18 月下の庭で第七皇女は再会を果たし、

「殿下……?」

「え……?」



突如現れたイーゼルベルト公爵に私はしばし固まる。

驚きのあまり瞬きをすればぱたた……と粒となった雫が頬を伝い落ちて、ドレスに新たなシミをつくる。


確かに会いたいと願い、一人の寂しさから公爵に早く来て欲しいと思ってはいた。いたのだが。

なんの脈絡も無く出現されると驚いてしまう。


さらに、今私は泣いていて化粧も落ちてしまったのでかなり残念なことになっているのでは。

確かに会いたいと願いはしたが、せめて立て直す猶予くらいは欲しかった。

会えて嬉しいはずなのに、タイミングが悪い。

嬉しいような悲しいような複雑な気分になりつつ、私はハンカチを取り出すと頬の涙のあとをそっと拭う。化粧が落ちてしまったのは仕方が無いけれど、せめて泣いていたことはバレたくなかった。


公爵は昼間の軍服ではなく、きちんとした貴族の正装だった。色はやはり黒いが、服装が違うだけで随分と印象が変わる。

黒髪は整えられ後ろに流れており、精悍な相貌が際立って格好よく見える。

黄金の双眸が私に向くと表情が柔らかな甘さを含んだ笑みの形に変わった。

あの甘やかな笑みを向けられると私の頬が熱を持ち始め、心臓がドクンと脈打つ。


公爵はこちらに向かって歩いてくると、東屋の前でその歩みを止めた。

そして黄金の瞳を申し訳なさそうに細めると、頭を下げて謝罪する。



「殿下。遅くなってしまい申し訳ありません。思ったより引き継ぎの案件が多く時間がかかってしまいました」



やはりそれに時間がかかっていたのか。

しゃくりあげたせいで若干涙声になってしまっているのを気にしつつ、当たり障りのない返答をする。



「……いえ、急なことでしたもの。イーゼルベルト前公爵は承諾して下さったのですか?」

「はい。手柄を我がことのように喜んでくれました。領地の運営の件も快く引き受けてくれましたよ。現役を退いた父上に頼むのは心苦しかったのですが、私に余裕ができるまでもうしばらく頑張ってもらいます」

「そうですか。それはよかった」



そこで会話が途切れた。

公爵はただ穏やかな笑みをこちらに向けて私を見つめるのみ。

まるで愛おしい恋人に向けられるような視線に私の頬の熱は上がるばかり。

なぜ公爵にこの笑みを向けられるとこんなに反応してしまうのかしら。戸惑いながらも、嬉しいと思ってしまうのは何故なのか。

沈黙したまま見つめられ続けられるという構図に私の心臓が耐えきれず、思いついた話題を口にする。



「あ、あの、何故私がここにいると分かったんですか?というか、どうやってここへ?」



この東屋は普段は魔術で隠されていて、決まった道順を通らなければ辿り着けない。

何故わかったのだろうという純粋な疑問も込めて尋ねると、こちらの急な話題振りに疑問を抱くことなく公爵は答える。



「ああ、それは--」

『ボクが案内したんだよ!』



公爵の言葉を引き継ぐように言葉を紡いだのは聞き覚えのある弾んだ調子の声。

月夜に翼をきらめかせた銀の鳥が、私の肩に止まる。



「セイル!」

『レスから悲しい気持ちが伝わってきたから。元気になってもらうためにこーしゃく様を連れてきたんだよ!』

「そうだったの……」



えっへん、と鳥の姿で器用に胸をはる銀鳥。

加護精霊パートナーは契約者の感情を感じ取ることができるらしく、私の悲しくて寂しいという感情はセイルに筒抜けだったらしい。

ふわふわした頭を私の頬に擦り付けてキュルル、と甘えたように鳴くセイル。

柔らかな毛並みを押し付けて褒めて褒めて!と言わんばかりに甘えてくる。



『レスに涙は似合わないよ。笑っててくれなきゃボクが困る。ボクは笑ってるレスが大好きなんだ。少しは元気出た?』

「ええ、元気が出たわ。ありがとうセイル」



感謝の気持ちを込めてセイルの頭を撫でてやると銀鳥は満足気にひと鳴きする。



『そっか、ならよかった。役目は果たしたし、ボクはお邪魔だからお暇するね!二人の時間を邪魔しちゃいけないからね!』

「え?」



バサリと大きな翼をはためかせ、肩から飛び立つセイル。

思わぬ言葉に固まった私にセイルは器用にウインクしてみせた。



『だって今のレス、とっても頬が赤くて嬉しそうな顔してるよ?そんな表情のレス、ボク今まで見たことないもん。メル風に言うなら「恋してる女のコの顔」かな。ほら、ボク邪魔じゃん』

「え……」



また何かあったら呼んでねー、とセイルは一方的に告げて城へと飛び去って行った。


(嬉しそうな顔してるの?私……)


自分で自分の表情が分からず困惑したまま頬に手を当てる。

夜風を浴びて幾分か冷えた手のひらに、火照った頬の熱さが感じられた。

確かに会いたいと願い、公爵が目の前に現れた時はとても驚いたが同時に安堵し、嬉しかった。

公爵は私を一人にはしなかった。そしていつもあの柔らかな笑みを向けてくれる。


私は、公爵の事をどう思ってるんだろう……。

自分の思いが分からず戸惑ってしまう。

そうして思考に囚われていた私は目の前に公爵が迫っていたことにも気づいていなかった。



「--殿下」

「!」



すぐ近くで響いた低い声にビクリと肩を揺らす。

いつの間にか眼前に公爵が立っていた。

息がかかりそうなほどの距離にある綺麗な黄金の瞳に何も考えられなくなり、魅入られる。

公爵はベンチに座った私の前に膝をつくとこちらに向かって右手を伸ばしてくる。

そのまま右手は私の頬を撫でるようになぞる。



「あ……」



手袋をしていても分かる骨の造りの大きな手が触れそうで触れないギリギリの距離で頬を撫で、小さく声が漏れる。

そのまま下に滑り落ちた手は、優しく私の右手を捕らえる。

強くはないがしっかりと離さないように握られた手。



「公爵……?」



不思議に思って問いかけるも公爵は答えない。

疑問ばかりが頭に浮かぶ中、不意に真剣な光を瞳に宿して今度は逆に公爵に問いかけられた。



「殿下は……なぜ泣いておられたのですか?」

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