ネコ様*ネコ様視点(長いです

*ネトーブリアン様(ネコ様)視点



 教会の中は、やはりというべきか、ボロボロでございました。

 綺麗に並べられていたであろう長椅子のいくつかは足が折れ、腐り落ちているものもございます。ただ、花園の中にあるからか、花の甘い香りが漂っているようです。

 ヒビの入ったスタンドガラスからは木漏れ日が如く陽光が差し込み、光沢のある石造りの床は、それらをキラキラと反射させております。

 ……はて、少しばかり違和感です。

 埃だらけだと思っておりましたが、そうではないのです。むしろ、埃は全くと行っていいほど舞ってもおりませんし、床には塵ひとつ見当たりません……、多少の埃くささはあるものの、花の香りがそれを上書きしています。

 それに、教会の象徴である、前方中央にそびえ立つルリア様の像は、まるで新品のように白く輝いておりました。その手に握られている赤い水晶が、とても印象的でしょうか。


 そうして教会を見渡すうちに、見つかるものが、一つ……、いえ、一人。

 ハムペルトの言っていた、『旦那様だんなさま』でしょうか。紳士服に身を包み、教会の前方の椅子へと座る青年らしき後ろ姿が見えました。

 油で固められた光沢のある茶色の短い髪は、所々、ピンピンと跳ねております。あまりおしゃれに慣れていない上、普段から良い髪石鹸を使っていないことが伺えましょう。

 その青年は、よく見れば、小さく穴の空いた肩掛けカバンを肩にかけています。まっすぐとルリア様の方を見つめており、横顔すらも見えません。しかしながら、私(わたくし)は自然と、その名前を口にします。

 長くはありません。しかし、短くもない間、共に過ごした、同い年ほどの、青年の名を。


「カイゼル?」


「……ネトーブリアン様」


 やはり、カイゼルです。振り返らずとも、その声はカイゼルに間違いありません。

 カイゼルは私の声に反応して、振り返ります。目元に浮かぶ隈が気になりますが、確かに、カイゼルでございました。身なりを整えている分、多少不恰好ではございますが、立派な紳士でこざいます。

 ただ、少しばかり、遠い距離。それでも、静寂に包まれる教会内では、声がよく響きます。


「カイゼルですの? ここに私を呼んだのは」


「急な呼び出しですみません。けれど、今日しかないと思ったんです」


「……なぜ、こんな場所に?」


「ついこの間、仕事中に見つけたのを思い出して、ここが一番ぴったりだと、思いました。人のあまり来ない、この教会が」


 何に、という疑問が生まれます。

 ぼろぼろの教会、しかし、妙に綺麗な室内は一体なににぴったりなのかと。

 疑問を持ちながらも、それを口にはしません。カイゼルが続ける気配を感じたからです。


「俺、村で婚約者に浮気されて、王都まで逃げてきたんです」


 ずきり、と。

 捨てたはずのものが、私に穴を開けながら、中にずるりと入り込むような感覚を覚えます。そうして、その穴は、心の臓の近く……、小さく、しかし確かに、痛みます。

 カイゼルは「ネトーブリアン様には、まだ言っていませんでしたね」と続けます。


「昔から好きな娘(こ)でした。初恋です。15歳になって、成人して、プロポーズを申し込みました。答えは、イエスでした」


「……急にどうしましたの?」


 カイゼルが口を開くたび、だんだんとその痛みは大きくなっていくものですから、私はついつい、言葉尻を強くしてしまいます。これ以上は、あまり話して欲しくないという心情でしょうか。

 理由はわかりませんが、痛いものは、痛いのです。


「ネトーブリアン様のことは知っているのに、俺だけ教えてないなんて、不公平だな、と思いまして」


 律儀(りちぎ)、と思いました。『読心』は、人の心を覗きますから、そんな場面は数多くあるでしょう。むしろ、そんなことばかりだと思います。

 その上、私は『読心』してもらわなければ、コミュニケーションの取れない体となっておりました。そうなれば、私の心模様など、ダダ漏れでございます。

 特に隠す必要も、隠す意味もない状況でしたので、そのままぼろぼろと聞かせてしまいましたけれども。

 心を読まれるからなんだ、という心持ちでした。むしろ、話さないで良い分、楽とさえ感じていた次第です。


「私は気にしていませんわよ?」


「俺が気にするんです」


 やっぱり、律儀。

 カイゼルは「続けますね」と、一言。


「俺が『読心』スキルを手に入れた時、ちょっと悪戯心が疼いて、その婚約者の心を覗いてしまったんです。そうしたら、それはもう、俺に対する罵倒、侮辱の嵐でした。逆に、間男に対しては、賞賛です」


