
セリフ順にいうと、
メルランシアお姉様
レオノアール様
加護精霊スイレン
クレアマリーお姉様
お父様
お母様
グレイヴお兄様
アンゼリカお姉様
アンネリーゼお姉様
クレイスお兄様
クラウディオお兄様
私の加護精霊セイルルート
である。
しかも皆勢揃いである。
というか、クレアマリーお姉様は結局夜会に参加してるんですね!!
いや、そんなことはどうでもいい。
この人たちは何をしているんだ。何を覗いているんだ。
そしてセイルは城に帰ったんじゃないのか、帰るふりまでしたくせに結局覗くのか。
あとグレイヴお兄様、意外にシスコンなんですね。私初めて知りました。
違う、そうじゃない! ツッコミが追いつかない!
「お父様にお母様にお姉様にお兄様方!! あなた達は一応主催者側でしょう! 主催が全員席を離れてどうするのですか! 」
私の全力のツッコミに皆を代表してお父様が答える。
「いやぁ、面白そうだったから……」
「面白がらないでください!!」
子どもか! もう、つっこむのも面倒くさい!!
誰かまともな神経の人はいないのか。夜会には宰相様とか護衛中の近衛騎士とか招待された側近とかいただろうに。なんで止めてくれなかったのか。
お父様達の自由さに思わず頭を抱えてしまう。
「今すぐ戻ってください!主催がいない夜会なんて前代未聞ですから!!」
「えー、楽しそうだったのに……」
「楽しいも何もない! 少しは仕事してください皇帝でしょ!!」
戻るのをしぶるお父様に敬語も忘れてつっこむ。
お父様はえー、と呟くが最終的にお母様に促されて城の大広間へと戻っていく。
お姉様やお兄様方もお父様に続いて戻っていった。
何やらグレイヴお兄様が公爵の方を憤怒の形相で見ていたが、当の本人は何食わぬ涼しい顔をしていた。
公爵はなかなか図太い神経をしているようだ。
静寂が戻った庭園で私は改めて公爵と向き直る。
なんだかんだで色々と疲れてしまった。
公爵に皇族代表として代わりに謝罪する。
「お父様達がごめんなさい。公爵」
「いえいえ、本当に面白い方々です。グレイヴ殿下には嫌われてしまったようですけどね」
「グレイヴお兄様のことは気にしないでください。そのうち何とかしますから」
「仲良くなるのは難しそうですね」
少し残念そうに肩を落とす公爵。
しかし次の瞬間には立ち直り、私に向かって右手を差し伸べてくる。
「冷えてきましたし、そろそろ私達も戻りましょう」
確かに、少し寒くなってきた。私はニッコリ微笑んで公爵の手に自分のそれを重ねた。
「はい。エスコートお願いします」
今度は公爵と会場に戻れることが単純に嬉しかった。
公爵と手を取り合い、大広間に戻ろうとして--。
ふと、視界の端に黒い蝶が舞っているのが見えた。
先程から公爵の周りを漂うように舞う黒い蝶。
夜闇に混じって気づかなかったが、弱々しく羽根を動かして元気がないように見える。
空いている方の手を差し出すと、蝶はよろめきながらも私の指に止まった。随分と弱っているが、どうしてこんなに元気がないのか。
しかもこの蝶、微力ながら魔力を持っている。ということは--
『この子、精霊だね』
セイルが銀鳥の姿で飛んでくると私の肩に止まる。
やはりか。自分の憶測が正しかったらしい。
公爵も私の手元を興味深けにのぞき込む。
「でもこの子小さくて羽根が黒いわ。ということは……」
『生まれたばかりの子だね。魔力が足りなくて「魔」に堕ちかけてる』
精霊と魔は表裏一体。魔は精霊のなり損ないだ。
精霊は生まれた時に十分に魔力を吸収できないとたちまち体が形を保てず黒い塊になり「魔」に堕ちてしまう。
この蝶の精霊は魔力を上手く吸収できず、魔になりかけているのだ。
公爵の周りを漂うように飛んでいたのは、公爵の持つ黒髪の魔の色に惹かれたからかもしれない。
「このままじゃこの子、危ないわ。助けなきゃ」