 そう語ったカイゼルには、時々、視線を恥ずかしそうに下に向けたり、手を頭にやったりと、可愛らしい動作が見受けられます。

 ――恥ずかしいのなら、話さなければいいのに。

 そう思いはしますが、しかし、カイゼルには後悔やら恨み辛みといった感情は見えません。まるで思い出でも話すかのような雰囲気です。

 自然、私は止める機会を失って、聞き手に回ることとなりました。


「だから、『読心』スキルを利用して、王都に逃げました。そうまでしても、『読心』しなければ、人を真っ直ぐに見られない生活でした。本当に、空虚だったと、今では思います」


「怖がりですのね」


「怖がりんです」


「今は違うと?」


「貴女のおかげですよ」


 私の?

 はて、私が何かしたでしょうか。思い出してみても、ちっともわかりません。

 ご飯をねだって、ゴロゴロとしていた記憶ばかりでございます。むしろ、煩わしく思われているのではないのかと、不安に思うこともありました。


「貴女が、俺の部屋でゴロゴロしてくれたからです」


 そんな疑問が顔に出ていたのか、カイゼルは答えるように言います。

 それでも、わかりませんが。むしろ、余計にわからなくなりました。


「貴女の動作の一々を、可愛らしく思っていました。時々心から漏れ出る仕様(しょう)もない不満が、俺の不安を消してくれました」


 仕様もないとは、失礼な。


「……さっきから、カイゼルが何をいっているのか、わかりませんわ」


 カイゼルは「すみません」と、苦笑します。


「理解しにくいかな、とは思います。だって、これは理屈もなにもない、感情の話ですから。でも、これが俺の本心で、俺の感情です……、申し訳ありませんが、もう少し、付き合ってください」


「……正午までですわよ。午後には、パーティーがありますから」


「ありがとうございます」


 実際のところ。

 パーティーのためのお化粧直しや、ドレスの直しもしなくてはいけませんので、正午前までには戻らなければならないのですが……、


『後悔しますよ』


 ハムペルトの言葉が頭の中で再生され、足が後ろへと振り返るのとを拒否しているかのように、動かせません。


「昨夜、以前住んでいたアパートに行ったんです。そうしたら、手紙が届いていました。両親からの手紙です」


 ずきん。


「中には、俺の元婚約者の浮気が村長にばれて、間男と一緒に姿を消した、なんてありました。でも、俺は悲しくも、嬉しくもならず、何の感慨も抱かなかったんです」


 ずきん。


「可笑しいですよね、元婚約者だというのに」


 そう語ったカイゼルは、ははは、と特に気にした様子もなく、自嘲的に笑いました。

 ……もう、聞きたくもありませんでした。

 カイゼルの昔のことなど、耳にしたくもございません。聞けば聞くほど、胸が苦しいのでございます。

 ――他の女性と仲睦まじく話しているカイゼルを想像するだけで、苦しいのです。

 なりふり構わず、私はその場から逃げ出したくなります。自然と、私の足は回れ右へと進もうとしますが、やはりなんでか、動きません。

 足をもじもじさせていたのが伝わったのでしょう。カイゼルが、


「……よかったら、こっちに来て座りませんか。こちらの椅子は、簡単ですけれど、直しましたから」


 そう、提案してきました。

 ……待ってください。


「直した、とは?」


「徹夜で頑張ったんです。掃除とかもしたんですよ? ハムペルトさんにも、少し手伝ってもらいました。彼女には、本当に頭が上がりません」


「…………」


 絶句です。

 もしかして、床が異様にピカピカなのも、ルリア様の像が綺麗なのも、その為でしょうか。

 ですが、なんのために?


「……ネトーブリアン様?」


「え、あ、いえ、座らせていただきますわ」


 そうして、一歩、また一歩と前方へ。カイゼルへと、近づいていきます。

 横を通り過ぎる際、ちらりと椅子を覗き見ます。すると、なるほど、釘やら特殊塗料やらで、綺麗に手直しされていることが伺えます。少しだけ不慣れが見え隠れしておりますが、それでも丁寧に、丁寧に、という気持ちが伝わってくるようです。

 つまりは、相当に手間がかかっておりました。


「失礼しますわ」


「どうぞ」


 私がカイゼルの元まで行き、そういって、半身ほど間をあけるように、椅子に座ります。カイゼルもまた、私に続いて、先程座っていた場所へと腰を下ろしました。


「…………」


「……………………カイゼル?」


 座ったはいいものの、カイゼルが私をずっと見て、話し始めないものですから、首を曲げて、そう声をかけます。

 当然ながら、私とカイゼルの視線が交差しました。


「あ、いえ、その、すみませんっ!」


 バッと、前に顔を向け直したカイゼルの顔は、面白いくらいに赤く染まりました。そんな彼を見ていると、どうにも、私の顔は熱くなり、胸は緩く締め付けられるようでございます。

 私も、カイゼルに合わせて、ルリア様の方へと首をぐるりと戻しました。

 ……勢いをつけすぎて、少し首が痛いくらいでございます。


「え、ええと、続けますね?」


「ど、どうぞですわ」


 互いに身を縮こませて、それでも、照れ隠しに口だけは開きます。多分、カイゼルも同じような心境ではないでしょうか。

 だって、顔が真っ赤ですもの。


「……どこまで話しましたっけ?」


「私に聞かれても……」


 貴方が、何を話そうとしているか、私にはわかりませんし。



◆ ◆ ◆



「これ、覚えてますか」


 少しばかりの沈黙の後、カイゼルが思い出したように穴の空いた肩掛けカバンから取り出したのは、真っ赤な物体でございました。真っ赤、といっても、その色は鮮やかで、特に嫌悪を覚えるようなことはございません。


「……これは」


 私は、一瞬でこれが何か、理解しました。


「ラッキーラビットの干し肉ですわね?」


「はい、そうです。俺たちで作っていたやつです」


 これは確かに、あの時のラッキーラビットの干し肉でございます。穴が空くほど、その完成を見ていたわけですから、その形状は、目に焼き付いておりますとも。それに、私の主食でもございましたし。

 今の今まで、色々あったせいで、忘れておりましたが。

 いえ、少し待ってください。

 ラッキーラビットの干し肉。干す。色。

 ……占い。

 あっ、と声を上げそうになりました。

 そうでございます。ラッキーラビットの干し肉の完成間際に、宮廷の方に連れていかれたものですから、結局、占いの結果を見るこは、遂にできていませんでした。

 そうして思い出されるのは、私が占った、その内容。そして、その結果が――赤。

 ……不味いですわ。


「何を占ったんですか?」


 ずい、と、食い入るように見つめてきます。私はそれから逃げるように、視線を逸らしました。


「……言いたくありませんわ」


 これを言って仕舞えば、私は恥ずかしさのあまり教会前の地面へと頭を埋めて、大地へと還る可能性も、否定はできません。

 つまりは、言うわけにはいきません。恥ずか死してしまいます……、いえ、いえ、ちょっと待ってください。

 カイゼルには、『読心』スキルがあるではありませんか。

 そうです。そうなのです。

 私の、あの恥ずかしい占いの内容は、今、カイゼルには筒抜けなのです。

 ……嘘ですよね?