『だいぶ魔の侵食が進んでるよ。レスの魔力を与えるだけじゃ足りないかも』
「どうしよう……」
魔になりかけている原因は魔力が足りないから。
なら魔力をあげればよいのだが、この精霊の場合、侵食がかなり進んでいる。この状態で私の魔力をあげるのは危険すぎる。火に油を注ぐようなものだ。
弱っている所に魔力をあげるのは逆効果なのである。
早く処置しなければこの精霊は魔になってしまう。
いい考えが浮かばず焦っていると、セイルが公爵の方を見ていた。何が案が浮かんだのか。
『こーしゃく様って確か癒しの精霊がついてるよね?』
「ああ、いるが」
『こーしゃく様が精霊を癒しつつ、2人で魔力を慎重に与えれば間に合うかも』
セイルの名案に私はパチンと指を鳴らす。
「それだわ! イーゼルベルト公爵、協力お願いします」
「分かりました」
公爵が癒しの力を使いつつ、2人で慎重に私の指に止まり弱々しく羽根を上下させている蝶--精霊に魔力を与えていく。
最初は弱々しかった精霊は魔力を吸収するに従って元気を取り戻してゆく。
黒かった羽根も銀色の輝きを取り戻した。
『もう大丈夫だと思うよ。ほら見て』
セイルの声に私と公爵は魔力を与えるのをやめ、精霊を見つめる。
精霊は私の指から離れると元気に飛び立ち、そして。
その場でくるりと一回転すると、人型に変化する。
黒銀、とでも言うべき一見黒に見えるが光の加減によっては銀にも見える不思議な髪の色。
月夜をそのまま移したかのような黄金の瞳を持った5歳ほどの少女の姿に変化した。
『魔に取り込まれるどころか、魔の力を取り込んだ精霊になっちゃったね。悪いものではないけど……この子、こーしゃく様とレスの魔力で高位精霊になっちゃってるよ』
「人型になったな……」
「ぶ、無事ならいいんじゃないかしら!!」
まだ幼いとはいえ等身大の少女に変化できた時点でかなり高位の精霊になってしまったと見える。
ま、まぁ助かったんだから問題ないわよね。ね!
黒銀の髪の少女はととと、とおぼつかない足取りでこちらに近づいてくると公爵の足元に抱きつく。
『ありがとう!黒髪のこうしゃくさまと精霊の愛し子さま!おかげで無事にうまれることができました!』
「よかったわ。無事に生まれてくれて」
『はい!』
しゃがんで少女になった精霊に目線を合わせると、精霊は公爵はに抱きついたまま嬉しそうに頷いた。
どうやら公爵に懐いたらしい。
公爵は困惑したように少女を見下ろしている。
「公爵、どうやらこの子はあなたに懐いているようですが」
「そうなのですか?」
『せっかく懐いてるんだから契約すれば?この子の存在も安定すると思うよ?』
戸惑ったように声を上げる公爵。
似た色合いを纏った時点でこの子は公爵の眷属になったも同然である。
セイルが契約するように促すと、少女も同意する。
『名前ください!』
無邪気に笑う少女の姿をした精霊に何やら思案している様子の公爵。
そして恐る恐る、言った調子で精霊の頭を撫でた。
「では、ジャスリート、と」
『ジャスリート!それが私の名前!』
公爵が名付けた瞬間、精霊と公爵を一瞬光が覆う。
契約が完了した証拠だ。これでこの子は、公爵の加護精霊となった。
それにしても『ジャスリート』とは。
「無垢なもの」という意味をさす言葉。
公爵もなかなかなネーミングセンスだなぁ、とニヤニヤしていると。
「あ……」
ふと違和感に気づいた。
確かにこの言葉は存在する。だが、この「ジャスリート」という言葉は。
今は亡き王国の言葉なのだ。それも、ブランテ王国の言葉。
ブランテ王国は今の時代からするととても古い歴史で、文献などにも載っていないのだ。それなのに何故。
ただ困惑し、私は立ち尽くした。
(--何故公爵が、その言葉を知っているの!?)
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