「…………うう」


 思わず、私は涙目になります。うるうるです。

 昨晩、流し切ったと思った涙は、しかし、今この場で、プツプツと溢れてきます。

 腫れた目元が痛いです。でも、涙は止まりません。

 大人になったはずなのに、こんな下らない占いことで泣くなんて、恥さらしもいいところです。

 でも、こんな思考も読まれてると思うと、ええ。

 もう、なにもかもすっきりして、なんだか、猫に戻ったような気分になってしまいます。


「ネトーブリアン様?」


「わ……笑えばいいでしょう!? そんな、私を辱めるようなことをして、何がしたいんですかっ!」


「…………?」


 もう、もう、許しませんわ。

 こうなれば、私は徹頭徹尾、覚悟を決めるしかございません。

 そのために、まずは食事から考えなくてはなりません。次に運動、さらにはストレッチ。

 これは戦(いくさ)ですわ。

 どちらかが破れるまで終わらぬ全面戦争です。乙女として、永遠に分かち合えないその敵と、私は一生をかけて戦う覚悟を致しますわ。

 私は、必ず、占いなんかには、負けません


「私は、私は、私はぜーったいに、太ったりはしませんから! 占いがなんと言おうと、ぜっっったいに、太ったりはしませんことよっ!!!!!!」


――将来、私は『ないすばでぃ』ですか。


 そんな占い内容に対して、結果は……真っ赤。真っ赤っかでございます。大否定の、真っ赤っかです。

 つまりは、デブです。デブでございます。

 私の将来は、肥満体でございます。

 占い結果は、将来ぶよぶよ予言です。

 悲惨な未来に打ちひしがれる私は、それはもう、ドバドバと涙を流します。うるうるではございません、ドバドバですわ……っ。

 思わず顔を両手で覆い、化粧が崩れることも厭わず、ただただ、羞恥に顔を背け――、


「あの、とっても言いづらいんですが…………、俺、今、『読心』してませんよ……?」


 ……え。

 ……………………え。


「…………………………………………え?」


 パッと顔を上げると、目と目が合います。そうして、私は彼の言葉を噛み砕くのです。



 ――『読心』してませんよ。


 ――――『読心』してませんよ。


 ――――――――『読心』してませんよ。


 何度も、何度も、繰り返し、エコーのように脳内に浮かび上がるその言葉を飲み込んだ時、私の頭をパンクするほどに満たすのは、途方も無い羞恥。


 早とちり……?


「あ……」


「え、えっと、ネトーブリアン様?」


「ああぁぁぁああああぁぁぁああ!!!!! いやああああぁぁああああぁぁぁぁ!!!!! ぁぁぁあああああああああぁぁぁああぁぁああああ!!!!!」


 私は再び両の手で顔を抱え、前のめりに倒れます。もう誰にも見られたくありません。穴があったら入りたいとは、まさかこのことなのでしょう。穴どころか、とにかく人の目に触れない場所へと逃げたい心持ちでございます……っ。

 水中でも、沼でも、布団の中でも、どこでもいい気分なのです。しかし悲しきかな、この場所にそのようなものもなければ、場所もございません。

 できることといえば、身を縮こませて、子猫のように震えることだけ……。


「も、もう、いっそのこと、私を笑ってくださいまし……! この浅ましき女と、罵ってくださいませ……っ」


 ヤケクソです。両の目も耳も塞いでしまいたいです。しかしながら、私の小さき両の手では、どちらか一方しか、覆うことはできません。私は目を選びました。それ故、視界は暗闇でございます。

 カイゼルがどんな顔をしているのか、当然ながら、わかりません。

 それでも。


「ぷっ…………あはははっ!」


 大きく口を開けて、ゲラゲラとしていることは、容易に想像がつきました。

 ムカつきます。

 文句の一つでも言ってやらねば気が済まないと、私は泣きはらした顔を上げます。

 案の定、目元に笑い涙を浮かべながら、大口開けてのゲラゲラでございます。でも、なんでか、そんなに嫌な気持ちではございません。うまく言い表せませんが、馬鹿にした冷たい笑いではなく、優しさに包まれたような、温かい笑いなのです。

 それでも、笑った事実は変わりません。私はそんな彼を、キッと睨んでやるのですわ。


「わ、笑うんじゃありませんのよ!!!!!! 私も、流石に怒りますわっ!? その口、縫って差し上げましょうか!!!???」


「ははは……っ、いや、いや、笑えって言ったのは、ネトーブリアン様じゃないですかっ」


「それは言葉の綾ですのよ!? 本当に笑う阿呆がありますかっ!?」


 カイゼルは、阿呆を通り越して、馬鹿阿呆です。馬鹿と阿呆、二つ合わせて、ドリームでございますわ。

 これは、そう、そう…………馬鹿阿呆なのです……。

 うぅ……このような時、自分のボキャブラリーの少なさが恨めしいですわ――っ!


「…………ネトーブリアン様」


 そう必死になってカイゼルを馬鹿にしてやろうと頭を働かせている私を、笑うことをやめたらしいカイゼルは、真っ直ぐと見つめてきました。そのギャップに、私は一瞬、どきりとしてしまいます。

 頭の中の罵倒、非難の思考は、止まってしまいました。


「好きです」


「――――――っ」


 他の思考も、止まりました。

 真っ白です。


「大好きです」


 二度目。


「愛しています」


 ――三度目。


 力強く呟かれるそれらを、真っ白になった頭の中に並べます。

 ……もしかして、それを言うために、この場所を?

 そこまで考えたら、もう、無理でした。


「〜〜〜〜〜〜〜!!!!」


 わけもわからず、口元両手で抑えながら、声にならない声を叫びます。

 意味がわかりません。

 先ほど開けられた、心の臓の近くの穴に、すんなりと入ってくるその言葉は、ぽかぽかと私を内側から温めます。

 動悸は激しく、ばくんばくんと破裂しそうなほどに鳴り響き。

 流れる血潮は、ぐんぐんと体温を高めていきます。


 それが目の前の彼から紡(つむ)がれたものだと一度でも意識をして仕舞えば、もう止まりません。自分でも、顔が真っ赤になっていることがわかります。きっと、耳まで真っ赤です。

 頭の片隅にいる、私自身を冷静に見る私ですら、今日は赤に縁があるな、なんて、どうでも良さそうなことを考えている始末です。

 役立たずです。


 カイゼルは、そんな私にお構いなしとばかりに、「もしも――」と、続けます。


「昨日、俺のことが嫌いで、逃げたわけではないのなら、……、貴女の想いを、聞かせてください」


 私の想い。


「私は……」


 私は、カイゼルをどう想っているのでしょう。


 少なくとも、憎からず思っていることは確かです。でなければ、これほどに、好きだと言われて嬉し恥ずかしい気持ちにはならないでしょう。

 こういう時、物語のお姫様は、どのようでしたでしょうか。恋物語の女主人公は、どういうことを参考にしていたかと、思い出します。


 一つ、5秒ほど目を見つめて、逸らしたら、好意があるとのこと。

 私はじいっと彼の目を見つめます。


「………………?」


「…………無理ですわ」


 3秒も無理でした。


 二つ、彼の顔を見ると動悸が激しくなるとのこと。

 ……すでになっております。


 三つ、耳が熱くなるとのこと……、火傷しそうなほどに、熱いです。


 ――これは、つまり。


「私は、カイゼルが好き……」


 そう、言葉にすると、なんとも簡単でございました。

 私自身もわからない己の想いは、しかし、言葉にして仕舞えば、なんとも簡単なのです。

 これが誤魔化しのない、自分の想いだと、否応にも気付かされます。

 私は、カイゼルが好きでございます。

 大好きなのです。


「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」


 自覚して仕舞えば、カイゼルの顔など、まともに見ることさえ、できなくなりました。

 私はどんどんと熱くなる頬に手を当て、ブンブンと首を横に降るのです。

 自分でも何をやっているのか、訳がわかりません。

 でも、カイゼルを直視できません。

 太陽です。カイゼルは、太陽なのです。

 共に過ごしたあの小さな部屋で、途方にくれた私を拾ってくださった、不器用な男(ひと)。私に自由を教えてくれた、格好いい男の子。

 彼の笑顔が好きです。声が好きです。目が好きです。彼の癖毛が好きです。スラリとして筋肉質なお腹が好きです。彼の胸など、私のホームでございます。

 そんな彼を、いつの間にか、好きになってしまっておりました。

 理由も、きっかけも、わかりません。

 好きなものは、好きなのです。


「ネトーブリアン様――――」


「話しかけないでくださいましっ!?」


「えぇっ!?」


 カイゼルの声を聞けば、耳からぽかぽかとして、きっともっと、真っ赤になります。

 カイゼルを見れば、赤くなっているであろう顔は、ゆで海老のごとく、さらに真っ赤になるでしょう。

 聞きたくありません。見たくありません。

 しかしながら、先ほどとは違った目的で、今は口を閉じたく思います。でも、閉じたくもないという、相反する意向が働いて、結果、閉じることは叶いません。


「ネトーブリアン様」


 話しかけるなと言ったのに。


「もう一度、聞かせてくださいませんか」


 私の心に、直接響く彼の声。

 ……そう言われて仕舞えば、もう、もう、私の口は、勝手に開いて、勝手に動いて、その言葉を、口にしてしまうのです……、口にできてしまうのです。


「私も、貴方をお慕いしております」


 口にできたことに、私の心はピンク色に染まります。

 でも、すぐさまに、冷静な頭は「してしまったか」と、冷や水を浴びせるかのように訴えます。

 興奮していた私は、スッと血の気が引くように、ポカポカだった耳も顔も胸も、体全体が、冷えていくのを感じます。

 頭は、わかっているのです。彼を愛しているからこそ、私は彼を愛してはいけないのだと。

 ――現実は。


「では――」


「ですがっ!」


 口にしたくなかった、その理由。


「私は、ニック殿下と結婚します」


「っ……」


 カイゼルの息を飲む音が聞こえます。

 気づいたところで、遅うございました。

 ニック殿下と私が婚約、強いては結婚しなければ、今の宮廷は収まりがつきません。それほどに、今の王宮は荒れに荒れております。

 ――いえ、それは建前です。

 今、私がカイゼルについていけば、カイゼルは誘拐犯として、確実に殺されます。それは、嫌です。私のわがままで、愛する人を失うなど、耐えることはできません。

 もしもあの時、猫の私が宮廷に行きたくないと言ったのであれば、もしかしたら、という思いはございます。でも、もう、後戻りはできないのです。

 賽は投げられていたのです。


「……絶対に、俺は諦めませんよ」


 そんな、カイゼルの悔しそうな声が聞こえた時のことでございました。



 ――私(わたし)は賽を振りません。



 どこからか、頭の中に響くような声が聞こえてきました。

 慈しみに溢れた、女性の柔らかな声でございます。


 キョロキョロと辺りを見渡しますが、私とカイゼル以外、やはり誰もおりません。

 そうしていると、私の中に、何かが流れ込んできました。

 心の臓の近くではございません。痛みもなにも、伴いません。

 ふんわりと、それが私の血潮に溶け込むように、魂に刻まれるかのようなのです。

 そうした中、私の頭に、一つの単語が浮かび上がりました。


「っ…………」


 その単語は、私がカイゼルを愛し続けるのに、十分なものでございました。

 その言葉は、私を子供に戻すのに、十分なものでございました。

 その名前は、私に自由を与えるのに、十分なものでございました。


 政略から、貴族から、全てから解放されたような心地を持って、私は今、この瞬間、子供に戻ることができるのです。

 私は、自由な子供(あほう)に、戻ったのでございます。

 であれば、私のやることは、やりたいことは、一つでございます。


「……カイゼル、さっきのは、やっぱり無しですわ」


「……へ? それはどういう――」


「私、カイゼルと結婚しますわ! これは決定事項です! もう、リリースなどはできませんことよっ!?」


「ちょ、え、ええ!?」


 状況がわからない様子で間抜け面を晒すカイゼルを余所に、私はその単語を頭の中で復唱します。

 すると、どうしたことでしょうか。私の目線はみるみるうちに下がっていき、やがて目の前に来るのはカイゼルの腰でございます。

 同時に、ドレスとの密着感が消えて行くと、次は全身が開放感に満たされる心地になるのです。


「ね……ネコ様?」


 そうして、私は定位置カイゼルの胸へと飛び込むのです。

 これは、そう。


「にゃぉーーーぉんっ!(この姿なら、誰も私だとわからないに違いありませんわっ!)」


 女神様の、贈り物なのでございます。

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